2024/07/10 中日新聞朝刊
【長野県】阿智村の満蒙開拓平和記念館は、旧満州(現中国東北部)への移民入植の歴史をひもとく特別展「開拓入植地の変遷」を館内で始めた。本年度内に3部に分けて開く計画で、第1部は1932~36年の「試験(武装)移民期」がテーマ。「開拓団はなぜ武装しなければならなかったか」を副題に解説している。21日まで。
同期間に、県内や東北地方をはじめ全国各地から第1~5次の入植移民が送り出された。開拓団は、弥栄(第1次)、千振(第2次)、瑞穗(みずほ)(第3次)、鶏西城子河、開原城子河、哈達河(以上第4次)、永安屯、朝陽屯、黒台、黒台信濃村(以上第5次)。
解説によると、日本は当時、移民用地として満州北部に注目。一帯は、柳条湖事件(31年)を発端とした満州事変の後も軍閥の残党のほか、日本の侵攻に対する反発勢力があり、満州の権力を行き渡らせるため多くの移民が必要とされた。旧ソ連に対応する国境近くの基地や要塞(ようさい)建設に向けた鉄道整備のためにも、沿線に移民団を置いたという。こうした状況下、初期は、農業経験がある在郷軍人(予備役軍人)らが開拓団の主体だった。
展示会場には、これらの経緯、主な開拓団の詳しい様子などを印刷した解説、地図、写真を掲示。10月ごろには第2期(37~41年)の「国策移民期」、来年3月ごろには第3期(42~45年)の「移民崩壊期」をテーマに、特別展を開く。三沢亜紀事務局長は「背景と変遷を知り、満蒙開拓とはどういうものであったか考えてもらえれば」と来館を呼びかけている。(問)同館=0265(43)5580(近藤隆尚)