朝日新聞2026年4月4日 14時00分

編集委員・大久保真紀


連載「引き裂かれた絆」 第7回

 京都府舞鶴市に暮らす劉雪蓮さん(49)は、中国残留婦人だった祖母の人生を本にまとめたいと思っている。

 祖母は生前、満州(現・中国東北部)で結婚した日本人の夫との写真を最後まで大切に持っていた。

開拓団員として中国で生活した劉さんの祖母・梶本清子さん夫妻。夫はその後応召し、敗戦後、梶本さんは、家族のため中国残留婦人となった=劉雪蓮さん提供


 家族を生かすため、自分が生きるために中国人と再婚し、4人の子どもを育ててもなお、あのころのことが忘れられなかったのだろう。

 同じ女性だから思う。祖母は、女性ならではの苦しみ、葛藤を抱えていた、と。

 「どこで引き返せばよかったのか。平和なときだからこそ、考えておく必要がある」

 そのために、残留日本人3世として本を書きたいのだ。

「調べれば調べるほど祖母はつらく悲しい人生を送ったかわかる。でも、そのおかげで、家族はほぼ犠牲なく日本に引き揚げている」。劉雪蓮さんは、祖母の人生を本にまとめる予定だ=2025年9月4日午前10時21分、京都府舞鶴市、大久保真紀撮影


娘にすがられ、帰国を断念

 祖母の梶本清子さんは、1923年に京都で生まれた。

 家が貧しく、小学校卒業後に女中奉公に出た。学校の先生の紹介で、すでに開拓団員だった夫と17歳のときに結婚し、渡満。その後、父が亡くなって困窮していた母ときょうだいを日本から呼び寄せた。

 平穏な暮らしは長くは続かなかった。夫は日本軍に召集され、1945年8月にはソ連軍が満州に侵攻。そして、敗戦。

 現地は大混乱に陥った。食べ物もなく、行くあてもない。清子さんが中国人の家に嫁ぎ、家族のめんどうを見てもらうしかなかった。


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朝日新聞2026年4月3日 14時00分

編集委員・大久保真紀


連載「引き裂かれた絆」 第6回


 長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館で、中国残留日本人孤児だった津金ひろ代さんが、開拓団関係の本を見ていたときのことだ。

 ページをめくると、立派なあごひげを蓄えた、男性の写真が出てきた。

 「私を売ったのはこの人!」

 そう言って、ひろ代さんは泣き出し、震えが止まらなくなった。

 2017年5月。一緒にいた長女の細川香さん(60)は、このとき初めて、母を売ったのは開拓団の日本人団長だったと知った。

 

 戦前、ひろ代さんは、両親らと「満蒙開拓団」として満州(現・中国東北部)に渡った。1945年8月9日、ソ連軍の侵攻があり、逃げ惑う中、母と弟がソ連軍の機銃弾に直撃されて死亡。その後、子どもたちが集められた「集団自決」で2番目の姉が亡くなった。ひろ代さんはかろうじて生き延びたが、父や2人の姉と生き別れた。

 中国で生活しているとき、ひろ代さんは夜になると「キャー!」と叫んで跳び起き、「助けて!」と泣いた。


戦争の話を繰り返す母に反発

 幼かった長女の香さんに、ひろ代さんは下半身が吹き飛ばされて亡くなった母のことを語り、集団自決の現場で何が起こったのかを繰り返し口にした。

 取り乱すひろ代さんを「わかった、わかった」となだめるのが香さんの日課だった。

 「知っているおじさんに売られた」と養父母に引き取られた経緯も聞いていたが、その「おじさん」が団長だったと知り、「戦争で人間は変わってしまう」と痛感。人を信用できなかった母の抱えたものにも触れた気がした。

 「でも、私は母が繰り返す戦争のときの話が嫌で嫌で、(母に)反発していた」

 香さんはそう振り返る。

 日中国交正常化の後、ひろ代さんは肉親捜しを始めた。新聞記事がきっかけで、日本に引き揚げた姉が見つかり、77年に一時帰国した。香さんが12歳のころだ。

 ひろ代さんの日本滞在は当初は半年の予定だったが、1年を過ぎても中国に戻ってこなかった。


15歳で小学5年に編入 口げんか繰り返し

 「もう帰ってこないのだろう」。当時、香さんは捨てられたような気持ちになった。

 結局、中国に戻ったひろ代さんは80年に再び、夫と香さんら子どもたちを連れて、姉のいる長野県に永住帰国した。

 香さんは中国の友人たちと別れなければならず、日本への帰国はうれしくなかった。日本では15歳で小学5年に編入。「中学を卒業したら中国に帰ろう」と思っていた。

 日本でのくらしが始まると、ひろ代さんは仕事と入退院の繰り返しで家にいないことが多く、香さんは学校に通いながら家事に追われた。

 口げんかを繰り返し、「なんで日本に連れて来たのか」と母を責めた。


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朝日新聞2026年4月2日 14時00分

編集委員・大久保真紀


連載「引き裂かれた絆」 第5

 自分の名前も、誕生日もわからない。実の父母がだれかもわからない。

 私はだれなのか――。

東京都に暮らす中国残留日本人孤児の間瀬珠美さん(82)は、重い問いを心に抱えている。

 日中両政府によって認定された残留孤児は2818人。その54%にあたる1534人が、戦後80年が経ったいまも「身元未判明」だ。


 日本が敗戦した1945年。黒竜江省にある町の建物の中で、布団にくるまれて置かれていた子どもがいた。

 それが間瀬さんだった。

 小さな診療所を開いていた中国人医師が、間瀬さんを見つけ、家に連れて帰った。

 「こんなに弱っている子どもが育つだろうか」と心配する妻に、「大丈夫。将来はきっと頼りになる」と言い、育てることにしたという。


 養父母はやさしく、実の父母だと思っていた。13歳のときに養父が心臓病で急死した。養母が綿入れの手袋を作って売り、くらしを支えた。しかし、綿を長年吸い込んだことで、重いぜんそくを患った。

 間瀬さんは学校に通いながら、午前2時に起きて山で果物を採り、養母がそれをあめにして売った。母子で肩を寄せ、助け合って生きた。


「お前の母は日本人だ」

 そんな養母が実の母ではないと知ったのは17歳の時だ。養父の弟から「お前の母は日本人だ。でも、心の奥底にしまっておくように」と教えられた。拾われた時、服のポケットに名前などが書かれた紙があったという。

 ショックだった。

 19歳で高校を卒業し、石油会社に就職した。だが、60年代後半から「文化大革命」(文革)が始まった。富裕層や知識人、外国とつながりのある人が徹底的に批判され、全土で迫害の嵐が巻き起こった。


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2026年4月1日 14時00分

編集委員・大久保真紀


「戦後80年」連載「引き裂かれた絆」第4回


 「一度でいいから、母に抱きしめてもらいたかった」

 中国残留日本人孤児の南島姫勢子さん(86)=東京都=は言う。戦争で引き裂かれた家族。一度断ち切られた絆を結び直すのは、容易ではなかった。

 「李桂蘭」という名で育った南島さんは、1983年12月に行われた肉親捜しのための訪日調査に参加した。離日まで残り1日半と迫った夜に、年老いた夫妻と面会した。

 母と、母が戦後に再婚した義父だった。

 言葉は通じず、親近感をもつことは難しかった。母も手を握ることも涙を流すこともなかった。


 実父母は戦前、長野県から満蒙開拓団として中国東北部(旧満州)に渡り、南島さんは中国で生まれた。

 記憶にあるのは、5歳のときに外で遊んでいると、飛行機が低空で飛んで来て近くの橋に爆弾を落としたことだ。45年8月。

 それが逃避行の始まりだった。

 ほかの開拓団員らと一緒に、家族で村を後にした。途中で父とはぐれ、母や妹らと逃げ惑い、気づいたらひとりで難民収容所で寝ていた。


差し出された野菜スープと白米

 病気でやせ細っていた南島さんは、子どものいない中国人の養父母に引き取られた。

 養母は小さな椀(わん)に野菜スープを入れ、白いご飯も持ってきてくれた。その後、たらいで体を洗ってくれて、白いワンピースを着せてもらった。

 養父母はやさしかった。しかし、養父は満州国時代に日本が運営していた発電所で経理の仕事をしていたため、やがて投獄された。共産主義革命の反対者を再教育するとして中国全土につくられた「労働改造所」に送られ、行方がわからなくなった。


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母と再会、でも… 「抱きしめてほしかった」残留孤児が直面した現実

https://digital.asahi.com/articles/ASV3R059XV3RUTIL001M.html




朝日新聞 2026年3月31日 14時00分有料記事

編集委員・大久保真紀


連載「引き裂かれた絆」 第3回

 「私はトウモロコシ20キロと交換で売られたんだよ」

埼玉県岩槻市に暮らす佐藤千代さん(97)は静かに語る。

 敗戦前後の混乱で中国に取り残され、現地の人と結婚した、いわゆる「中国残留婦人」だ。

 「私には、娘時代がなかった……」

 そうつぶやく。


 樺太(現・サハリン)で生まれた。幼いときに父を亡くし、11歳のころに母や祖父、兄らと満州(現・中国東北部)に開拓団として渡った。

 一家は10歳以上離れた兄を中心に田畑を耕した。貧しかった樺太では麦飯だったが、満州では白いご飯を食べられた。

 「学校に通い、友だちと草や花をとるなどして楽しかった。あのころは幸せだった」

 しかし、日本の敗戦直前の1945年8月9日、ソ連軍(当時)が満州に侵攻し、開拓団の逃避行が始まる。


 おにぎりや煎った大豆など持てるだけの物を持って村を出た。成人男性は根こそぎ召集されており、長兄も応召していた。残ったのは女性や子ども、高齢者ばかりだった。


逃避行、置き去りにされる赤ん坊 すべて見ないふり


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