5月3日に、『老犬の一歩』というタイトルで書いた 16歳の柴犬・・・。


あの時、本当に歩いては倒れ、必死で起き上がっては3歩で倒れ、


本当に痛々しいほど弱っていたのだ。あれから、パタッと、出会いは消えた・・・。


最後の頑張ってる姿が見れて良かった・・・。そう思っていた。


22時50分、信号の脇に・・・。


会えた!!生きててくれた!!


ますます痩せ衰えた身体には、上半身と下半身にハーネスが。


そして、二つのハーネスの紐は一本の棒に通されて、


まるで操り人形のように吊るされながら、前には出せずにあちこちにいってしまう


絡まる前足を、大地につくかつかぬかの弱々しい一歩で、彼は歩んでいた。


それでも、歩きたいのだ!お兄さんも、吊るしながらでも 歩かせてあげたいのだ・・・。


実に、素敵!心にしみた。こんなに頑張ってるんだから、頑張ってなんて言えない。


飼い主のお兄さんやご家族にも、本当に頭が下がる。


祈ってるからね!こんなに命を大切に生きてるんだから、来世はもっと丈夫な身体に強い足を


きっと神様にもらえると思う・・・・。


会えてよかった!!本当にうれしかった!!ありがとう・・・。



 今日、我が家のタバサとライラの寝姿が、

余りに 可愛くて、しばらくながめていたら・・・、

走馬灯のように、 私とワンコ達の今日までの日々の映像が・・・。キラキラ


私が人生で始めて出会ったワンコは、幼稚園の同級生の

福代ちゃんの家の、コリーわんわん。(野良犬は見ていたかもしれないが?)

名前は、もちろん、「ラッシーしっぽフリフリ」(当時、コリーはみなラッシーだった!)

私が小さかったから、セントバーナードの様に、大きかったな!?実に優しい子だった・・・。


(余談ですが・・・最近昔話が多くなった母が、初めて家の中で犬飼っていて

びっくりしたのは、私の幼稚園のときのかかりつけのお医者さんの家だった。

真っ白な犬だった・・・。時代的に、多分スピッツ?

当時は、ほとんど外飼いだったから。ちなみに私は記憶に無い。)


そして、我が家の家族第1号。真っ黒な小型の雑種犬しっぽフリフリ

名前は、「まり」。小学校1年生の時、父が初めて住宅地に家を建てて、

引越しをして3日目の夕方、ほとんどまだ空き地の分譲地を父と二人で散歩していたら、

キュンキュンクィーンと 泣き声が・・・。

探すと、溝の中に かすかに動く、小さな黒い塊が・・・。

産まれたばかりの子犬が1匹、捨てられていたのだ。

引越ししたら、犬を飼ってくれる約束をしていた私は、

神様の贈り物だと思ったものだ。

連れて帰った直後から・・・・今で言うゲリラ豪雨のような雨が降り、

あのまま、見つからなかったらきっと死んじゃってたね。と、話したのを覚えている。

そして、5年住んで 2件目の家に引っ越す3日前に、「まり」は死んだ。フィラリアだった。

短い命だったけど、引越した3日目に我が家に来て、引っ越す3日前に別れた。


あの家の、守り神だったのかな・・・・。と、子供心に思った。ドキドキ


そして、次の出会いは再び福代ちゃんの家。

福代ちゃんのパパは、大動物の獣医さんだったからワンコが必ずいる家だった。

ティ-ナというポメラニアンがいて、遊びに行ってた時に出産に立ち会ったのだ。

福代ちゃんパパが往診中の時で、難産で、福代ちゃんママがひっぱりだした。

無事産まれたけど、吸い付くことができない子のために、

福代ちゃんと、文房具屋にスポイトを買いに走って、

スポイトでミルクを飲ませ、飲んでくれた時は 本当にうれしかった~音譜

その子が我が家の2代目、「アレキ」ポメラニアンの男の子。

血統書名は、「アレキティーナ オブ ウエストヨコハマ バールアライ」

一生懸命覚えたのだ!忘れないものだね。

気の強い子だったけど、実に美形だった。

その後、実家犬は 「ぺス」「チロ」と続いたけど、私は一人暮らしを初めてしまい・・・。


そして、初めて一人で飼ったのが「ボスレー」。チワワとの出会いである~ラブラブ

スムースで、カラーはクリーム。3ヶ月弱でブリーダーから来た時には、

お腹がパンパンに膨らんでいて、肥満児?と思いながら、

胸の上に乗せて寝て、朝起きたら、枕元に立派なウンチが・・・。

そしたら、お腹はシュッとしちゃってて、ただの便秘だったのね~!?

緊張してたのね。 そして、遊びに来てボスレーを指差し、「なんかネズミみたい~!」

と大きな声で笑った友達には、何度会っても、一生吠えてなつかなかったな。

傷ついてしまったのよね!?

9年間側にいてくれた。獣医さんに向かう車の中、キャリーに頭から入って苦しい呼吸にあえぎながら、

クルッて方向を変えて、運転中の私に顔みせてくれて、

大きく深呼吸して、静かに逝ってしまった。キャリーバックの中に

ポチンと、小さなウンチ残して・・・。

本当にしばらく立ち直れなかったっけ。辛い辛い別れだった。

「ありがとう」と「ごめんなさい」しかないのよね。いえる言葉が・・・。


そして次は、前のブログ 『タバサが打ちに来た訳』

 にも書いた、スムースレッドのチワワの「ウラン」

12年一緒だった。悲しむ暇がないようにと、、ドラマティックなバトンタッチ、をしてくれた キャバリアの「タバサ」

そして、年老いた母との名コンビ、ロンチの「ライラ」・・・。と

現在に至る・・・。


ワンコ無くしては居られない、我が人生なのです・・・。、

ありがとう、我が子たち音譜わんわん

今朝のテレビで、『グリーフ・ケア』について特集してました。

グリーフとは、『嘆き、悲しみ、苦しみ』だそうで、

仙台で行われた グリーフケアの取材をしていました。

被災地での、心のケアの取り組みは色々始まっているようですが、

心のケア、というと なかなか被災者の方々は、集まらないとのこと・・。

だから、マッサージとか、メークとか、違う取っ掛かりから入って、

被災者の方達と、交流をはかるのが、現状だそうです。

その、『グリーフ・ケア』の模様は、またまた、考えさせられてしまった・・・。

参加者は、一組のご夫婦、と二人の女性、それと進行役の女性ひとり。

皆、震災で、お子さんやご両親、祖父母と、本当に近い肉親を亡くされた方達。

本音・・・が語られていた・・・。

・・4ヶ月経って、今の方ガより辛い。どんどん、後ろ向きになっていく。

・・慰霊祭とかには、納得できないまま形式上出なきゃいけない。

・・月日で、整理なんかつくものでない。

・・毎月11日が、節目みたいに区切られて、焦らされているようだ。

・・私の気持は、どんどん置いていかれていく。

・・一人じゃない、と言ってくれるけど、じゃあ、何故ここで私は一人で苦しいんだ。

・・皆さん本当に、心から思ってくれているんだろうけど、それをいまいましく感じる。

  そんな自分が、どんどん性格が悪くなっていくようで、イヤだ。


どんなに、親友でも、被災した人しなかった人の立場の違いで、

本当の気持は、語れない・・・。のだそうだ。

同じ苦しみを味わった人同士だから、素直に話せた・・・。と言う。


この集まりの進行役は、もちろん教育をうけたプロだが、アドバイス的な事は

一切言わず、ただ 話の方向を仕切り聞いてあげるだけだそうだ。

アメリカでは、この『グリーフ・ケア』は 医療保険に組み込まれているそうで、

日本は、こういう 心のケアに関してはまだまだ、遅れているのが現状。


震災後、日本中が静止して、皆が無力感に苛まれ、

頑張ろうと、まずは自分にできること!と、動き出して 4ヶ月余り・・・。


人間と いうものは・・・。


私自身も、先が見えなくなったけど、

先が見えないなら、自分で、先をつくればいいのね!

なんて、自分を起こしたつもりだけど、

本当に、人間の心は深い・・・。

被災した、私の友達も、泣きながら食いしばりながら前に進んでるけど、

私には、絶対わからないところに、いるんだろうな・・・。


それぞれの、一人ひとりの、一個ずつの魂が、

それぞれの時間で立ち上がらなければ! 


と言うことなのだろうか・・・。


様々な人たちが、様々なかたちで、支援していて、

様々なかたちで、伝わっていて、

まだまだだけど、それぞれのエネルギーが前に向かって放たれていると言うことは、

確実に、立ち上がってきていると言うことに、違いない!!

ですね!!!