『神曲』煉獄登山45. 煉獄は山である | この世は舞台、人生は登場

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煉獄山

 

 

   煉獄が山であることは、疑う余地はありません。私のブログにお付き合いくださって『煉獄篇』第21歌(第5環道)まで読み進んでくだった読者の皆様は、すでに煉獄の色々な山の姿を見てきました。『煉獄篇』の中の山の記述は、枚挙にいとまがありません。しかし、山は目の前に聳えているのですから、地獄を脱出して煉獄に着いた巡礼者ダンテにも、上を見上げれば、その形は一目にして分かったに違いありません。一方、私たち読者がその事実を知るのは、そこで出会った管理人カトーが、「最も楽な登り道でこの山を登らせるために、いま昇りつつある太陽が顔を出すであろう(原文解析は下に添付)」と言った時です。

 

 

煉獄山の描写

 

   煉獄に入って、浄罪の旅をする道の所々で、山の描写が挿入されています。その描写の中でも、煉獄の山の特徴を鮮明に描出しているいくつかの箇所を紹介しましょう。

 

   前述しましたように、巡礼者ダンテが地獄巡りを成し遂げて、煉獄に通じる長い洞窟を出ると、そこには煉獄の管理人カトーがいました。彼の役割は、煉獄に到着したばかりの霊魂たちに「煉獄登山の心得」を授けることでした。そのために、地獄へ堕ちないで煉獄に来られたことに安堵して憩っている霊魂を急き立てるために、次のように大声で叱りつけました。

 

   いったい何事だ、なにをぐずぐずしているのか?これはまたなんという懈怠(けたい)、なんという遅滞だ?駈けて山へ行き汚れを落とすがいい、さもないと神さまにお目通りはかなわないぞ。(『煉獄篇』第2歌120~123、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   のろまな霊魂たちよ、これは何事だ?何という怠惰だ、これは何という遅滞だ?(罪の)瘡蓋(かさぶた)を汝たちから剥ぎ取るために山へ走れ。その瘡蓋は、汝たちに神を明らかであるものにはさせない。

 

   平川訳の「汚れをおとす」の原文は、「汝たちから瘡蓋をはぎ取る(spogliarvi lo scoglio)」という比喩的表現になっています。そして、その瘡蓋とは現世で犯した数々の罪のことです。煉獄ではその罪の瘡蓋を一枚ずつ剥がして、美しい身体になるように浄罪するのです。上の詩行の中で、カトーによって、煉獄のことは、瘡蓋をはぎ取るための「山(il monte)」と明言されていますので、霊魂たちはその旅を始める前から、そこが罪を浄化するための苦行の山であることを認識させられます。

 

第2環道

   霊魂たちが嫉妬羨望の罪を浄めている第2環道に入った時、その場所のことは次のように説明されています。

 

   私たちは石段の上まで来た、登ると罪がとれ身が浄まる山だが、ここでも山の中腹がまたえぐられていた。ここでも第一の圏と同じように、環道が山腹を取り巻いていたが、前よりも急な弧を描いていた。(『煉獄篇』第13歌1~6、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私たちは石段の天辺にいました。そこは、(煉獄界の)二番目の場所で、人が登るとその人を浄める(機能を持った)山が削られて(環道が造られて)います。そこには(第一環道と)同じように、一本の環道が山の周囲を帯を巻くように通っています。その環道の曲がり具合は前(第一環道)よりも急に曲がっているということを除けば、第一環道と同じです。

 

   上の詩行には、煉獄界についての二つの情報が明らかにされています。まず、その山のことを、「登るとその人を浄める山(lo monte che salendo altrui dismal)」と表現することによって、「浄罪の山」であることを明言しています。そして、煉獄にはそれぞれ異なる浄罪の場所があって、山の周囲を帯が巻くように構成されています。ダンテはそれを「コルニーチェ(cornice」と呼び、英語では「テラス(terrace」と訳し、日本語では「環道」とか「」などと翻訳されています。ただし、第一環道よりも第二環道の方が「曲がりがより急になっている(l’arco suo più tosoto)」ので、上に行けば行くほど距離は短くなります。それは、まさしく円錐の形をした山であることを示しています。

 

 

煉獄は聖なる山 サクロ・モンテ(Sacro Monte)

 

 

   煉獄山は、登ることによってその人を浄めて罪の瘡蓋を剥がす「浄罪の山(purgante monte」の機能の他に、天国の特性を帯びた「聖なる山(sacro monte」の特性も備えています。ダンテは、『煉獄篇』の中で「聖なる」という呼び名を次のように使っています。

 

   私は起きあがると、聖なる山のあらゆる圏に、はや空高く昇った陽が燦々(さんさん)と照り輝いていた、そして新しい太陽を背にして私たちは進みだした。 (『煉獄篇』第19歌37~39、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私はしっかりと起き上がった。そして聖なる山のすべての環道は、すでに十分に盛りの(=すっかり)昼になっていた。そして、私たちは腰の側(=お尻側=背後)に新しい(昇ったばかりの)太陽を持って進んでいた。

 

 

   傲慢の罪のために岩を背負っている霊魂、また嫉妬の罪のために両瞼を針金で縫われた霊魂、また怠惰の罪のために昼夜休まず走り続ける霊魂、さらにまた貪欲の罪のために立ち上がることが許されない霊魂などが過酷な罰を受けている山、それが煉獄です。それゆえに、煉獄を「浄罪の山」と呼ぶことには不自然さはありません。しかし、そこで刑罰だけが与えられるのであれば、地獄と何の変わりもありません。地獄と煉獄の違いは、前者の苦痛が永遠であるのに対して、後者の苦痛は暫時的なものであるということです。『神曲』という作品の中では、「永遠の」は地獄の修飾語(epithet)で、「暫時の」は煉獄の修飾語であると言っても過言ではありません。ダンテがウェルギリウスに先導されて地獄門に来た時も、その門には「私を通って行け、永遠の苦悩の中へ(per me si va ne l’eterno dolore)」と刻まれていました。また、煉獄登山の最終目的地はエデンの園です。そしてその地で、ウェルギリウスは、ベアトリーチェから依頼された先達の役目を終えてダンテのもとを去る時が近づきます。その別れの時を告げるウェルギリウスの言葉の中に次のような表現が見られます。

 

   永遠の劫火と一時の劫火を、息子よ、おまえは見た。そしておまえが着いたこの地はもはや私の力では分別のつかぬ処(ところ)だ。 (『煉獄篇』第27歌 127~129、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

      暫時の炎と永遠の炎を汝は見てきたところだ。そして汝はこの場所に来たところだが、この場所よりさらにもっと先は私には判断できない場所である。

 

   「暫時の炎(temporale foco」とは、色欲の罪を浄めるためにダンテたちが渡った第七環道の炎のことだと解釈されています。そして、「永遠の炎(etterno foco」は、地獄の至る所で燃えていた刑罰の炎を意味しています。地獄の刑罰は罪を罰するためのものですが、煉獄の刑罰は罪を許し浄めるための刑罰なのです。天国からの慈愛が注がれているので、「浄罪の山」であると同時に「聖なる山」でもあるのです。すなわち、煉獄山には、「聖なる山」の要素と「浄罪の山」の要素が二重になって存在しているのです。

   煉獄が聖なる山であるという論理的根拠は、私の前回のブログ「煉獄登山44.煉獄の大地震」の中でも言及した次の箇所にあります。

 

   習慣にたがう事とか、この山の定めに従わぬような手前勝手な事とかはここではいっさい起こり得ない。ここでは〔現世で起こるような〕変化はおよそない。天自らが自分のうちに受け容れるもの以外は、変化の因となり得ないのだ。 (『煉獄篇』第21歌40~45、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

 

〔直訳〕

   山の修行場所(煉獄の浄罪場所)が、秩序ではないと感じた事柄や、または決まりに反したところで存在する事柄は、起こらない。ここ(煉獄)では、あらゆる変化から免れている。(煉獄には)天が天自身によって天自身の中へ受け入れるとことのモノから起こる原因は存在することが可能であるが、それ以外のモノから起こる原因は存在することができない。

 

   中世時代には、上の詩行の中のイタリア語の原文“religione(レリジョーネ・宗教)”という言葉は、「修道院」と「律法」という二つの意味を持っていました。平川訳は後者で私の直訳は前者の意味になっています。大方の翻訳者も注釈者も「律法(legge:英語law)」という意味に解釈しています。しかし、どちらで解釈しようとも、煉獄山という山には、「秩序ではない(sanza ordine)」こと、「決まりに反する(fuor d’ usanza)」こと、「すべての変質(ogne alterazione)」など現世の事柄は存在しないことになります。確かに、煉獄は、現世と同じ地球上に存在していて、現世と同じく一日24時間という時刻区分と太陽の運行を共有していますが、その自然環境と規律は天国に属しています。それゆえに、煉獄には現世で起こるような自然現象は起こらないのです。

 

エデンの園

  煉獄の中でも、もっとも天国に近い場所は、「エデンの園」です。下に示す楽園描写の中には、煉獄山が「聖なる山」であることが明らかになっています。

 

   さわやかな緑濃い神の林が、新しい日の光を見た目にも優しくやわらげていた。この深林(しんりん)の内や外を歩きたいという気分にはや誘われて、先生の言葉をそれ以上待たずに、この土手を離れると、私は野原をゆっくりとゆっくりと歩きはじめた、足もとからはいたる処にふくよかな薫(かおり)が漂ってきた。こころよいそよ風が、たえずやわらかに吹き、さわやかな力で額を軽(かろ)やかに打った。風が吹きわたると、枝々はみなかすかにふるえ、聖らかな山がその影をまず伸ばす方向へ向かって、しなやかにしなった。しかし枝々はたわみはしたが、梢の小鳥が囀(さえず)りをやめてしまうほど傾(かたむ)きはしなかった。小鳥たちが、歓喜に満ちて、歌いつつ朝のそよ風を葉の中へ招きいれると、葉はさらさらと鳴って歌声に和した。 (『煉獄篇』第28歌 1~18、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

 新しい日光を眼に柔らかく馴染ませるところの、密に茂り緑あざやかな神聖な森のその内部や周囲を、いま探索することを熱望したので、もうこれ以上、じっとしてはおられずに、土手を後にして離れた。そして、至る所から芳香を放っていた地面を横切って、ゆっくりと田園の道を進んだ。甘いそよ風は、それ自体では変化をすることはなく(=強くなったり弱くなったりすることはない=常に同じ強さで吹く)甘美な風よりも強くはない叩き方(=せいぜい甘美は風ほどの優しい叩き方)で私の額の付近を叩いていた。その風のために、小枝は、みなすべて揺らめきながら、聖なる山が最初の(=朝陽による)影を投影している方向へと曲がっていた。しかしながら、(小枝の)頂きにいる小鳥たちがすべての技能(さえずりと巣作り)を行うことを止めるほど、小枝は真っ直ぐな状態から歪むことはなかった。しかし、(小鳥たちは)歌いながら、一杯の喜びを持って葉の間で(その日の)最初の時間を迎えていた。そして葉の方はというと、それ(小鳥たち)の韻律に伴奏をしていた。

 

   エデンは「聖なる山(santa monte)」と呼ばれる煉獄山の頂上にあって、現世の時間に支配される最果てであり、天国に最も近い場所でもあります。煉獄に来ることができた者は、現世での罪の軽重によって遅いか早いかはありますが、誰もがエデンに入園して、天国への旅の準備をします。その楽園は、浄罪を成し遂げた霊魂のみが憩う場所なので、そこの森は「聖なる森(divina foresta)」と呼ばれ、そこに吹く「甘美な風(soave vento)」は「甘いそよ風(aura dolce)」なのです。しかも、その風は、エデンの木々の小枝や葉を揺らすのですが、小鳥たちのさえずりや巣作りをするのを妨げることはありません。枝と葉を揺らす風の音は、「小鳥たちの詩歌(鳴き声)の伴奏(bordone a le sue rime)」のように調和が取れているのです。

   「最初の時間(ore prime)」とは早朝のことです。しかも、複数形なのでダンテの時代の時刻では日の出から2時間後ぐらいを想定すれば良いでしょう。煉獄山で最も美しい場所は、その頂上に位置するエデンの園です。さらに、その園の中でも最も爽快で神聖な光景は、上の引用文の中で描かれている早朝の頃に見ることができます。そのエデンに辿り着いてはじめて、煉獄は「浄罪の山」であり、また「聖なる山」であることが実感させられます。