【改訂版】『神曲』煉獄登山14.煉獄門 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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夜明け前に見る夢は正夢

   煉獄前域(アンティプルガトーリオ、Antipurgatorio)の境界に着いた時、煉獄時間は「夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた(『煉獄篇』第9歌7~9)」、すなわち間もなく午後9時になろうとしていました。ここまで連れ立って歩いて来た5人(吟遊詩人ソルデルロニーノ判事、ルニジアーナ領主クルラード2世、ウェルギリウスそしてダンテ自身)が、草の上に腰をおろしました。ところが、肉体を持っていた(原文は「アダムのものを身に着けていた:che meco avea di quell d’Adani」同10)ダンテだけが「睡魔に負けて (vinto dal sonno)同11」草の上で眠ってしまいました。ダンテは、ひどく疲れていたので夜明け前まで熟睡してしまったようです。すると、次のようにツバメのさえずりが聞こえました。

 

   朝方近くなると燕は、昔受けた痛手を思い出すせいだろうか、もの悲しげな歌をうたいはじめる。(『煉獄篇』第9歌13~15、平川祐弘訳)

 

   巡礼者ダンテは、「朝方近く、燕が悲しみの曲を歌いはじめる時刻 (原文:Ne l’ ora che comincia i tristi lai / la rondinella presso a la mattina)13~14」に夢を見ました。この燕(la rondinella)の悲歌(i tristi lai)も夢の中の出来事だと見なすことも可能ですが、煉獄前域の自然の中で起こった現象だと解釈すべきでしょう。しかし、結局のところは読者の主観と嗜好の問題かも知れません。ただし、「燕」と「悲歌」との連関はギリシア・ローマ神話に由来していることは確かです。

 

ツバメとナイチンゲールの物語

   ツバメとナイチンゲール(nightingale, 伊語:ウジニョーロusignolo)の物語は、「ピロメーラ神話」として知られています。アテーナイ王パンディーオーンの娘には、姉プロクネーと妹ピロメーラがいました。パンディーオンは、かねてから軍神マルスの勇猛な血筋をアテーナイ王家に取り入れたいと願っていました。ちょうどその時、アテーナイが蛮族の来寇を受け、それを軍神の息子テーレウスが救ってくれました。それを機に、パンディーオーンは自分の長女プロクネーをテーレウスと結婚させました。そして、二人の間にイテュスなる息子まで儲けましたが、テーレウスは妹のピロメーラに懸想して、力ずくで彼女を犯し、告げ口ができないように彼女の舌を切り取ってしまいました。しかし、ピロメーラは、布地に文字を織り込んで姉のプロクネーに知らせたので、二人の姉妹は復讐を企てました。まず、テーレウスとプロクネーの間に生まれた子イテュスを殺して、その肉を調理して夫の食卓に出しました。テーレウスはそれと知らずに食べてしまった後で、そのことを知らされました。激怒したテーレウスは、抜き身の剣を振りかざして、その姉妹を追いかけました。ところが、その姉妹には翼がはえて宙を飛んで逃げました。ひとりは森の方へ飛んで行き、もうひとりは屋根の下へ入り込みました。羽毛の赤い部分は殺戮の血の跡だと言われています。また、テーレウスも悲しみと復讐心のために鳥に転身して、額には冠状の毛がはえ、顔面には剣のかわりに異常に長いくちばしが突き出ました。それは「ヤツガシラ(ラテン語:epops、英語: hoopoe)」という名の鳥で、その頭部は武装したような格好です。しかし、ピロメーラとプロクネーの姉妹のうち、どちらがナイチンゲールになり、どちらがツバメになったかは、説が分かれています。一般的にはピロメーラがナイチンゲールになったという説が多数を占めているようです。とくにナイチンゲールは、本家本元のギリシア・ローマ文学よりも、イギリス文学で脚光を浴びています。おそらく、ナイチンゲールは、「小夜啼鳥(サヨナキドリ)」や「夜鳴き鶯」の別名でも呼ばれているように、春しかも人々が寝静まった真夜中に鳴くので――本当は余り啼かないようですが――実際にその声を聞いたことのある人は少なく、その姿を見た人はさらに少ないと言われています。それゆえに、神秘的な鳥と考えられ、それにギリシア神話の悲劇的な物語も加味されて、人気のある鳥です。参照:オウィディウス『転身物語 (Metamorphoses)』第6巻412~674。

 

   巡礼者(登場人物としての)ダンテは、熟睡してしまいましたが、夜も明けようとしていた時に、ツバメが鳴き始めました。その声に目覚めるのではなく、むしろ誘発されて夢を見ることになったのです。上述の神話の中では、プロメーラもプロクネーも、両者共に同じ「昔の痛手の記憶 (memoria de’ suo’ primi guai)15」を持っていました。それゆえに、もしその夢見が夜半であればナイチンゲールの「悲しげな歌(tristi lai)13」と描写されていたことでしょう。ダンテは、『地獄篇』でも「朝方近くに真実の夢を見る( presso al mattin del ver si sogna)第26歌7」と言っています。そして、『煉獄篇』では、その具体的な理由を次のように言っています。(※sognarsi di il vero:真実のことを夢で見る)

 

   朝方近くになると燕は、昔受けた痛手を思い出すせいだろうか、もの悲しげな歌をうたいはじめる。その頃私たちの精神は、肉体を離れて遠く彷徨(さまよ)いだし、物思いに囚われることも少なくなるから、その幻想は予言的な性格を帯びてくるが、その時私の夢の中に黄金の羽をした鷲が中空に現れ、翼をはって、いまにも舞い降りようと身構えるのが見えた。 (『煉獄篇』第9歌13~21、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

(直訳〕

   夜明けが近づくと、ツバメは、おそらく早期に受けた痛手の記憶が原因で、悲しい哀歌を歌い始める。そしてまた、私たちの精神は、肉体から巡礼するようにできるだけ遠くへ離れて雑念に拘束されることが少なくなると、それ(精神)は、夢の映像によげんのようなものが存在するようになる。以上のような時刻に、私は、夢の中で、金色の羽の鷲が翼を広げて天空を舞い、そして一心に降下しようとしているのを、見ているように思えた。

 

   上記の詩行から33行目までの箇所は、「ダンテが見た神秘的な夢の場面」として有名な部分です。しかし、結局のところ、ギリシアのガニュメデス神話を基盤としてイカロス神話を合成させたものだと言えます。人間の中で最も美しい少年ガニュメデス(トロイア王プリアモスの祖父の弟)がゼウスに見初められて、神々の酒宴の奉侍者にするために、神の使いの鷲によって天上(オリュムポス)に拉致された神話に、イカロスが父ダイダロスの発明した飛行機に乗って高く飛びすぎたがために、蝋の翼が太陽の熱で溶けて墜落した神話を合成させているように思えます。夢に出て来た金色の鷲は、急降下してダンテを鷲づかみにして、急上昇する様子は次のように描かれています。

 

   それからしばらく鷲は空をめぐる様子だったが、いきなり雷のような凄まじい勢いで落ちかかると、私を引っ攫って火天の近くまで舞いあがった。鷲も私もそこで炎上するかに思われた、夢の中の火勢のあまりの激しさに私の睡りはおのずから破れた。 (『煉獄篇』第9歌28~33、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

   

〔直訳〕

   その後、(鷲は)しばらく転回したのち、恐ろしい稲妻のように急降下して、私を強奪して月天の下にあるという火炎層の上空まで連れて行ったように思えた。そしてそこで、鷲と私は燃えあがったように思えた。そして、夢の中で火炎が焼こうとしたので、眠りは醒めなければならなかった。   

 

   イカロスの太陽への飛行を連想させる「火炎層のところまで (infino al foco)30」飛揚することによって、ダンテと鷲は焼け死にそうになったところで、眠りから醒めました。すでにその時、目の前にいたのはウェルギリウスだけで、道連れの他の三人ソルデルロ、ニーノ判事、クルラード2世の姿はありませんでした。その時の時刻は、午前6時の日の出から「太陽はすでに2時間以上の高さにあった (il sole era alto già più che due ore)44」ので、午前8時を過ぎていました。ダンテが前夜に眠りに入ったのが「夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた」午後9時少し前でしたので、12時間ほど眠ったことになります。

 

移動手段

 

   ダンテの『神曲』の旅は、巡礼なので原則的には徒歩です。地獄界においても圏谷の境は歩いて越えますが、ときどき変化に富んだ方法が用いられています。たとえば、第8歌のステュクスの沼はプレギュアスが漕ぐ舟を使いました。また、第12歌に描かれた血の川プレゲトンは、半身半馬ネッソスの背に乗って渡りました。第17歌では第7圏谷から第8圏谷へ空飛ぶ怪獣ゲリュオンに乗せてもらいました。また、第23歌では、第8圏谷第5濠で怒った鬼たちに追いかけられたのでウェルギリウスがダンテを抱きかかえて第6濠へ逃げました。さらに、第31歌に描かれた場面では、巨人アンタイオスの掌に乗って第8圏谷から第9圏谷へ降りました。その他にもいろいろと趣向を凝らした移動手段が使われていますが、その中でも単純ではあっても、最も神秘的な方法は、今回の煉獄において使われたのと同じ睡眠中の移動法です。

 

   まず最初は、三途の川アケロンを渡るとき、渡し守カロンに乗船を拒否されたダンテは、次のように眠りに落ちました。

 

   涙に濡れた大地は一陣の風を発し、風は真紅の稲妻を飛ばし、その稲妻は私の五官を奪った、私は昏睡に落ちた人のようにばたりと倒れた。 (『地獄篇』第3歌、133~136、平川祐弘訳)

 

   そして、アケロン川を渡り終えて、向こう岸の辺獄(リンボ)に着いた時、次のように目を覚ましました。

 

   激しい雷鳴が頭の中の深い眠りを破った、無理やりに叩き起こされた人のように私はがばとはね起きた。そしてまっすぐに立ち上がると、疲 れのとれた目を動かして、私がいる場所がどこかそれを見定めようと、しっかりと視線をすえた。 (『地獄篇』第4歌1~6、平川祐弘訳)

 

   そして、もう一つの箇所は、ダンテが、第2圏谷で義姉フランチェスカと義弟パオロの不倫の恋の余りにも悲しい結末に気を失って倒れました。そして気が付くと第3圏谷にいました。その模様は次のように描かれています。

 

   この義姉と弟の哀れな物語に私は悲しみ心千々に乱れ、意識を失って倒れたが、気がついてみると、私のまわりは、前へ出ても、横を向いても、またいずこを見ても、およそ見たためしもない呵責と呵責にさいなまれた人ばかりだった。 (『地獄篇』第6歌1~6、平川祐弘訳)

 

昏睡状態で移動

『ダンテの神秘的な夢』フェラーラの細密画(ヴァティカン図書館所蔵)

 

   地獄での昏睡状態は、突然に意識不明にさせて場面を移動させるための手段でした。恐怖と悲しみが極限に達したときに起こる状態でした。一方、煉獄界においての眠りは慈悲に満ちています。また、文学的技巧においても優れています。前述の「鷲にさらわれる夢」は、ただの夢ではなく、実際に起こったことに誘発された現象でした。すなわち、煉獄でダンテが体験している出来事と彼が見ている夢の世界がパラレルの関係になっているのです。空を舞って飛んできた黄金の羽の翼を持った鷲が、ダンテをつかんで月天の下の火炎層の近くまで飛んで行き、その熱さで目が覚めたという夢の出来事を、ウェルギリウスが次のように説明しています。

 

   いましがた、まだ日が昇る前の薄明時(たそがれどき)に、あの下の谷間を飾る花の上で、おまえの魂は〔肉体の〕中で眠り込んだが、その時一女性が現れていった、「私ルチーアです、この人の道程を楽にしてあげるのですから、この寝ている人を連れて行くのをとめないでください。」 ソルデルロをはじめ他の高貴な人々はそこに居残った。もう日が明るかったから、彼女はおまえを抱いて上をさして進んだ、私はその後から従った。ここにおまえを置いたのだが、止まる前に美しい目で、あの開いている口を示してくれた、そして彼女が去ると、睡気も同時に去ったのだ。 (『煉獄篇』第9歌52~63、平川祐弘訳)

 

   鷲につかまれて運ばれた夢の正体は、聖ルチーアに抱きかかえられて煉獄門の麓に広がっていた草地からこの門前の広場まで移されたことでした。

 

聖女ルチーア

   ダンテは『神曲』の中で「ルチーア」に重要な役割を与えています。『地獄篇』では第2歌で、聖母マリアの側近として仕える聖女です。ダンテが森の中で迷っているのを見たマリアが、まずルチーアを呼んで「お前を信心している男がおまえの助けを乞うていますから、その男を頼みます(平川訳)」と依頼しています。その文言から、ダンテもルチーア信仰を持っていたことが分かります。そして、ルチーアは、自らが救いに出向くのではなく、ベアトリーチェにダンテ救出を依頼していました。今回の『煉獄篇』では、ルチーア自身が助けの手を差し延べるためにやって来ています。ちなみに、ルチーアは、もう一度、『天国篇』第32歌にも登場します。その箇所でも、「おまえの目が下に向いて、おまえが破滅に瀕した時、夫人を動かした方だ」と紹介されます。その時の紹介者は聖ベルナールなので、「そのおまえの夫人(la tua donna)」とはベアトリーチェを指します。

 

煉獄門の前庭

 

煉獄門

   ようやく、ダンテたちは「煉獄門」の下に辿り着きました。その時の模様は次のように描写されています。私個人としては、その箇所の翻訳は野上素一先生の解釈に賛同していますので、ここではその訳を使いましょう。

 

   さて私たちがさらに進むと、さきほどは、私の目には岩壁を分ける裂け目のように見えていたところについた。そこに私は一つの門とその下方に、そこへ達するための三つの段と、ものをいわない一人の門番を見た。そこで私が目をいっそう大きくひらくと、最上段にひとりの者が坐っているのを見たが、その顔は私には凝視するに堪えなかった。つまり彼は一本の白刃を手にしており、それがひどく光線を反射させるので、私はしばしば顔をそちらに向けようとしたが無駄だった。 (『煉獄篇』第9歌73~84、野上素一訳)

 

   煉獄の門前に着いたダンテは、遠目には「一つの門(una porta)76」と「三つの階段(tre gradi)76」と「一人の門番(un portiere)78」のようなものが見えました。さらに目をしっかと開けて凝視すると「その者は階段の最上段に坐っているのが見えた(vidil seder sovra ’l grado sovrano)80」(vidil=lo vidi「私は彼を見た」)と言っていますので、あの門番は、この階段の最上段に陣取っている門番と同一人物です。そして、その門番は、「抜き身の剣(una spade nuda)82」を手に持っていました。ここで思い出されるのが、「地獄門」です。この二つの門の相違を端的に表している言葉は「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」という『マタイによる福音書』(7章13-14)の文言です。「憂いの国へ行く者」や「永劫の呵責に遭う者」や「破滅の者に加わる者」であれば、地獄門は無審査で通過することができます。すなわち、「何人にも入ることが拒絶されない門 (la porta lo sui sogliare a nessuno è negato)『地獄篇』14歌86-87」なのです。むしろ、強制的に通過させられる、いわゆる「広き門」です。ところが一方、煉獄門はこの門番の審査を受けなければなりませんので、「狭き門」なのです。

 

ドメニコ・ディ・ミケリーノ(Domenico di Michelino:1417–1491)画の煉獄の部分。

煉獄門が中央に描かれて、左下が地獄門で、「汝ら中に入る者は、一切の望みを放棄せよ(LASCIATE OGNE SPERANZA, VOI CH’INTRATE)」と書かれています。

 

煉獄の登山許可を与える天使

   いかめしい態度の門番(il cortese portinaio)は、煉獄への入界審査をして許可を与えた者に登山の心得を授ける天使でした。まず、天使は、「お前たち、私たちの階段まで進め(Venite ・・・a’ nostril gradi)93」と命じました。複数形なので、ウェルギリウスも同時に呼ばれたのでしょう。または、他の入山予定者も同時にその場にいたとも考えられます。そりあえず近くに進むと、その階段が三層構造になっているのが分かりました。次のように説明されています。

 

   そこで私たちは第一の段まで進んでいった。それはたいへん清くなめらかな大理石だったので、私の姿はそっくりそのまま中に映っていた。 (『煉獄篇』第9歌94~96、野上素一訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私たちは、そこ(煉獄門)へ来た。最初の踏み段は、とても清く澄んだ白い大理石であったので、私はその中に見えるままの私を映していた。

 

   下から二番目の踏み段は、次のように描写されています。

 

   第二の段は暗紫色よりも色が濃くて縦にも横にもひびがはいっている粗い焼石であり (『煉獄篇』第9歌97~99、野上素一訳) 

〔原文解析〕

〔直訳〕

   第二番目の踏み段は、濃紫色よりも更に濃い色になっていて、ざらざらで焦げた石で造られていて、縦方向と横方向へひびが入っていた。

 

   そして、三番目の踏み段が最上段になっていて、、次のように描かれています。

 

   その上に積まれた第三の段は、まるで血管から血がほとばしっているみたいに赤い炎のような斑岩(はんがん)であった。  (『煉獄篇』第9歌100~102、野上素一訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   第三番目の踏み段は、その(二段目の)上に固定されていて、血管の外へ噴き出すところの血液のように炎となって燃えている斑岩のように私には見えていた。

 

   そして、その三番目の踏み段の上には、次のように門衛天使は座っていました。

 

   その上には天使が両方の足の裏をのせ、私にはどうやらダイヤモンドらしく思われる閾(しきい)の上に座っていた。 (『煉獄篇』第9歌103~105、野上素一訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

     その(三段目の踏み段の)上に、神の天使が両足の底と置いて、私にはダイヤモンドの石のように見えた敷居の上に座っていた。 

 

 

   野上本の注釈にも書かれているように、その三つの階段は、「心の痛恨」、「罪の告白」、「行いの贖い」の象徴だと考えることができます。さらに野上先生の注釈を紹介しておきましょう。「最下段は汚れない心に自分の姿を映させ、第二段の黒い色は心の暗い影を示し、縦横のひびで心の執拗に勝つことをしめしている。第三段の赤い色は改悛によって神意を満たそうとする燃える心の愛をしめしている」と解説されています。さらに、著名なダンテ学者シングルトン(Charles S, Singleton)が述べているように、「血管から噴き出る血(sangue che fuor di vena spiccia)102」は、キリストの血による贖いに報いることを意味している、と解釈もできます。

プリアーモ・デッラ・クエルチャ(Priamo dell quercia)画

 

   三層の階段の最上階には「ダイヤモンドの石材のように見えた敷居(la soglia che mi sembiava pietra di diamante)104-105」があって、その上に「神の御使い(l’angel di Dio)」が坐っていました。そして、ダンテはウェルギリウスに手を引かれて階段を上り、「天使の足元にひれ伏しました(mi gittai a’ santi piedi)」。そして、「私のために開けくださる慈悲をこいました(misericordia chiesi ch’el m’aprisse)110」。そして、「胸を三回叩きました(tre volte nel petto mi deidi)111」。

 

胸を三回たたいて祈る行為

   新約聖書の『ルカによる福音書』の第18章(9-14)に、自分を善人だと自任して他人を見下げているパリサイ人と自分を悔いている取税人の話が出ています。パリサイ人は「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています。」と、神に祈りました。一方、取税人は、祭壇から遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と、祈りました。神がその祈りを受け入れたのは、パリサイ人ではなく取税人の方でした。胸をたたくという行為は、心から悔いているという証になったからでした。

ダンテは、煉獄門の天使の前で三回胸をたたきました。その行為の由来は、上記の『ルカ伝』によるものだと解釈されています。では、「三度(tre volte)」という数字は何に由来するのでしょうか。それは、カトリック教会において罪を告白する祈祷文によるものであると言われています。キリスト教の聖歌のほとんどは、最初の文言が題名になっています。その聖歌も最初の詩句『コンフィテオル(Confiteor)』がその題名になっていて、その祈祷文の全文は次のよう詩文です。

 

      私は告白します。全能なる神へ、そして信仰仲間の方々よ、あなた方へ(告白します。)なぜなら、私は大きな罪を犯しました、心の中で、言葉で、行為で、失敗をしたことで。(私は罪を犯しました)私の過ちによるもの、私の過ちによるもの、私のこの上ない過ちによるもの。常しえの処女マリア様が、すべての天使たちが、聖者の方々が、そして兄弟たちが、私のために、我らの主なる神デウスに祈ってくれることを私は懇願します。(筆者訳)

 

   上の祈祷文の中央部にある文言「メアー・クルパー(mea culpa)」と唱える時には、拳で自分の胸を叩くのが祈りの決まりになっています。同じ「メアー・クルパー」の言葉を発して二度胸を叩きます。そして、三度目は「メアー・マクシマー・クルパー」と言いながら胸を叩きます。ダンテが煉獄門の天使の前で三回胸を叩いたのは、この祈祷方式によるものでしょう。ちなみに、〈mea culpa〉というラテン語は、今日では英語化していて、英語辞書にも普通に載っている言葉です。真面目な時もふざける時も「私が悪うございました」という意味で使えばよいのではないでしょうか。ちなみに、野上訳では「天使はまず私の胸を三度ばかりうった」とありますが、原文は「その前に、私は三回胸に殴打を与えた(tre volte nel petto pria me diedi)」となっているので、ダンテ自身が自分の胸を自分の手で叩いたのです。

 

額に刻んだ七つのP文字

   ダンテが煉獄門を開けることを懇願したとき、門衛天使は持っていた剣でダンテの額に〈P〉の文字の傷を七つ刻みました。そして、「中に入ったらこれらの傷を洗い流すように努めよ(Fa che lavi, quando se’ dentro, queste piaghe)113-114」と命じました。その〈P〉の文字は、ラテン語の「罪」を意味する「ペッカートゥム(Peccatum)」の頭文字です。これからダンテは、煉獄山の七つの環道(コルニーチェ:cornice)で、七つの罪を浄めながら登ることになります。前もって、その環道で浄める罪名を紹介しておきましょう。第1環道では「傲慢の罪(peccato di superbia)」、第2環道では「嫉妬の罪(peccato di invidia)」、第3環道では「憤怒の罪(peccato di ira)」、第4環道では「怠惰の罪(peccato di accidia)」、第5環道では「貪欲の罪(peccato di avarizia)」、第6環道では「美食・貪食の罪(peccato di gola)」そして第7環道では「色欲の罪(peccato di lussuria)」が、それぞれ浄罪されます。

 

 

煉獄門を開ける二つの鍵

   門衛天使は、衣の下から鍵を二つ取り出しました。一つは金色で他の一つは銀色でした。まず銀色の鍵を使い、ついで金色の方を使って、ダンテの望み通りに開いてくれました。そして、天使は、それらの鍵について次のように説明しました。

 

   この鍵のどちらか一つでも合わなくて錠の中で正しく回らないようなことがあると・・・この通路はもう開かぬ。金の鍵の方が大切だか、もう一つの銀の方は、結び目を解く鍵だから、錠を開ける前に非常な技能が必要とされる。この鍵を私はピエトロから授かったが、もし人々が私の足下にひれ伏すならば、たとえ間違おうが、門を閉じるよりは開くが良い、といいつかっている。(『煉獄篇』第9歌121~129、平川祐弘訳)

 

   この金と銀の鍵については、天使自ら「ピエトロからそれらの管理をまかされている (Da Pier le tegno)127」と言っています。ということは、新約聖書『マタイによる福音書』の第16章(17~19)に出ているピエトロがイエスから託された鍵のことです。聖書のその箇所は、次のように記述されています。

※上記の「ピエトロ」はイタリア名です。ギリシア語名では『ペテロス』、英語では「ピーター」、フランス語では「ピエール」、スペイン・ポルトガル語では「ペドロ」と呼びます。日本では「ペトロ」とか「ペテロ」と表記しますが、ラテン語の〈Petrus〉の奪格や与格〈Petro〉の語形が聖書には多く見られるので、そう呼ばれることになったのではないか、と私は推測しています。

 

   イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 (『マタイによる福音書』の第16章17~19)

 

   「天国のかぎを授けよう」のラテン語訳聖書『ウルガータ』の原文は「天の王国の鍵を私は汝に与えよう(tibi dabo claves  regni caelorum)」となっていて、鍵(claves)は‘clavis’の複数形なので、複数本であったことは確かですが、具体的に何本あったかは不明です。ダンテは「二本説」を取っていますが、その正確な根源は分かりません。ダンテの神学に多大の影響を与えたトマス・アクィナスは、『神学大全 (Summa Theologiae)』の中で「二本の鍵はかくのごとく区別されている (hoc distinguuntur duae clave)」と、鍵は二本であると限定しています。そして、その鍵の役割を、一つは赦免に値する者かどうか判断する鍵で、もう一つは赦免する鍵です。その鍵を、金と銀に色分け(材質分け)したのは、ダンテ個人なのか、それとも他の誰かからの影響なのかは分かりません。ダンテが「金の鍵のほうが大切」と言っているように、金の鍵は、告白者に赦免を与える権能を象徴していて、それは神から委託されているものなので、その鍵の方が大切なのでしょう。いっぽう、銀の鍵は告白者の懺悔が本当で、赦免に値する人物なのかを判断する能力を象徴しています。天使は、まず最初に、原文では「白い方(la bianca)119」と言っている「銀の鍵(la chiave d’argento)」を「錠前(la toppa)」に差し込みました。次いで、原文では「黄色い方(la gialla)119」と言っている「金の鍵(la chiave d’oro)」を同じく鍵穴に差し込み、煉獄の「聖なる門(la porta sacrata)130」を、門衛天使はダンテのために開けてくれました。すると、「聖なる正門の旋回軸(li spigoli di quella regge sacra)134」が、有徳なメテッルスを連れ去られて貧しく後に残されたタルペイアのうなり声にも劣らない轟音をたてて回りました。

   タルペイアの岩(rupes Tarpeia)は、古代ローマのフォルム・ロマヌムを見下ろす位置にあったカピトリヌスの丘の南端の急峻な崖のことで、共和制ローマ時代には処刑場でもありましたが、またローマの国庫の場所でもありました。ローマを制圧したカエサルが、メテッルスの制止を突破して、その国庫を制圧した場面を、ルカーヌスが次のように描いています。

 

   すぐさまメテッルスは連れ去られ、神殿の扉が開かれた。その時、タルペイアの懸崖が響きを返し、大きな軋みの音を立てて扉が開け放たれたことを証した。この時、神殿の深奥に蔵され、長い年月、触れられたことのないローマ国民の財産、ポエニ戦役がもたらし、ペルセス王が与え、破ったピリッポス王の戦利の品として獲得した宝物、また怯えて敗走したガリア人が、ローマよ、汝に残した金塊、王の甘誘を峻拒して、汝を売り渡さなかったファブリキウスのもたらした金貨、さらに、節倹の祖父らの質実の美風が蓄えてきた数々の財物、富めるアシアの民々が貢物として贈り、ミノス王ゆかりのクレタが勝利者のメテッルスに差し出し、カトーが遥か遠い潮路を越えてキュプロスから運び来た財宝が、ことごとく運び出された。さらに、ポンペイウスの数々の凱旋の列を先導した東方の冨や捕虜となった王たちの宝物が、ことごとく運び出された。神殿は、哀れにも、略奪され、鹵獲された。この時、初めてローマはカエサルよりも貧しくなったのだ。 (ルカヌス『内乱(パルサリア)』第3巻165~179、大西英文訳、テキストによっては、153~168)

 

煉獄門をくぐる

   轟音を響かせて開かれた煉獄の門の向こうから『神よ我らは汝を讃美する (Te Deum laudamus)』という聖歌が聞こえてきました。その聖歌は、聖アンブロシウス(Ambrosius,  340~397)によって作詩されたといわれています。現代でも、ヘンデル、ハイドン、ヴェルディ、モーツァルトなどの有名な作曲家も曲をつけている最も有名な聖歌の一曲になっています。ダンテとウェルギリウスは、この聖歌に迎えられて煉獄に足を踏み入れました。ダンテのその時の雰囲気を体験するために、最後に、その聖歌の全詩を鑑賞しましょう。〔訳文はすべて筆者による直訳〕

 

   神よ、我らは汝を讃美しています。我らは汝を主と認めています。すべての地(全世界)が汝を永遠の父と崇拝しています。

止むことのない声で、汝に呼び掛けています。すべての天使たちが、天界のすべての能天使たちが、智天使たちが、熾天使たちが、汝を呼んでします。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主デウス様。

天も地も、汝の威厳と栄光に満ちています。

汝を讃美しています。使徒たちの栄光ある聖歌隊が、予言者たちの称賛すべき集団が、受難にあって殉教した兵士たちのひとりひとりが、汝を讃美しています。

陸の連なる地球の至る所の聖なる教会が、汝を認めています。無限の威厳をもつ父なる神を認めています。汝の真実で尊敬されるべき唯一の息子(キリスト)を認めています。そしてまた、神聖にして神聖なる聖霊を認めています。

 

キリストよ、汝は栄光の王である、父なる神の永遠の息子である。汝は、人間を解放する役割を引き受けようとして、処女の子宮を厭わなかった。(イエスが人間の原罪を贖うために受肉して生まれたこと。)汝は死の針を征服して、信者たちのために天の王国を開いた。汝は、父なる神の右手で父の栄光を受けて坐っています。

汝は審判者となって訪れるであろうと信じられています。それゆえに、我らは汝に願っています、汝の僕を助けたまえ、と。そして汝がご自分の貴重な血で贖った者たちを助けたまえと。汝の聖者たちと共に永遠の栄光の中で列聖させたまえ。

 

 

主よ、汝の民を健やかであらせたまえ、そして汝の遺産に祝福を与えたまえ。

彼らを導きたまえ、末長くずっと彼らを褒め高めたまえ。

我らは、毎日毎日汝を祝福しています。そして我らは、御名を崇めます、永遠に、いつの世も永遠に。

主よ、その日(最後の審判)には、罪を無くして私たちを守ろうとなさってください。

私たちを憐れみください、主よ、私たちを憐れみください。

願わくは、主よ、汝の憐れみを我らの上に与えられんことを。我らが汝に望んだように。そして、主よ、私は望んできました、永遠に心が乱されることがないように、と。