『神曲』煉獄登山13.煉獄の東の空に輝く星座 | この世は舞台、人生は登場

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春はあけぼの

   『煉獄篇』第9歌の冒頭文は、極めて難解です。ダンテ学者によって見解が分かれています。私も、誤りを覚悟で、個人的見解を述べてみます。

   まず、直訳は次のようになります。

 

   老人ティトーノスの内縁の妻は、彼女の愛しい恋人の両腕を離れて、東の高台の上ですでに白けていた。すると、彼女の額は、尾で人間を殴打する冷たい生き物の姿をした宝石で輝いてきた。そして、私たちのいた場所では、夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた。(『煉獄篇』第9歌1~9、筆者訳)

〔原詩解析※イタリア語原文への解説は、イタリア語は未修得だが英語は習得している人用です。

〔解読〕

   「老人ティトーノスの内縁の妻」とは、曙の女神アウローラ(ギリシア神話のエーオース)です。その女神に関する神話は多く存在していますが、ティトーノスとの逸話はその一つです。その神は、トロイア王ラオメドンとスカマンドロス河神の娘ストリューモーとの間に生まれた息子なので、プリアモスの兄弟ということになります。ティトーノスは美青年で、アウローラに愛され、その女神の嘆願によりゼウスから永遠の命をさずかりました。ところが、永遠の若さを願うことを忘れましたので、ティトーノスは老衰して遂には声だけになってしまいました。それを悲しんだアウローラは彼を「蝉」に変えました。

   この歌章の2行目「(アウローラが)東の高台の上ですでに白けていた (gia s’imgiancava al balco d’oriente)」という詩句が描き出す情景は、まさしく「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく、山ぎわすこしあかりて」という『枕草子』の世界を彷彿させます。そして、冒頭の3行の意味に関しては、解釈に問題はありません。しかし、次の三行(3行目から5行目)には、「尾で人間を殴打する冷たい生き物 (il freddo animale che con la coda percuote la gente)」という一節の解釈の違いによって、「サソリ座(天蝎宮:てんかつきゅう)説」と「魚座(双魚宮:そうぎょきゅう)説」の二つの説が対立しています。まず、有力な説は、「尾で人間を殴打する生き物(animale che con la coda percuote la gente)」という表現に焦点を当てて、その「生き物(animale)」とは、「サソリ」のことで、東の高台の上に現れた星座は「サソリ座」であると主張する意見です。その主な根拠は、ダンテが愛読していたオウィディウスの『転身物語 (Metamorphoses)15:371』の中に「サソリは出て来て、鉤形に曲がった尾で脅すだろう(Scorpius exibit caudaque minabitur unca)」というよく似たサソリの記述が見られることです。(注:exibit:動詞exeoの未来3人称単数形「出て来る」。cauda:名詞奪格単数「尾」。minabitur:動詞minorの未来三人称単数「おどす」。unca:形容詞uncusの奪格単数「鉤型に曲がった」)

   また、同じくオウィディウスの『祭暦 (Festi)』にも、「高く持ちあげた尾の尖端で威嚇するサソリ (elatae metuendus acumine caudae Scorpios)」という表現があります。(注:elatae:動詞efferoの完了分詞elatus属格単数「持ちあげる、威嚇する」。metuendus:動詞metuoの動形容詞男性単数「恐れる」。acumine:中性名詞acumen奪格単数「槍先、尖端」。caudae:名詞cauda属格単数「尾」。)

      さらに、新約聖書『黙示録』(9:5)には、「彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった」という文言が見られます。そしてさらに、ダンテ自身も『地獄篇』第17歌で、怪獣ゲリュオンを「尖った尾を虚空に振りあげ、毒を含む、蠍のように二叉にわれた尾の先をぎりぎりよじった(平川訳)」と描写しています。

   そして、以上の文献学的根拠に加えて、さらに天文学的にも「サソリ座説」の優位を主張する意見もあります。「サソリ座」には一つの1等星と五つの2等星があり、きわめて目立つ星座です。それにひきかえ「魚座」を形作っている星は、3等星より明るい星がないので、あまり目立たない星座です。彼女(曙)の空(額:fronte)に輝く宝石(gemme)に喩えるためには、「魚座」の星では明度も輝度も不足なので、「サソリ座」でしかあり得ないという主張です。

   以上、述べてきたように、その生き物の正体は、「サソリ座説」に決着がついているように感じられます。詩節の中から「魚」を連想させるものは「冷たい生き物(freddo animale)」という詩句だけなので、「魚座説」を唱える根拠は弱いと認めざるをえません。さらにその唯一の根拠でさえも、「その詩句はサソリが冷血動物であることを表している」と言って反駁されることでしょう。しかし、これまでの論争には、大きな盲点が存在しています。それは、星座の運行を考慮に入れていない、ということです。

 

煉獄時間は午後9時少し前

   ダンテは、『神曲』の旅を進める所々で通過時刻を示しています。私のブログでも、その表示がある度ごとに明示してきました。たとえば、煉獄に到着した時刻は朝6時煉獄前域(Antipurgatorio)に到着時刻は午前9時怠け者ベラックワに出会った時刻は正午吟遊詩人ソルデルロに出会った時刻は日没6時、等々です。

      そして、この「第9歌」の冒頭箇所においても、「私たちのいた場所では、夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた」と時刻を明示しています。『神曲』の中では、読者はこのような描写の中で、時刻を推定してなければなりません。

   煉獄前域(アンティプルガトーリオ)に到着したのが午前9時でした。その時間の割り出しは、ウェルギリウスの「(私の)亡骸が埋葬されている彼方(ナポリ)は夕方である(Vespero è già colà dov’ è  sepolto lo corpo )煉獄篇3歌25~26」という言葉が唯一の手がかりでした。その詳しい説明は、私のブログ「『神曲』煉獄登山3」の「煉獄はいま午前9時」の箇所を参照してください。そして、そこで出会ったシチリア王マンフレーディの「霊魂との話に夢中になっている間に、太陽はたっぷり50度は昇ってしまっていました(『煉獄篇』第4歌14~16)。」

   原詩は次のようです。

   以前のブログ「煉獄登山3」の中で説明しましたが、ここでも再度、確認しておきましょう。長年の多くのダンテ学者の研究成果として、煉獄の旅の通過時刻が解明されています。煉獄前域に到着した時刻は午前9時で、太陽が45度の空まで昇っていました。しかし、上で引用した詩句の中では、太陽は「50度(cinquanta gradi)」の高さにまで上がっています。その具体的な数字は、『神曲』の中を巡礼するダンテの通過時刻を推定するための重要な基本情報になります。天動説の太陽は、地球の周囲を24時間かけて1周します。すなわち、360度回るのですから、45度まで上がるのには3時間(180分)を要することになります。ということは、1度上がるのに4分かかることになります。その結果、太陽が50度の位置まで上がっていましたので、5度だけ動いたということです。それゆえに、太陽が「50度」の高さにあったということは、その時刻は9時20分でした。では、ダンテの時間の概念について検証してみましょう。

時間の概念

   私のブログ「『神曲』煉獄登山1.地獄から煉獄へ」の中で、ダンテの時代の一日の時間について考察しました。当時の庶民にとって、時間を知る方法は、教会や町の施設などで鳴らされる鐘の音を聞くことでした。ダンテも、時間の経過を知る能力を、私たち現代人のように視覚ではなく、聴覚によって「それを傾聴する能力 (potenza・・・ che l’ascolta) 『煉獄篇』第4歌10」と言っています。

   ダンテの時代には、一日は昼(日の出から日没まで)と夜(日没から日の出まで)に大別されてはいましたが、昼間だけが重要で、夜は活動できない休むためだけの時間帯でした。『煉獄篇』でもソルデルロが指で地面に線を引いて夜のことを次のように説明しています。

 

   この線ですら日没後は跨ぐことはできません。上へ行くのを妨げるものは夜の闇以外のなにものでもないので、闇が能力を奪い、気力を喪失させるのです。水平線の下に日が幽閉されている間は、夜の闇とともに下へ降り、山の麓をさまよい歩くことしかできないのです。(『煉獄篇』第7歌53~60、平川祐弘訳)

 

   一日とは、日の出から日没までの太陽が天空に存在している時間帯のことで、それを12等分します。それを「オーラ(ora)」と呼びました。言うまでもなく、ギリシア・ラテン語の「ホーラ(hora)」、英語の「hour」と同類の単語です。そして、その12等分したものを3オーラごとに4分割した長さを「テルツァ(terza)」と呼んでいます。(まだ、適切な日本語の訳語がないので、私の独断と偏見で「限時」と訳しておきます。)ということは、一日は4限時で成り立っています。そしてさらに、1限時を半分に割って、それを「半限時(mezza terza)」と呼んでいます。下に貼付する解説図を参照してください。

 

   「半限時」を現代風に「1時間半」すなわち「90分」という解釈をすることはできません。なぜならば、前述したごとく一日は、太陽が出て沈むまでの時間帯をいうので、その長さは変動します。当然、夏に近づけば昼間の時間帯は長くなって限時(テルツァ)も長くなります。逆に、冬に近づけば短くなっていきます。偶然なのか意図的なのかは分かりませんが、ダンテが『神曲』の中で冥界訪問を行っている時節が復活祭の期間ということで、春分の日に最も近い時期でした。ということは、昼と夜の長さがほとんど同じなので、午前6時に陽が昇り、午後6時に陽が沈む時節なのです。そのことを念頭に置いて、再度、前出の詩文を読み返してみましょう。

 

   私たちのいた場所では、夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた。(煉獄篇9歌7~9)

 

   イギリスの有名なダンテ学者エドワード・ムーア(Edward Moore, 1835–1916)は、「夜が登る歩み (passi con la note sale)」とは、夜が真夜中へ向かって進むことだと解釈しました。現代では、その解釈が定説化しています。ということは、全くの私見ですが、真夜中から朝に向かうことは「降りる(scendere)」という感覚でとらえればよいでしょう。そして、その歩みの「2歩(passi due)」は「2オーラ(ore due)」すなわち現代的にいえば「2時間」のことだと解釈されています。それに従って、「3歩目(il terzo passo)」が「翼を下方へ向けていた(chinava in giuso l’ale)」とは、「3歩目の足を降ろそうとしていた」という状態を言っているのです。ここの「翼」の比喩は、ダンテには珍しく取って付けたような不自然さはあります。ムーアの言葉を借りるならば“a little mixed”ということになります。しかし、意味としては間違いはなく理解できます。すなわち、ダンテたちが煉獄にいる現地時間は、夜の8時半から9時までの間です。下に貼付した挿図は、その地球の時刻と星座の位置関係を表した地図です。ただし、現世(北半球)側から眺望すると東の果てはインドで、西の最果てはジブラルタルですが、煉獄(南半球)側に立つと、その逆になります。すなわち、ジブラルタルが東の端になるので、想像力によって逆転させてください。

【参考】地球の周りを自転する太陽の進路(セラリウス『大宇宙の調和』)

 

   太陽が地球の周りを回るなどということはあり得ないことで、煉獄島も架空の存在なので、それらを理論的に説明することは困難です。『神曲』の中では、地獄は太陽が存在しない地底の世界で、天国も太陽を含んだ天上の世界なので、ほとんど天体の動きを考慮する必要はありません。ところが、煉獄は、天空の綺羅星を仰いで登山するので、星座との関わりは切り離せません。太陽を初めとする天体も星座も、東から西へ動くことには変わりはありません。そして、北半球(エルサレムやヨーロッパ側)から天体を見ると、南の空を左から右へ進行します。しかし、南半球(煉獄側)からそれらを見ると、北の空を右から左へ動くことになります。しかも、地球を球体として想定すると、煉獄から見る天体の動きを理論的に把握することは極めて困難です。さらに、地獄(北半球)から煉獄(南半球)との間に12時間の時差も設定されています。確かに、『神曲』に使われている宇宙は、矛盾と思えるほど難解ですが、時間と星座と地球との関係は、私が考案した上の「地球画」で大まかなところは解決がつきます。後で、再度、この難問に挑戦してみましょう。

 

   今回のブログの本題から逸れましたが、曙の空に輝く「尾で人間を殴打する冷たい生き物 (il freddo animale che con la coda percuote la gente)」が、「サソリ座」なのか「魚座」なのか、という問題に戻りましょう。

 

やはり見えたのは魚座

   先述のごとく、詩の表現内容からすれば、圧倒的に「サソリ座説」が有利でした。しかし、その説には初歩的で致命的な誤りがあります。煉獄は夜9時頃なので、東の空に曙が現れることはありません。おそらく、真上には獅子座と乙女座が輝いていたはずです。サソリ座も夜空に姿を現し始めたころだと予想されます。では、「魚座」を見てみましょう。その星座は、牡羊座と共に進行する太陽の直前を進んでいます。ということは、太陽が現れる時刻よりも前に見ることができる星座なのです。すなわち、「魚座」こそが曙の東の空に見ることができる星座なのです。それでは、煉獄が夜9時の時点で、「東の高台(al balco d’oriente)」に魚座を見ることができる場所は何処かといえば、それは日の出の時間帯になっているイタリアに他なりません。『煉獄篇』第9歌の冒頭の詩節の最初の6行は、イタリアから見た光景を描いた描写なのです。そして、8行目の「私たちのいた場所 (loco ov’ eranvamo)」とは、いうまでもなく「煉獄」のことで、その時の煉獄時間は、日没から2時間経過して、3時間になろうとしていた時刻です。具体的に言えば、午後8時を過ぎて、9時になろうとしている時刻なのです。

   『煉獄篇』第9歌の冒頭に描かれている日の出の描写はイタリアで起こる情景を描いたものであると、私は結論づけました。その重要な根拠は、煉獄での曙の光景は、すでに地獄から煉獄に到着した時に眺めています。「煉獄登山1」では、その光景を平川祐弘訳で見ましたので、今回は私の直訳で見てみましょう。

 

   東方のサファイア(青石)の優しい採光が、はるか天界の果てまで不純物のない大気の澄み切った表面に集まり、また私の目に喜びを与えてくれた。私の目と胸を悲しませてきた死臭に満ちた(地獄の)空気の外へ私はついに出たのだ。愛によって力を与えるあの美しい惑星は、東にあるすべてのものを微笑ませていたが、彼女に付き従っている魚座をベールで覆っていた。(『煉獄篇』第1歌、13~21、筆者訳)

〔原詩解読〕

   上の光景は、巡礼者ダンテとウェルギリウスが煉獄島に辿り着いた直後の空を描いたものです。その時の時刻は午前5時半ごろで、朝6時に姿を現すことになる太陽もまだ沈んだままの状態でした。ダンテたちを出迎えた星は、「愛によって力を与えるあの美しい惑星」と描かれている明けの明星「金星」でした。魚座の星々が暗いのは、その星座自身が暗いのではなく、一緒に姿を現している金星が明るすぎて、その星の光が「ベールとなって覆う」からである、とダンテは考えているのです。そしてさらに、煉獄においてもイタリアの夜明けと同じように、間もなく曙が「東の高台の上で白けて(s’imbiancava al balco d’oriente) 煉獄篇9, 2」次に「尾で人間を殴打する冷たい生き物の姿をした宝石(gemme …in figura del freddo animale che con la coda percuote la gente) 煉獄篇9, 4~6」が輝き始めるのです。以上のような表現を元に推測すれば、やはりその動物は、「サソリ座」ではなく「魚座」であると同定せざるを得ないのです。因みに、煉獄での日の出の模様は次のように描写されていました。

 

   陽はすでに水平線に姿を見せた、その子午線の頂点はエルサレムの上を通り、夜はそれと逆の空をめぐって、天秤宮の星を従えガンジス川から外へ去った、(この星は昼よりも夜が長い間は夜の手元を離れる)。こうして私がいた煉獄の島では、美しい曙の白くほの朱(あか)い頬が、時とともに燃えたつような柑子(こうじ)色に変わっていった。(『煉獄篇』第2歌1~9、平川祐弘訳)

 

   上に貼付した挿絵は、煉獄とイタリアの日の出の時刻と12宮の配置を表したものです。煉獄の日の出の図で分かるように、太陽は、煉獄から水平線上に見えるときは、ジブラルタル上空に位置していることになります。そしてジブラルタルの正反対に位置しているインド(ガンジス)の中天には真夜中の天秤座が輝いています。そして、現時点は春分の時節なので昼と夜がほとんど同じ長さですが、徐々に昼が長く夜が短くなって行きます。そして、昼の領域が最長になった時が夏至になります。そこを越えると、今度は昼が徐々に短くなって、また昼と夜の長さが同じ秋分点になると、太陽は天秤座に留まるようになります。さらに秋分を過ぎると次第に夜が長くなって行き、昼が最長で夜が最短になった時点が冬至点ということになります。その冬至の時季の夜と昼の領域と12宮の配置図は下の挿図のようになります。

   魚座の明るさでは、曙の空に輝くには輝度不足であるという疑問がありました。しかし、私の推測が正しければ、ダンテは肉眼で見る星を重要視していなかったのではないでしょうか。『神曲』に描かれている宇宙や天体や地球は、ある面では極めて科学的ですが、またある面では空想的です。たとえば、煉獄も南半球の最果てに設定されていますが、そうであれば、北半球のイタリアとは時間も季節の反対になるのですが、あくまでも地球はイタリア時間で回転しています。たとえば、上で言及した冬至の時季には、南極に設定された煉獄では、科学的には太陽が沈まない「白夜」の状態であるはずです。しかし、煉獄の暦はイタリアと同じ時間で経過します。また星座も、明るさが問題なのではなく、位置と形とそれにまつわる神話が重要なのです。例えば、ダンテが「他極(南極)へ注意を向けて四つ星を見た (puosi mente a l’altro polo, e vidi Quattro stele) 煉獄篇1歌21~22」と言う時、その「四つ星」は、南十字星ではなく、「正義、力、思慮、節制」をそれぞれ象徴する架空の星でした。それゆえに、魚座が天文学的には輝度の弱い星座なので曙の額を飾る宝石としては照度的に不適切である、という理論は成り立たないのです。煉獄であろうがイタリアであろうが、日の出の時刻に曙(アウローラ)と共に現れる星座は、魚座(双魚宮)をおいて他にはないのです。

 

それでも「サソリ座」が見えた

   先に言及したエドワード・ムーアは、「サソリ座説」が不利な状況下でも、なおその説を主張し続けていました。ギリシア・ローマ神話のアウローラ(ギ神:エーオース)は、ラムポス(光)とパエトーン(輝くもの)と呼ばれる二頭の馬にひかれる戦車に乗って、太陽神ヘリオス(またはアポロン)の先駆けとして天空の門を開いて駆け抜けます。この神話を応用する限り、前述してきたように「サソリ座説」が成立することは不可能です。ところがムーアは、次のような理論を適用して「サソリ座説」を主張しています。最後に、その彼の論説の要旨を紹介しておきましょう。

   ダンテは、『神曲』の中で、ギリシア・ローマ神話を変容させたり改作したりして使用しています。アウローラ神話もその中の一つです。上述したように、アウローラは太陽の前を進むので、「日の出前の薄明かり」のことを指します。しかし、ムーアは「日の入り前の薄明かり」もアウローラと呼ぶことが出来ると言っています。そして、日の出前のアウローラを「太陽のアウローラ (solar Aurora)」と呼び、日没後の月の出る前に東の空が明らむことを「月のアウローラ (lunar Aurora)」と、彼は名付けています。ダンテが煉獄前域に留まっている現地時間は、4月10日の復活祭の夜です。(下に添付した旅の行程表を参照)。

 

 

 

   確かに、煉獄前地に滞在して明かそうとする夜は、満月から三日目にあたるので月光はまだ明るく輝いていたことでしょう。ムーアは、数字を出して私たちに説得しています。太陽の出る時刻は、日が過ぎてもそれほど変わらないのですが、月の出は一日におよそ50分ずつ遅くなります。それゆえに、復活祭の晩に月が出る時刻は9時少し前になります。そして、そのおよそ30分前から「月のアウローラ現象」が起こります。すなわち、月の出の前の8時少し過ぎにアウローラは東の空に現れると、サソリ座の輝く星々が水平線に昇ってきます。そしてついに、「夜が登る歩みを二歩進めて、すでに三歩目もその翼を下へ向けていた」時刻、すなわち、8時30分を過ぎた時刻になっていました。(『ダンテ研究』80頁~81頁

 

   以上がムーアの解釈です。現代では「オーロラ」と言えば、ギリシア神話から逸脱して、「南極光(aurora australis)」とか「北極光(aurora borealis)」のことを指すのが普通になっています。そして、確かにダンテにもギリシア神話を逸脱した人物像が見られます。地獄の第2圏谷で恋に溺れた罪で刑罰を受けているギリシアの英雄アキレウスを初め、三途の川アケロンの渡し守カロン、地獄の判官ミノス、獰猛なケルベロス、半身半馬(ケンタウロス)のケイロンやネッソス、怪物ゲリュオン、地獄の都市の名前になったローマ神話の冥界の王ディースに、通行を邪魔するギリシア神話の冥界の王プルートンなど、多くの登場人物がギリシア・ローマ神話を変形させて作られています。ということは、「アウローラ」を朝から夕べに変えることも普通に受容すべきかもしれません。上で言及しましたムーアは、「サソリ座説」も十分に説得することのできる学説だと言えます。だんてが煉獄の東の空に見た輝く動物は「魚」だったのか「サソリ」だったのか、意見は二分しているようです。

 

このブログの主な参考文献

エドワード・ミーア、『ダンテ研究』

〔原文〕

Edward Moore. Studies in Dante. Third series: Miscellaneous Essays, 1903 (reprinted 1968).Haskell House Publishers.