治せない 無くせない
一生お付き合い 私のこころの闇
僧侶は健康が第一?
体調管理のため、30歳を過ぎた頃から、年に一度、健康診断を受けています。30代では検査結果に異状はなかったのですが、40代半ばにもなると何らかの症状が出てくるものです。
最近は血圧がやや高め。アルコールや塩分を控えなければと思いつつも、ついつい「ビール」と「おつまみ」に手が伸び・・・。
そんなある日のこと、友人との会話の中で、彼が高血圧症で薬を服用していると聞いたのです。初めて知った事実に「えっ」という驚きと、「同じだ」という『妙な』安堵感が湧き上がってきたのでした。
でもなぜ『妙な』安堵感なのでしょう。私の血圧が下がった訳でもないのに。
病気になったとき、同じ症状の方が周りにいると、不安な気持ちを共有でき、その不安が和らぐことがあります。でも今回の場合はというと・・・。
実はその友人は私よりも7つ年下なのです。だからこそ『妙な』安堵感だったのでしょう。「私より若い彼が、高血圧で薬を飲んでいる」と。
ということは、不安な気持ちを共有したのではなく、彼に対して『妙な』優越感をもっていただけなのかもしれません。
症状ひとつ取っても、純粋な気持ちになれない私。「人とともに」というよりも「人とくらべて」を優先してしまうこころの闇。
高血圧は治療することができても、こころの闇は、治すことも、無くすこともできず、一生付き合っていくものなのだと知らされたのでした。