真宗法語法話(107)自分の姿に気づけと 待ち続けて くださっている 阿弥陀さま | おじゅっさんのおはなし

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~高照寺住職の真宗法話~


自分の姿に気づけと 待ち続けて
くださっている 阿弥陀さま


阿弥陀さまが待ってくださっている。


毎朝毎夕、お寺まで足をお運びくださるご門徒のAさん。自宅からお寺まで1分足らず、といえども、毎日となると大変なことです。


90歳を過ぎてからも軽快に歩いておられたAさんも、年を重ねるごとに足もとがおぼつかなくなりました。心配したご家族が「転けて骨折でもしたら大変やから、止めとき」と。そのときにおっしゃったのが、冒頭のひと言だったそうです。


阿弥陀さまは私たちに願いをかけてくださっています。「自分の本当の姿に気づいてくれ」と。私たち一人ひとりが生まれたときから、ずっとずっと気づくのを待ってくださっているのです。そんな阿弥陀さまの願いが、聴聞を通してAさんの身に染み込んでいたのでしょう。


私たちは多くのご縁によって生かされています。お参りできるというご縁、健康であるというご縁、歩けるというご縁。「私の本当の姿」とは、このようなたくさんのご縁によって生かされているという事実そのもの。でも日々の生活ではそれを当たり前のこととして過ごしているのです。


しかし誰であっても、しだいにこのご縁が一つずつ離れ、そしてすべてがなくなったとき、このいのちは静かなる世界、お浄土へと還っていくのです。


先日、Aさんは息を引き取られました。入院中であっても決して「早くお迎えが来て欲しい」とは口にされなかったそうです。


まさしく「阿弥陀さまが待ってくださっている」いのちの故郷、お浄土へと還られたのでした。