真宗法語法話(109)外面を よく見せても 内面は 鬼そのもの | おじゅっさんのおはなし

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~高照寺住職の真宗法話~


外面を よく見せても
内面は 鬼そのもの


先日の葬儀会館でのお通夜式。お勤め、法話を終えて、帰路につこうと駐車場へ。この会館の駐車場は立体式で、入庫して車を降りると、エレベーターのごとく自動的に車が上下に移動する形式のものでした。したがって出庫の際には時間がかかることも。


お通夜式終了後は混雑するだろうと思い、足早に駐車場まで向かいました。しかし、すでに駐車場にはかなりの人が。出遅れた感を抱きつつも、係員に自分の駐車番号札を渡したのでした。


10分待ち、20分待っても、なかなか私の車が出てきません。「係員が私の番号札をチェックし忘れているのではないか」と。


その立体駐車場には三つの入庫レーンがあるのですが、私が止めたレーンには偶然にもたくさんの人が待っていました。なので、後から来た人でも他のレーンに止めていれば、待つことなく出庫できたのです。「入庫の際に係員が別のレーンに誘導してくれればよかったのに」と。


誰も悪くないのに、私の中ではいろんな感情が入り乱れ、イライラの角がニョキニョキと。自分さえよければよいと思い、そうならないと他人のせいにし、こころの中では真っ赤になって怒っていたのでした。


お通夜の法話で「お念仏の教え」をもっともらしく話していても、自分の意にそぐわないことがあれば、教えもどこへやら・・・。


外面は法衣をまとい、なにくわぬ顔をしてはいても、内面でイライラしながら待っている私の姿は、たとえ周りの方から気づかれなくても「赤鬼」そのものだったのです。