喉元過ぎれば | 小坂井彩の日記帳

小坂井彩の日記帳

今日も平和です

阪神大震災に遭われた方で、神戸から命からがら大阪まで歩いて来た人が、当時、

「大阪に着いたら、いつもどおりバーゲンしてたことに衝撃となんともいえない憤りを感じた」と、言ってました。


私は、阪神大震災にも今回の地震にも、酷くない範囲で遭い、被害を目の当たりにできる端っこあたりにいました。


私と同じぐらい、もしくはそれなりに阪神大震災で恐い思いをした人の中で、
あんなにニュースで緊急事態だと言っている今日、

ほぼ他人事のような感覚でいれている人がいることに対して、思いやりがなくない?と感じたことを書きます。


あくまでも、私との連絡や多くのブログを見ての個人的な感想ですが…


他の地方の人ではなく、阪神大震災にて、当人じゃなくても、身近に被災してる人を目にしたことのある地方の関西人が、

地震をまるで外国の話みたいに感じてはる人がいるのが、悲しかったです。

確かに、今日も日本の社会は回っていました。

しかし、ニュージーランドではなく、同じ日本ですよ?

人類どこにいる人が困っていても、手を差し延べるべきですが、
自分と同じ言語の日本語を話す、身近に感じられる隣人が、モニターの向こうで死ぬほど困っている様子が終日流れているのに、


まるでかやの外の態度なのは、冷たくない?まして、自分の楽しい話を挙げるのは、不謹慎というより、被災して心が弱っている人を傷つける行為ではない?

私、考え過ぎ?


被災した人達からしたら、普通の日常って、今、何より欲しいものじゃない。
それに対する感謝の気持ちじゃなく、ただただ、楽しい楽しいって…


楽しい話をするのは、戦時中に慰安に訪れた、マリリンモンローみたいなスター(今ならアイドルだけでいいと思います。
被災者とおなじ市民である私達は、同じ目線で助け合う気持ち、勇気づける気持ちを表すほうが、今はよくない?


辛い状況にいる人が読んだら、なんか心が寂しくなるような、羨ましくなるような話を、わざわざ今しなくても…


考え過ぎ?


阪神大震災後、福井・金沢あたりで起きた地震の時は、名古屋で、これまた被害の端っこあたりにいた私。


一昨年の兵庫県の鉄砲水も、1日ずれとかで岡山国際サーキットの行き来で通ってました。


なんか、めっちゃ薄くずつ災害の端っこに遭ってるから思うんか知れないですがねあせる


地震後すぐには何もできない私達一人一人ですが、

せめて、被災した人に対して、胸が詰まるような気持ちにならないのかと。


こういうエマージェンシーの時、本音っていうか、その人の本当のアガペー・無償の慈悲度合いが見えるなって感じた日でした。


思いがけない人から、直後の安否確認が来たり、

思いがけない人が、手を差し延べてくれたりしました。


携帯が全く連絡できない中で、まずは合流する親戚と安否確認をしなくてはならない状況のため、充電を切らしたくないという思いから、すぐに全員に安心してもらえず、申し訳なかったと思ってます。

自分が元気でいるという事実だけで、喜んでくれる人がいるのに、悪かったダウン


今日のこの《被災した人に何かできないか》て気持ちを、今後この気持ちが薄れてしまうほどの長い時間がかかる復旧の間に忘れてしまわないようにしないといけないなと思ってます。

阪神大震災の時も、かなり長い時間、被災者用仮設プレハブがありましたよね?
あの時も、私含め多くの人が、どんどん他人事になっていきましたよね。



今回の地震は、日本みんなが助けの手を差し延べないと、復旧が難しそうだし、今まで以上に《何かできないか》アガペーを持ちたいと思います。


今、被災されている方、

人の心の傷を癒してくれるのは、人しかいないと思います。

小さくても暖かいネットワークを、リアルでもバーチャルでも持ってくださいね。


なんか正義を押し売りしているようで、わざわざ書かないでいいかなって思ったんですが、

やっぱり書いちゃいました。

考え過ぎですかね?
すいません。