小学4年生の頃だったろうか。
相変わらず、【登校→下校→新聞配達→帰宅して食器洗い】みたいな生活を繰り返していた。

まぁ、普通の小学生なら、その自分の生活に疑問を抱いたり、苛立ちとか、そうそう感じるもんじゃないと思う。
恐らく俺は、【神経過敏症】みたいになってたんだろうな。

そんなある日、親父の車の掃除をするように言われて、車内をごそごそしてた。
そこで、1本のカセットテープを発見した。
【何が録音されているんだろう?】
素朴な疑問を持った俺は、親父が兄貴に買ってやったカセットテープ・レコーダー(たしか、スナッピーって名前だったと思う) で、再生してみた。
すると、それまで聴いたことがない、ハードなサウンド、TVで観るような歌謡曲なんか比べものにならないほどのパワーを感じる音楽が、耳に突き刺さった。
ヴォーカルの激しい叫び………。
怪しいキーボードの音色………。
強烈なギター……。
一発で、虜になった。
その曲は、ディープ・パープルの【Child in time】と言う曲だった。
しかし、その頃は知るよしもなく、ただただ感動して、ヴォーカルの激しい叫びを真似て、繰り返し録音した  (笑)
日本語じゃないから、外国の人達なんだろうということぐらいは判った。
【外国には、すごい人達がいるんだな~🎵】
と、洋楽に興味を持ちはじめた。

しばらくして【COOLS】と言うグループが、TVで【紫のハイウェイ】歌ってるのや、その頃にやってた【夜明けの刑事】と言うドラマに、【CAROL】のLIVEシーンが放送されたのを観て、
【日本にも、すごい人達がいるんだな~】と思った。
さっそく、【COOLS】や【CAROL】の真似をした。
髪の毛を水で濡らし、オールバックに(笑)
親父のサングラスをかけて、『夜明けの前のぉ~紫のぉ~ハイウェ~イ🎵』なんて唄いながら、自転車で走ってみたりした(笑)
どう説明すれば良いのか難しいけど、俺の【ROCKの初期衝動】だと思う。

近所に、時々遊んでくれる、高校生ぐらいのお兄ちゃんがいて、COOLSやCAROLの話をすると、『もっともっとあるぞ🎵』と言って、【サンハウス】や【村八分】、【頭脳警察】なんかの、【日本のROCK】のレコードを聴かせてくれた。
俺の頭の中は、【ROCK'N' ROLL】でいっぱいだった。
そんな音楽ばかり聴くようになって、学校へ行ってもますます、【話題】が合わなくなっていった。
仕方ないと言えば、仕方ない。でも、そのおかげで、今の【俺】があるんだから。
これ等の体験が、俺の【原点】だと思う。

イアン・ギランの激しい叫びは、今でも憧れるよ。

舘ひろしさん、若いよね~。
退院してからは、新しい学年になり、新しいクラスになっている【現実】に、大きな戸惑いを感じていた。
クラスの仲間にはもちろん、新しい担任の先生や、授業にもついていけなかった。あまり人と話さなくなったし、学校に行く意味もわからない。
朝、家を出て、学校に行くふりをして、公園で寝たりしてた。そしてそのまま、夕刊の新聞配達にだけは行った。

ある日、新聞配達の帰り道、空き家を見つけた。
なんとなく敷地内に入り、玄関のドアに手をかけた。鍵は、かかっていなかった。恐る恐る、中に入ってみた。けっこう広く、居心地が良さそうな雰囲気だ。
【今日から俺は、この家の主や❗】
勝手にそう思い、勝手にそう決めた、人の家なのに……(笑)

放課後から、新聞配達までの数時間、俺は空き家の【主】だった。
空き家に、捨てられている子犬や子猫を、何匹も連れて行き、空き家で飼った。みんな、俺によくなついて可愛かった。
でも、何匹も飼っていると、学校の給食のパンぐらいじゃあ、まったく追いつかない。
餌をどうすることもできず、俺は、万引きすることを覚えた。

毎日毎日、ソーセージやパンを万引きして、空き家に通った。玄関を開けると、子犬や子猫が駆け寄って来る。とても可愛い。餌をやりながら、一緒に遊んだ。俺は、とても幸せだった。

ある日、空き家の近所の大人たちが、数人、空き家の前で話していた。俺は、嫌な予感がして、空き家の前を素通りした。
突然、おじさんが俺に声をかけてきた。
『ボク、この空き家でよく遊んどるやろ?』
…………。バレた。
そのおじさんたちは、保健所の職員を呼んでいた。
【俺が主の世界】は、いとも簡単に崩れた。飼っていた子犬や子猫は、保健所の職員が車に乗せて、どこかに連れて行った。
今で言う【殺処分】されたんだろう。
俺は、母親を呼ばれて、家に連れて帰られた。

翌日、その空き家に行ってみた。鍵がかかっていた。
何故か、ものすごくシンプルに【悲しい】と感じた。その、近所の大人たちが憎いわけでもなく、保健所の職員が憎いわけでもなく、シンプルに【悲しい】と。

そして【夢は壊れやすいもの】だと思った。

時代は違うが、この【空き家事件】が起きてから、【大人】と言う人達に、強い抵抗感を持つようになった。
学校の先生にも……。
近所の大人たちにも………。
みんなが【嘘つき】に感じていた。
昭和50年の、4月5日だった。
たしか、土曜日だった。
兄貴と俺、兄貴の友達と遊んでて、十数メートルある、山の斜面から転落して、顔に5針、両足合わせて10針、合計15針ほど縫う怪我をした。

初めての入院。

縫い合わせた顔の部分の、毛細血管がけっこう切れてて、縫い合わせた隙間から、喋る度に血が出るから、ガーゼはあっという間に赤くなり、看護士が何度も、貼り替えに来てくれた。
その時、母親はとても優しかった。いつも、【お手伝い】の時ぐらいしか、声をかけてもらった覚えがない。その母親が、とても優しかった。
今ならば、それぐらい母親は、忙しく、家庭が苦しく、大変だったと理解できるが、その頃の俺に、そんな理解力なんてあるわけがない。

だから、とても優しく感じた。
怪我をして、痛く、苦しいはずなのに、俺はとても、幸せだった。

その日はたしか【仮面ライダー・ストロンガー】が、放送をスタートした日で、隣のベッドのおばちゃんが、テレビを観せてくれた。
なんだか、周囲のみんなが、とても優しかったよ。

小学3年生になる直前の、予期せぬ入院。
当時は、小学1・2年が同じクラス、3・4年が同じクラス、と、2年間は同じ級友。
俺が入院したのは、クラス替えがある、3年の直前。

退院して、みんなよりも1ヶ月遅れで登校した。
1・2年の時と、同じ級友もいたが、半分以上は知らない。もちろん、学校で顔ぐらいは見かける。でも、知らない。
学校へ行き始めても、どうしても馴染めない。
日に日に、学校へ行くこと自体が、嫌になっていった。
夕刊の新聞配達もあるから、どうせみんなと一緒に遊ぶ時間なんてないし、【どうでもいいや】みたいな感じ(笑)

俺は、小学3年生で【学校へ行く意味】が、まったく解らなくなった。

早過ぎるよなぁ、いくらなんでも……(笑)

この曲が、ピッタリな気持ちかなぁ…………。
よくわからないけど……(笑)



小説の内容とは、まったく関係ないけど、今日12月8日は、ジョン・レノンの命日。
俺が、14歳の冬だったなぁ。。。
もう、38年も経つんだなぁ。。。
ってことで、この曲、好きなんだよね。。。