小学生1年生になった頃から、学校で毎日のように、喧嘩をするようになった。
幼稚園の頃には、そんな記憶がない。幼稚園のグランドで、ブランコに乗ったり、滑り台で滑って遊んだり、【スクーター】と言う、片足で地面を蹴って、走る乗り物に乗って遊んだりした記憶は残っているが………。

幼稚園の頃に【喧嘩をした】と、鮮明に残っているのは、後々、インディーズ界では、いまだに名を馳せているHARD CORE PUNK BANDのヴォーカルが幼馴染みで、そいつと喧嘩をして、そいつが投げたブーメラン (当時は、カラフルなプラスチック製のものが、駄菓子屋なんかに売ってた) が、見事に、俺の左目に刺さって、病院に行った記憶ぐらいで(笑)
幸い、少しだけ眼に傷がついただけで済んだけど。
そいつ (と言っても2歳上) とは、とても仲良くなって、俺がバンドを始めた時も、応援してくれたぐらい、長い付き合いだったけど、如何せん、当時から【危険人物】だった(笑)
そいつのLIVEは、もっと【危険】だったが……(笑)

幼稚園の頃の、【喧嘩した記憶】は、それぐらい。なのに、小学生になってからは毎日、誰かと喧嘩ばかりしてた。
同級生……。上級生……。知らない子供……。
たぶん、相手なんか誰でもよかったんだろう。今から思えば【勝敗】さえ、どうでもよかったんだろうと思う。差別を受ける俺、認められない俺、他の同級生とは、明らかに違う環境で生きている【俺の存在】を、アピールしたかっただけなんだろうと思う。

母親はいつも、喧嘩をした相手の親に頭を下げていた。ところが俺の親父は、喧嘩ばかりしている俺のことを、やけに喜んでいた。酒を飲んでは、自分の酒飲み友達に、俺の自慢話みたいなことを、嬉しそうに話していた。
親父は元【反社会勢力】の人間だから、俺が、親父同様に【喧嘩好き】だと思ったんだろう。
だから、喧嘩をして帰る度に、嬉しそうな顔をしていた。
結局、人間っていうのは、その【組織】を抜けても、自分の【生き方】が変わらないかぎり、同じなんだよな。今、振り返りながらつくづく、そう思うよ。
だって、その頃の俺は、本当は喧嘩なんて嫌いだった。みんなと仲良く遊んだりしたかった。
でも、その時間がなかった。
あの頃は、なんだかいつも、イライラしてたよ。小学校の、低学年なのになぁ……(笑)

(I can't get no) satisfaction
by. THE ROLLING STONES
この曲で、Mickが歌ってる通り『満足できねぇ❗』だった、変な小学校の低学年。(笑)
親父は【飲む・打つ・買う】をやる。いわゆる【酒・博打・女】だ。この風情だけで、俺は【昭和の下町】的な情緒を、懐かしく感じてしまうから、不思議だ(笑)
と言うわけで、とにかく親父は、家に金を入れない。家に帰らないことも多かった。

俺達は、おかずの代わりに、ソースやマヨネーズを、ご飯にかけて食べるような日も多かった。

俺が小学1年生になった頃、近所の新聞販売店のおばちゃんが、兄貴と俺に『夕刊の新聞配達をしないか?』と、声をかけてくれた。今の時代なら、絶対にあり得ない話だが、さすがは昭和❗とでも言うべきか……。
母親の苦労を知って、声をかけてくれたんだろう。
20数部配って、1ヶ月に¥1800。兄貴は、もっともらってたと思う、配る部数が多かったから。それにしても、昭和40年代としては、【破格】の給料だったと思う。
親父は、兄貴には給料を自由に遣わせ、俺の給料は、母親に渡すように言った。悲しかったが、それでご飯のおかずが買えるなら、母親が喜ぶならと、素直に渡したが、そのうちの¥500だけもらい、童話を買った。本当は、プラモデルが欲しかったんだけど、母親に気を遣ったのか、何故か童話を買った。これが、俺と【本】との出逢い。
それから4年間、夕刊の新聞配達と、月1回の童話の購入は続いたが、詩を書くようになったのは、童話を買い、読み始めた頃からだった。
当時は、【詩】といっても【散文】みたいなものだったけど。

そんな毎日だから、相変わらず友達と遊ぶ時間も少なかった。
友達はみんな、たくさん遊ぶ時間がある。それなのに、小遣いも普通に持ってる………。
何故だ?  謎だった。ものすごく、謎だった。
今から思えば、ただの【貧富の差】だっただけなんだけど(笑)   でも、すごく謎だった。
その頃の日本は、【オイルショック】で大騒ぎだったな。
ニュースで毎日、トイレットペーパーを買い占める人達が映ってたが、それも謎だった。
なんで【オイルショック】で、トイレットペーパーを買い占めるのか???
あの頃の俺は、我が家も日本も謎だらけだった(笑)


2人の弟達が生まれた頃の俺は、まだ5歳。だけど、幼いながらに【差別】と言うものを、感じていた。今から思えば、5歳ぐらいの子供はまだ【動物的】な部分があっただろうから、【本能的】なものだったんだろうか?
いずれにしても、【差別】と言う言葉はその頃に知らなくても、そんな空気を感じていた。

親父は、兄貴を異常なほど可愛がった。昔ながらの考え方なんだろうか、【長男=後取り】みたいな思いからなんだろうか、兄貴をとても、可愛がった。
俺と兄貴の、【食べる物】にさえ差をつけた。母親はと言えば、まだ小さな弟達に手を取られっぱなし……。俺は、幼いながらに【孤独感】を感じ、取り残されたような気持ちになってた。
そんな気持ちが、余計に親父に対する【憎しみ】のような感情を、増幅させた。
でも、親父は大きかったし、恐かったし、俺自身が幼かったから、ただただ、我慢するしかなかった。

【家族から仲間外れにされたくない】と言う、もはや被害妄想のような思いから、気に入られようと、子供ながらに努力した。
母親が、俺の名前を頻繁に呼んでくれる時がある。それは【お手伝い】と言う、まぁ【雑用】みたいなものだ。それでも俺は、母親に喜んでほしくて【食器洗い】と、【洗濯】と言うものを覚えた。
子供ながらに、必死だったんだろうな。近所の子達と遊ぶ時間も少なくなってしまったが、【お手伝い】を優先しながら、暮らした。
ある意味、そうすることが俺にとって【居心地の良い家庭】になったから。

今から思えば、そんな簡単に【居心地の良い家庭】になるはずもなかったんだが……。
ただ、名前を呼んでもらえるから、それだけで嬉しかったから、それが【居心地が良い】と、感じていたんだろうな。


なんとなく、この頃の記憶に繋がってるよ、この曲が。