俺達のバンド名は《LOOSE》だったが、メンバーチェンジを繰り返し、何度も何度も潰れかけたなかで《LOOSE》を《流雨通》に改名した。
読み方は、どちらも同じだが、漢字に変えたのには、深い意味がある。判る人には判ると思うが、機会があれば、ここで書かせてもらおうと思う。



TVで、俺達の曲と映像が流れる………。
正直言って、とても嬉しい。しかし同時に、戸惑いがあったのも事実だった。
10代の頃、数々の事件を起こし、警察署を燃やした時は《殺人未遂》と言う罪名に加え、3時のワイドショーに、何度も取り上げられてしまった。
もちろん、未成年の俺は《少年A》として扱われていたが、判る人にはバレてたし、この街に来た当初だって、何度か新聞に載ってしまった……。

そんな俺が、TV……。戸惑わないほうが、どうかしてると思う。それに、実力だってまだまだだったし、TVに出ることが、かえって裏目に出るんじゃないか?  と言う気持ちがあった。


番組の、エンディング用の撮影予定が決まった。PVじゃなく、LIVEシーンの映像を撮ってもらうように、お願いした。

LIVE当日。3台のカメラが搬入された。俺達は、自分達の機材のセッティング。そして、リハーサル。カメラが回り始めた。1台は、ブームのように動いている。どうも、やりづらい。ディレクターにお願いして、リハーサルの前半は、出てもらうことにした。

本番。いつもより多いお客さん。いつもよりも、みんなオシャレに見えた。みんな、《カメラ目当て》なんだろうな……。なんか、滑稽に見えた。

何かが違うように感じた。何度も言うが、TV出演は嬉しい。でも、俺達にはまだ、時期尚早だと思っていた。

打ち上げには参加せず、帰宅した。先に帰ってた美雪が、ご飯の用意をしてくれてた。

『何かなぁ………。』

『お疲れ様。』

ビールを飲みながら、考える。
やっぱり、何かが違う………。


俺は、この街のライブハウスや、飲み屋などに営業して、LIVEの仕事をいくつかもらった。LIVE数を増やして、もっと実力をつけないと、必ず失敗する。たいしたことないのに、TVに出たり、デビューしたことで、のぼせ上がっておかしくなった連中を、10代の頃に何人か見た。
だから、《実力と経験》を、もっと積むしかない。
今、バンドの【名前】だけが、どんどんと知られていって、実力以上に《1人歩き》をし始めてしまったから……。


おかげで、年間のLIVE数は、120本以上にも及んだ。プロでも、こんな数は、そうそうやらない。
俺も、声帯ポリープができたりした。
でも《経験に勝る技術はない》と言うのが、俺の考えだった。

それでも、《流雨通》と言う《BAND NAME》だけが、どんどんと、1人歩きをしていった。

No more Trouble
本当に、クタクタだった。

ツアーから戻り、普段通りの生活をしていた。
玄関の表札には《法太・美雪・マメ》と、書いてある。こういうのも、なんとなく嬉しくて、ニヤけてしまう。

《マメ》と言うのは、俺が仕事中に見つけた、生まれて間もなかった子猫の名前だ。
今は、少し大きくなって、イタズラばかりする。何度、爪でギターを引っ掻かれたか……。でも、可愛い。

俺達は、近隣の街でもLIVEをするようになった。そんなに《有名》と言うわけでもないし、有名になろうとなるまいと、どっちでもいいことだった。夢は《音楽で食っていくこと》だから。
【じゃあ、有名にならないと】
と思う人が、大半だろうと思う。もちろん、無名よりも有名になるほうが、なにかと有利だとは思う。
でも《食っていくこと》と言う次元には、あまり結びつけたくなかった。
以前の、新聞の取材やラジオ出演で、あんなふうになった。だから、いつか必ず《その時》が訪れると、信じていた。

月に、3~4本のLIVEをしていた頃、あるイベントに出演した。順番待ちをしていた時、司会者の女性と話してて、仲良くなった。

俺達のLIVEが終わり、楽屋へ帰ろうとした時、司会者が声をかけてきた。

『お疲れ様!あの曲は、オリジナル曲?』

『ええ、そうですよ。CD、よかったらどうぞ』

俺は、お世話になったお礼に、CDをプレゼントした。その後、司会者と美雪が、何か話していた。


数日後、家に電話がかかってきて、美雪が出た。

『もしもし。私、KBS京都TVの者ですが……』

『え?  え?』

美雪が、俺に電話を代わった。
内容は、近々、深夜番組だが新番組を放送するらしく、その番組に、俺達のCDを採用させてほしいと………。慌てて美雪に、電話を代わった。美雪は、契約やその他の話を済ませて、電話を切った。

『法太君!やったね!』

『うん!ありがとう!』

2人で喜んだものの、すぐに冷静になった。
《TV局からのオファー》ではあるものの、実感が湧かない。

でも、俺の曲たちが、TVで流れるのは確か………。
少し泣けてきた。頑張って、ただただ、がむしゃらにやってきて………。
気がつくと、こんな話になって………。

ただ、嬉しかったのと同時に、少し、不安を感じ始めた俺だった。

例の、新聞社の取材や、ラジオ出演をした頃、勘違いをした連中が出た、と言う《体験》からだった。

この曲も、番組の《挿入歌》になってたな。

メンバーも揃った。今度こそ、固定したメンバー。
これまでの俺のバンドは、リードギター、サイドギター、ベース、ドラム、そしてヴォーカルの【5人編成】のスタイルだったが、度重なるメンバーチェンジを体験し、俺自身が【ギターを弾く】と言う【4人編成】にした。

俺は、曲を創るために、自宅でギターを弾いてたぐらいで、人前で弾いたことは、ほとんどない。なので、先ずは練習からだった。
そして、レギュラーチューニングと、オープンチューニングの、2種類のギターを弾くようになった。

やがて、CDの発売日も決定した。
それを機に、俺達は【バリア・ブレーカーズ】と言う、個人音楽事務所を設立した。事務所の代表には、美雪になってもらった。

事務所設立直後、小さな街のイベントの仕事が入ってきた。ステージでのLIVEの他、ゲーム等も開催して、地域の人々に楽しんでもらう。
そのイベントで、CDを発売。なかなかの売れ行きだった。CDの売り上げの一部も、チャリティにした。

こうして俺達は、ある程度知られる存在になった。近隣の市や、京都市内からもオファーが来るようになった。
俺は、LIVEのギャラを少しずつ、貯めた。
ある事に遣うために。

ある日、仕事から帰ってきた俺は、美雪に向かって

『これ、つけてくれんか?』

と、手渡した。そう、指輪。高価なものは買えなかったけど。

『………。ありがとう……。』

泣いていた。そんなに嬉しかったんだろうか。
泣いていた。

『そろそろ、ツアーに出ようか?』

『うん!』


初めてのツアー。九州方面へ。初日は、長崎県へ行った。
長崎には、昔からの友人【保雄(やすお)】がいて、保雄のバンドと、対バンだった。
お客さんは、そんなに多くなかったが、俺達は全力でやった。
打ち上げで飲みながら、保雄と昔話に花が咲いた。
保雄は一時期、舞鶴に住んでいたことがある。
しかも一時期、俺のバンドでベースを弾いてくれてた。
保雄の在籍中、1300人の前で、LIVEをしたこともある。

翌日、保雄のバンドと共に北上し、俺の故郷、下関でのLIVE。
俺の、10代の頃のイメージが【強烈】だったからか、最初は、地元のバンドからは敬遠された。でも、すぐに打ち解けた。

打ち上げは、多くのバンドが参加し、どんちゃん騒ぎ。
俺は、美雪とこっそり抜け出した。

『法太君、どこに行くん?』

『市役所。』

『えっ !?』

市役所へ行き、婚姻届を出した。婚姻届はどうしても、俺の故郷で出したかった。この街での俺は、【最悪なろくでなし】だったから。
美雪と俺は、こうして【夫婦】になった。

『法太君、握手しよう!』

何故か、握手を求めてくる美雪。普通こんな時は、抱きついてくるもんだろうに……(笑)
照れくさかったんだな、お互いに。

ライブハウスに戻ると、打ち上げは俺達の【結婚パーティー】になっていた。
メンバーが、みんなに話してくれてたんだろう。嬉しかった。

打ち上げが《結婚式》で……。
ツアーが《新婚旅行》か……。
《ロックン・ローラー夫婦》らしいよな(笑)