強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」というジョーク─ー西尾幹二の妄言狂史(8)2/2 | 日本人の進路

日本人の進路

左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(8)2/2 









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 ”分裂病”売文業者・西尾幹二


西尾幹二b001

















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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/21/182559





2014.04..21

“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅷ)






 (続き) 









第二節 “猛毒の危険本”『英米東亜侵略史』の解剖──“脳梅毒の暴力革命家“が目指したのは、世界の無秩序と無法




 第一次世界大戦が一九一八年十一月に終わり平和が到来したとき、第二次世界大戦の芽が大きく芽吹いていた。平和とは、戦争と戦争の合間に訪れる息継ぎのようなもの。だから、この平和の期間を永くすることが外交や国際政治の要諦である。

 第一次世界大戦後に、永続する平和を最も正しく模索できたのは、英国のウィンストン・チャーチルであろう。英国の地政学者マッキンダー博士はこれに次ごう。「第一次世界大戦がもたらしたヨーロッパの平和は二十年の息継ぎで終わる」と喝破したのは、フィンランドのマンネルハイム元帥であった。
 


“国際政治の天才”チャーチルは、①平和維持能力があるかの幻想を振りまく国際連盟と②各国のパワーバランスの努力を否定する条約で締結される軍縮が、ヨーロッパの安定と平和に対して癌的な阻害要因となると獅子吼した。また、③共産主義・社会主義イデオロギーがこれからの世界平和の主敵になると世界に向けて警告を発した。世界情勢が透けて見えるチャーチルにとって、「バランス・オブ・パワーのみが平和機能をもつこと」、および「<社会主義イデオロギー=戦争のドグマ>こそ真理」という、二つの国際政治の原理原則は、論じる前に自明だった。

 第一次世界大戦の終了とともに、チャーチルは、a一九一九年から、レーニンとソ連に対する非難を激しく開始しソ連を潰すべく対ロ革命干渉戦争を唱導し、次にb学術的にも最高の水準で国際連盟有害論/軍縮平和破壊論を展開し、c一九三三年にヒトラー政権が誕生するやヒトラーが英国に必ず侵攻してくることを正しく予見して英国の国防増強をイギリス国民に口酸っぱく訴え続けた。

 一九三九年九月、ヒトラーがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発したとき、チャーチルの二十年に及ぶ厖大な演説や活字には一箇所として外れたものがないことが証明された。①②③は確度百%で的中した。外交・軍事での“不世出の天才”と言えばチャーチルを指し、チャーチル以外には存在しない。人類史上の常識である。
 











第一次世界大戦が終わった瞬間、東アジア安定と秩序の破壊に驀進した日本


 第一次世界大戦後、世界ではチャーチルをはじめ、慧眼の士が数多く輩出した。が、日本では、そのような人材は出なかった。そればかりか、東アジア(西太平洋)の安定が日本の国益とわかる凡庸な常識人すら、日本の政界・官界・言論界ではごく少数だった。第一線の政治家では、ワシントン会議の加藤友三郎(首相)、一九三〇年のロンドン海軍軍縮条約を締結した首相・若槻礼次郎を最後に、日本の国益がわかる者はゼロとなった。友三郎や礼次郎は、戦間期日本の最後の良心であった。

 すなわち、第一次世界大戦の終了とともに、日本では“戦争狂の狂人”ばかりが国中を跋扈した。日本と世界の安定のためには、例えば、①日米英海軍同盟がベストであったが、日英同盟恐怖症のウィルソン/ハーディング米国大統領を説き伏せ、四ヶ国条約(一九二一年)の締結延期・棚上げを同意させるに全力をあげた日本の政治家/外交官/軍人は一人もいない。
 


 ②「シベリア出兵」のついでに、ⅰ 一九一八年に北満洲の権益をレーニンに譲渡させ満州帝国を建国し、ⅱ 一九二〇年に北樺太を割譲させることは、日本の国防上絶対必要だったし容易に可能だったが、陸海軍のトップ軍人で前者を発想した者はゼロ。後者については日本海軍が絶対反対した。帝国海軍は、一九二〇年時点、世界も自国の国防も見えない“盲目の海軍”へと成り下がっていた。

 人格障害に病む山本五十六が率いる帝国海軍は、一九四一年十二月、“日本国の自殺”パール・ハーバー奇襲攻撃を敢行したが、ニコライエフスク港日本人大虐殺(七百名、一九二〇年三月)に対する(北樺太の領土割譲で支払えの)対ロ賠償要求を放棄せよと異常な行動に走ったことにおいて、帝国海軍とは、一九二〇年時点で、日本国を破壊したいだけの“狂気の海軍”になっていたのがわかる。
 


 話が①に戻るが、このように、日本の国益を毀損する方向の逆立ち外交しか発想しない帝国海軍は、英米との同盟的な協調が国際平和に寄与することを理解できない無法者へと変貌していた。軍事合理的にも日本の方が格段に有利だから、ワシントン海軍軍縮であれ、続くロンドン海軍軍縮であれ、両条約に反対する理屈など存在しえない。が、日本の孤立と世界の不安定を招く“米英との海軍軍縮を拒絶する”逆方向に、一九三〇年代の帝国海軍は一気に暴走した。海軍の上層部では、日本の国益が消滅していたし、「日本国なんぞ破壊尽くせ」の“反日の狂気”の方が、紅蓮の炎と燃え盛っていた。

 ③隣国・支那とは“一定の距離をおく、醒めたお茶の関係”がベストで、大中華思想という毒ある国家・支那には決して従ってはならないが、支那を日本に従属させる関係も避けねばならない。が日本は、日本が厳守すべき対支外交のこの一大鉄則にみずから違反して、一九一五年一月、「対支二十一ヶ条の要求」を突きつけた。支那に対する日本外交があるとすれば、満洲とモンゴルとウィグル(東トルキスタン)とチベットを、漢族から絶対分離する漢族包囲が基幹。これに優る対支外交など存在しない。
 









大川の『復興亜細亜の諸問題』、満川の『何故に過激派を敵とするか』.近衛の『英米本位の平和主義を排す』──一九二〇年前後の、日本外交を逆送させた三大悪書



 第一次世界大戦後の日本外交で正常の範囲にあったのは、ワシントン海軍軍縮条約(一九二二年)とロンドン海軍軍縮条約(一九三〇年)の締結ぐらいか。それ以外はほとんどない。

 そればかりか、ロンドン海軍軍縮条約の締結が、日本の極左社会主義陣営の「反日」行動の正当化に悪用されるに至った。このためロンドン海軍軍縮条約の締結以降、日本には正常な外交など不可能になった。国際連盟からの離脱(一九三三年)、日独伊三国同盟の締結(一九四〇年)、日ソ中立条約の締結(一九四一年四月)など、日本は完全に狂ってしまった。

 一九四一年七月、南部仏印に軍を進駐させた「南進」という、日本の国家自滅への狂気は、一九一九年に始った狂気の日本外交の集大成だった。米国の石油禁輸は(一九四一年八月)、日本を覚醒させる最後の“神の見えない手”だった。が、日本政府にも陸海軍にも、そう考える良心も愛国心も消えていた。昭和天皇が、明治天皇の御製「四方の海みなはらからと思ふ・・・」を御前会議(一九四一年九月六日)で朗誦されたのが、戦間期日本の最後の残光で、最後の“日本の偉大な良心”だった。
  


 要するに、日本外交の迷走と狂気は、一九一九年の韓国独立の拒絶や一九二五年の日ソ基本条約の締結など、第一次世界大戦の終了と同時に爆発的に始っていた。韓国併合を止めて北満洲へ「北進」することが“日本の国家安全保障にプラス、日本の経済にプラス”なのは明瞭。が、そんなチャーチル的な正統な外交は、日本では煙ほども存在しなかった。

 「韓国併合」を一九一九~一九二六年の間に終了させておくことは、明治天皇が愛してやまなかった(日本陸軍軍人として育った)皇太子・李垠の即位式を挙行し韓国を王制に戻すことだから、これこそ日韓関係には半永久的な磐石が築けただろう。しかし、このような健全な対外政策は、当時の日本のどこを捜しても、発想すら片鱗も存在しない。

 代わりに、日本を覆ったのは、社会主義思想・共産主義思想からの「レーニン万歳!」であり、「日本はソ連の属国になろう!」ばかりの“反日外交”の雄叫び。これらの狙いは、むろん日本の社会主義/共産主義革命。当然、日本の社会主義化/共産革命を阻害する“日本の英米との協調外交”路線は、「反・革命」「反・戦争」であることにおいて、罵倒されるように排除された。
 


  “スターリン直属のソ連工作員”河上肇(日本共産党員)が直接教育し洗脳したコミュニスト近衛文麿が、一九三七年七月七日、首相として独断主導で決定した、不必要な上に国益毀損はなはだしい対支戦争は、日本を共産革命するのが主目的だった。むろん日本がソ連の属国になることも含まれていた。英米排除もしくは英米敵視の外交は日本の亡国以外のいかなる情況にもなりえないが、こんな常識を知る者は、一九三七年時点、幣原や吉田など外務省の一部を除けば、日本には“若き大帝”昭和天皇おひとり以外、ついにゼロになっていた。

 一般には、国益毀損を主眼とする逆走の日本外交は、一九三一年の満洲事変に始まるとするのが学界の定説だが、ここではそこに至らしめる一九一九年から三年間の、日本外交を逆走させて日本を亡国に誘導した初期動向を顧みる。方法として、この間に突出した、“赤いハーメルンの魔笛”三例を俎上に載せる。

 満川亀太郎の『何故に(日本は)過激派(レーニンのソヴィエト共産党)を敵とするか』(一九一九年)、近衛文麿の『英米本位の平和主義を排す』(一九一九年)、大川周明の『復興亜細亜の諸問題』(一九二二年)である。
 


 “スターリンの同志”“日本のレーニン”を自認していた近衛文麿が、この論文(『日本及日本人』一九一九年十二月号掲載)で訴えたモチーフは、驚くなかれ、「世界の平和反対!世界よ、戦争の動乱で血塗られよ」であった。世界大戦が終了して世界各国がほっと安堵している時、日本の筆頭五摂関家の公爵が、“戦争の世界”を地球上に到来させたいと公言したのである。地球規模での無制限戦争の動乱によって現出するものは、ソ連を宗主国とする全世界の共産社会化だが、近衛は、この状態を「地上の天国」の実現だと狂妄していた。

 つまり、近衛文麿は、この論考発表の二年前、一九一七年十一月にレーニンが起こした人類史上初の共産革命を、全世界に輸出したいと願い、『英米本位の平和主義(は世界共産化を妨害する障害なのでそれ)を排す』を書いた。強度なレーニン崇拝狂の近衛にとって、この狂妄な論考を戯言で書いたのではない。実際にも、この時の近衛の願いは、十八年後に、大東亜戦争という“亡国の国策”として実行された。
 


 この近衛論文と“祖国叛逆の共産革命”大東亜戦争との関係は、拙著『近衛文麿とルーズベルト』(『近衛文麿の戦争責任』)で論及されている(注1)。近衛文麿の頭の中をもっと知りたい読者は、近衛の同志・尾崎秀実の『訊問調書』を詳読されたい。

 このような狂信的コミュニズム礼讃論文が一九一九年末に日本で発表された事実は、日本における共産革命の開始は、一九二二年の「コミンテルン日本支部(=通称名「日本共産党」)」の結党以前だったことを示す。つまり日本では共産党ができる以前から、一九一七年十一月のレーニンの共産革命(ボルシェヴィキ革命)に刺激されて、すでに多くの日本人がレーニンを教祖と仰ぐ共産主義者もしくはそのシンパになっていた。
 


 近衛文麿と同じく一九一九年に、同じレーニン系コミュニストであるのを宣言したのが、大川周明の同志・満川亀太郎(一八八八~一九三六)だった。満川は、謄写刷りの檄文『何故に過激派を敵とするか』を百枚ほど関係者に配布した(一九一九年三月)。この表題は、“日本は、レーニンの共産革命を支持すべきに、英国のチャーチルらに従って<レーニンつぶし>の<ロシア革命反対>を国策としたのは間違いだ”という意味。当時、レーニンのソヴィエト共産党のことを「ボルシェヴィキ」といい、「過激派」と訳した。

 満川によると、この檄文に大川周明が満腔の賛意を表したようだ(注2)。そして、満川と大川は、この檄文の数ヵ月後の八月、(北一輝を勧誘して、日本共産化革命団体)猶存社を設立した。満川のレーニン狂がどれくらい激していたかは、その回想でわかる。
 




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  「私は(一九一七年十一月)ロシアに労農革命が起つたときから、レーニンが好きでならなかった。この人物こそ必ずロシアを救ふであらうと信じてゐた。だが、当時の日本は、同盟国英国の宣伝のほか何ものをも受け入れようとはしなかつた」(注2)。 
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 満川亀太郎・大川周明らの“民族系の共産革命グループ”と、河上肇・近衛文麿・日本共産党系の“スターリン/ベリヤが直轄するコミュニスト・グループ”とは、確かにセクトは別。だが、上記のように、満川らの思想と、スターリン直系の近衛文麿/尾崎秀実の共産主義者との間には、思想の差異などいささかも存在しない。セクト(宗派)が相違するから、日本では区別される浄土真宗と日蓮宗の差異は、国際的には“仏教”だとして同じに括る。

 猶存社や大川らを“極左”の共産党と区別したいばかりに、「右翼」と定義したのがいかに間違いか、もう明らか。猶存社とは“満川・大川系共産党”、満川・大川らは“民族系コミュニスト”とする方が、客観的で齟齬が少ない。尚、満川の『何故に(日本は)過激派を敵とするか』は、回想記『三国干渉以後』に全文が掲載されている(注2)。

 レーニンの暴力共産革命を支持する大川周明は、レーニンがロシアだけでなく一気に世界を、とくに東アジアから中東までの“広域アジア”を共産化すればよいと考えた。それが『復興亜細亜の諸問題』(一九二二年)出版の動機だった。レーニンのソヴィエトとの共同や連携の中で英国を広域アジアから追放すれば、「アジアは(全域を共産化することによってのみ)復興する」という趣旨。そして、この「アジア復興=全アジアの共産化」のために、まず日本自身が共産化しなければならないと煽動する。
 




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「アジア復興(=アジア共産化)の戦士は、否応なく、日本改造(=日本共産化革命)の戦士(コミュニスト)でなければならぬ」。
「大乗日本の建設こそ、取りも直さず真アジアの誕生である」(注3)。
 

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 「大乗日本」とは「共産日本」のことだし、「真アジア」とは「共産社会となったアジア」という意味である。これはレーニンが考案した、第一段階で自国ロシアを「ソヴィエト・ロシア」に改造し、第二段階で世界に向けて共産主義革命を輸出する革命構想をそのまま日本に当て嵌め、「ソヴィエト・ロシア→大乗日本」「世界共産化→アジア共産化→真アジア」と置き換えただけ。

 一九四〇年ごろに考案される“国民騙しの魔語”「大東亜共栄圏」が、経済繁栄などとは無関係な「東アジア全域の共産社会化」を意味するものであったように、大川も“読者騙しの魔語づくり”には長けていた。なお、日本の若者を“共産暴力革命のテロリスト”に洗脳せんとした、大川周明の初期作品の代表三作と言えば、『復興亜細亜の諸問題』と、これに続いた『亜細亜・欧羅巴・日本』(一九二五年)と『日本および日本人の道』(一九二六年)を指す。

 大川周明の“民族系コミュニストのイデオローグ”としての才は、北一輝や上杉慎吉と並び、群を抜いていた。自由社会・日本を守るためには、共産党などの正統なマルクス・レーニン主義者だけでなく、その亜種である民族系コミュニスト(異端のマルクス・レーニン主義者)もまた、一緒に処断すべきであった。戦前の治安維持法が、民族系コミュニストに対してザル法だったことが、帝国陸軍を“巨大組織の真正な共産党”へと改造する遠因となった。
 










河上肇の『貧乏物語』に並ぶ、大川周明の『復興亜細亜の諸問題』の悪影響



 大川周明『復興亜細亜の諸問題』は、日本共産化/アジア共産化をアッピールした、いわば国産の『共産党宣言』といいうるもの。だから、共産党員が編集者のほとんどを占める中央公論社の文庫部門から再出版された(一九九三年)。平成日本では、大川周明は今後も影響ある共産主義者として、共産党系の共産主義者と同じに扱われている。

 大川周明を「日本主義」の民族系イデオローグかに勘違いする西尾幹二らの無教養と極度な知識の欠如には、論評するに言葉が詰まる。

 河上の『貧乏物語』(一九一七年)ほどではないが、実際にも、『復興亜細亜の諸問題』の日本における共産革命運動への影響力は半端ではなかった。まさに、日本を亡国の大東亜戦争に誘導した“大正ハーメルンの魔笛”というべき毒書だった。

 だが、この書の論理は、現実を無視した不在と無教養を妄想で連鎖させて構築したもの。第二次世界大戦後に、真赤な嘘だらけの『復興亜細亜の諸問題』の虚妄は、次々に暴かれた。レーニンにかぶれた“第二の幸徳秋水”の大川の論法は、次のごとし。引用頁は、本文。

【第一】 レーニンとそのソヴィエトという“救世の理想国家”が、この地球上に出現した。だが、現実のソ連は、国民を殺戮しまくり生活水準を平均で十分の一に下げた。大川は、ソ連を狂妄の絵空事のごとく一八〇度逆に描いた。
 








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「ソ連は、全民の福祉を理想とする労働主義によって、経済生活の統一を実現せんとした」(三四頁)。 
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 【第二】 レーニン共産主義は資本主義(市場経済)と議会制デモクラシーを破壊することにおいて、人類が理想の政治経済社会体制を構築している。反・資本主義と反・議会制デモクラシーこそは、人類の真理である。 




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「<ヨーロッパの民主主義という汚れた着物を脱ぎ捨てる時が来た>とはレーニンの宣告、<資本階級のヨーロッパが滅ぶか、われらが滅ぶか>とはトロツキーの怒号」(三五頁)。  
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だが、市場経済を捨て欧米型デモクラシーを捨てた「ソ連のスターリン独裁/ドイツのヒトラー独裁/支那の毛沢東独裁」下での国民生活は奴隷的だったし、自由は逼塞し国民は家畜以下に無制限に殺戮された。脳梅毒で幻聴幻覚に生きた大川は、現実を一八〇度逆に妄想した。

 その上、市場経済は自由と不可分であること、ならびに欧米型デモクラシーは理想の政治制度ではないけれど独裁者と全体主義の最悪政治を出現させない機能を持つこと、の二つの常識が、アジとテロに生きた異常人格者の大川周明には不在だった。

【第三】 ヨーロッパ諸国は、ソヴィエトが放つマルクス・レーニン主義イデオロギーによる階級闘争で国力を疲弊するので、「ヨーロッパ世界制覇の終末」が近づいている。ヨーロッパ白人国を倒壊できるチャンスが到来した(三七頁)。

 だが、階級闘争の方こそ、一九九一年末のソヴィエト連邦の崩壊で、人類史から消滅した。ヨーロッパの疲弊は、現在の日本同様、「福祉国家」の財政重圧によってである。
 


 【第四】 英米などヨーロッパ諸国は「白人」で、第一次世界大戦でその植民地では白人支配に対する「非白人」の抵抗が昂潮している。この人種間抗争を民族闘争に転化して、「不義」と「隷従」の世界を解放して「正義」と「自由」を世界に顕現する時が来た(四〇~一頁)。

 大川とは、自分の定義する「白人国」につき二枚舌の嘘つき。レーニンのソヴィエト白人国だけは、例外的に、打倒すべきではなく、アジアが同盟すべきだとするからだ。

 だが、レーニン建国のソ連は、日本男児百五万人をシベリアに拉致連行し、うち四十~五十万人を殺戮した。これは、ロシア人という白人の、黄色人種・日本人に対する大量殺戮ではないのか。ソ連体制は、「不義」と「隷従」しかない暗黒社会。これとは逆に、十九~二十世紀の世界は、英米による「パックス・アングロ・アメリカーナ」によって、徐々に「自由」と「法的正義」が広がった。大川の煽動とは全く逆のこれらの歴史の推移こそ厳然たる事実。

【第五】 ソヴィエトが世界で鼻摘みの時、イランとアフガニスタンとトルコが騙されてレーニン政権と条約を結びソ連を国家として承認したが、このイスラム教国の対ソ連携の動きに、大川は欣喜する。世界にソ連が進出すること、ならびにソ連とイスラム教圏が組むことで中東から一気に英国排斥(英国からの離脱)が始まり、アジアが共産主義で統合していく動きになる(=「アジア復興」)と考え、そう日本で煽った。
 






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「ソヴィエトの後援の下に、諸イスラム教民族が何らかの形態において、連合もしくは提携するに至るべきことは、必ずしも不可能ではなくなった。ソヴィエトが世界に与えつつある深刻偉大なる刺戟に驚かざるを得ぬ」(一七八~九頁)。 
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馬鹿馬鹿しい! 大川周明が得意とする真赤な嘘話ではないか。一九七九年末、ソ連軍はアフガニスタンを侵略し、ためにアフガンは米国のレーガン大統領からの武器援助もあったが自らの血で、十年かかったがソ連軍を国外に追放した(一九八九年夏)。

 第二次世界大戦の終結と同時に、ソ連軍はペルシャの北半を軍事占領した。ペルシャは米英に支援を求め、米国はスターリンに核を投下すると核恫喝をなし、この助っ人でイラン政府は軍事的にソ連の軍事占領地区の回復を実行した(一九四六年十二月)。また、スターリンはトルコにも侵攻することとしたが、トルーマン大統領は米軍を出動させて(ギリシャと)トルコを守ると宣言した(一九四七年三月、トルーマン・ドクトリン)。この米国の気迫に、スターリンはトルコ侵攻を断念した。

 第二次世界大戦後のイスラム教国は、ロシアや他の強国から独立を維持するため、英米仏と組んできた。トルコは米国主導のNATOのメンバー。クウェートやUAEなどイスラムの湾岸六ヶ国は米国と準同盟関係にある。エジプトの、米国との軍事的結びつきは強固である。インドネシアも同様。

 大川周明の「イスラム圏とソ連の同盟」など、一九二二年以降の歴史において、嘘八百の戯言の極み。『復興亜細亜の諸問題』を中央公論社が文庫本化したのは、時代錯誤にも、同社が今も日本やアジアの共産革命を夢想しているからである。
 











【「白人」対「有色人種」の戦争】も、【「ヨーロッパ」対「アジア」の戦争】も、大妄想


  “天性の嘘つき常習者”大川周明の著作の中で、最悪なものは、何と言っても『米英東亜侵略史』。これは、一九四一年十二月におけるラジオ放送の活字化だから、ドイツとソ連とイタリアがヨーロッパ/アフリカ侵略の真っ最中においての出版。

 現実に進行している“侵略国”ドイツ/ソ連/イタリア三ヶ国の侵略をいっさい触れず、時効を無視した過去の英米に限っての“つまみ食い歴史”にすりかえるなど、悪質詐欺師の詐言。大川の詐欺話に比すれば、オレオレ詐欺のごろつき達すら無実に見える。国民騙しに長けた“凶悪テロリスト”大川周明の面目躍如というところか。

 ところが、“日本にとって有害毒書の極み”『米英東亜侵略史』に感激した、“極左”文筆家が現在、日本に二人もいる。“札付きのロシア工作員”佐藤優と“分裂病の売文業者”西尾幹二。日本国にとって“危険な物書きトップ・ツーである。
 





表2;北朝鮮系“黒ヘルメット”佐藤優とその同志・西尾幹二 

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               佐藤優
                          西尾幹二




大川周明
『米英東亜侵略史』
                絶賛、

             『日米開戦の真実──
             「米英東亜侵略史」を
              読み解く』
                            絶賛、

                          『GHQ焚書図書
                           開封』第二巻
 





暴力とテロ
              暴力破壊主義のアナー
              キスト、同志社大学の
             「黒ヘル」
                           凶暴な人身攻撃の
                           病癖、ヒトラー型の
                           戦争狂




ロシアとの関係
               ロシアKGB(SVR)
              工作員、外務省を回顧
              された真因はこれ。
                             ロシア対日侵略は
                            黙過、もしくはロシ
                            アの対日侵略を歓迎。
 




天皇制度
                 廃止
                                廃止




血統
              父は北朝鮮人、
              母は沖縄人
                           日本人だが、分裂病から
                            の日本憎悪と日本破壊
                            願望は強度





歴史知見
               ゼロ
                             ゼロ(“歴史音痴”を
                                駆使した小説)
 




詐欺の歴史偽造力
              エセ作曲家・佐村
              河内の百倍
                            エセ作曲家・佐村河内
                            の百万倍、

                            重度の虚言癖病





悪意の盗用癖
              重症
                            重症
 



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 『米英東亜侵略史』は、日本国を亡国に誘導するため、トンデモ虚偽歴史ばかりを満載したもの。紙幅があればそれらをすべて俎上に上げたいが無理。

 そこでまず、この著書の特性である、二つの大問題(大欠陥、大病巣)を剔抉する。第一の問題は、大東亜戦争が支那とインドの両国の支持あるいは同盟において行われていると、架空の前提でそれを正当化する詭弁。第二の問題は、現実に進行している第二次世界大戦の現実に蓋を閉めて一言も語らないこと。

 第一の点は、どうやら大川周明は、持病の脳梅毒による(分裂病と酷似した)妄想で語っているからだろう。第二の点は、“天性の嘘つき”大川周明の詐欺師的なレトリック。大川のこの二つの騙し手法は、オウム真理教の麻原彰晃も同様に駆使する。麻原の「ハルマゲドン」は妄想、麻原の「信者の家族の財産奪取」は“凶悪詐欺”。無学な麻原彰晃に多少の教養を注入すれば「大川周明」になるように、両者は祖父と直孫のように実に似ている。
 


 第二点から話を進めよう。

 『米英東亜侵略史』を大川がラジオ放送で語っていた時、世界は第二次世界大戦の真っ最中であった。この世界大戦で、最も激しい戦場は、ヨーロッパ。しかも、その戦争は「白人」と「白人」の血みどろの戦い。「有色人種」対「白人」の人種間戦争など、地球上のどこにも露ほども存在しなかった。

 一九三九年九月一日以降、ドイツと赤色ロシア(ソ連)はポーランドを侵略し、続いて赤色ロシアはフィンランドを侵略していただけではない。ドイツは、翌年春からノルウェー/オランダ/ベルギー/フランスを侵略し、一九四〇年六月に始る英国本土への猛爆撃は、この一九四一年十二月時点、まだ続いていた。
 


 そればかりか、独ソは、一九四一年六月、同盟を解除して敵同士の戦争へと反転していた。これらはすべて、「白人」国と「白人」国の戦争であった。大川が一九一九年(注4)から日本人を煽動してきた“真赤な嘘”「<白人国>対<有色人種>の人種間戦争」など片鱗も見当たらない。現在日本でただ一人、蜃気楼より非現実的で決してありもしない「人種間戦争」を書きまくる西尾幹二とは、どうやら精神病院を脱走してきた“狂人の中の狂人”。これほど正常が欠如した人間は前代未聞だし、市中に放置して大丈夫なのか。

 ヨーロッパの戦争は、ドイツとソ連のイデオロギー(ナチズム&コミュニズム)と領土拡大欲を原因として遂行されていた。

 第一点に戻るが、『米英東亜侵略史』の結論部分を読めば一目瞭然。こう書いている。
 



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  「大東亜、すなわち日本・支那・インドの三国は、すでに日本の心において一体となっております。我らの心理に潜むこの三国を一個の秩序たらしめるための戦いが大東亜戦であります」(注5)。 
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 日本・支那・インドの三国の現実は、同盟など煙ほども存在しなかった。連携すらしていない。それどころか支那は米英を同盟国として、日本と戦争していた。「アジア」が「アジア」と戦争していた。大川がデッチアゲた「<アジア>対<欧米>の戦争」の構図は、現実の日中戦争において全否定された。また、インド人は英国の植民地人として英国側に立って日本と戦争をしようと準備に入っていた。

 スターリンが育てた共産主義者チャンドラ・ボーズ(注6)は、一九四一年十二月時点、まだ動いていない。その後、日本側について傀儡の小さな権力をアンダマン島に樹立するが、インド全体の代表とはほど遠いレベル。

 大川周明は、大東亜の新秩序なんぞ、非現実の妄想であると認識していた。それは「日本の心において」「われら(日本人)の心理に潜む(もの)」と明言して、現実には存在しないと断じているからだ。

 “現実には非在の大東亜”を妄想せよ、そしてこの妄想において、現実の対英米戦争をせよとは、いったいどんな思考から生まれるのだろうか。これではドンキホーテがオランダで風車に向かって槍を突く馬鹿さどころではない。精神分裂症患者が幻覚幻聴に従って凶器を振り回し、無差別に人殺しをしているのと同じではないか。もう一例。
 






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 「シナ事変の完遂は東亜新秩序実現のため、すなわち亜細亜復興のため…。亜細亜復興は、世界新秩序実現のため、すなわち人類のいっそう高き生活の実現のため」(注5)。  
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 ここで用いられている抽象語「東亜新秩序」「亜細亜復興」「世界新秩序」の具体的意味を、敗戦後の日本人で語れる者は一人もいない。いわんや、これらが「人類のいっそう高き生活の実現」にどうして繋がるのかに至ってはチンプンカンプン、説明できる者はなおさらいない。『米英東亜侵略史』は、どう読んでも、カルト宗教家か精神異常者の戯言。それ以外ではない。

 要するに、八名の小学校一/二年生を殺害した池田小学校事件(二〇〇一年六月)における(幻聴がひどい)重度の精神分裂症の犯人・宅間守と大東亜戦争を遂行した日本国との間に差異がない。

 大東亜戦争の教訓の一つは、一国の外交や国際政治に精神異常者を決して参画させてはいけないということ。大川周明『米英東亜侵略史』は、祖国日本への叛逆だった“悪魔の戦争”大東亜戦争に日本人を駆り立てるに、精神異常者が大きな負の役割を果たしたことを示す“証拠”の一つ。大川周明を東京裁判で死刑を含む処罰ができなかったことは、日本にとって大きなマイナスとなって跳ね返っている。

 佐藤優は大川と同型のアナーキストだから、『米英東亜侵略史』に感涙するのは解る。西尾幹二の共鳴は、イデオロギーはそこそこで、分裂病と脳梅毒の共通妄想からだろう。
 









日本を救う“神の見えない手”だった、英米の東アジア進出──大川周明の『亜細亜・欧羅巴・日本』は、日本国を日本人に破壊させる自国憎悪のドグマ



 『米英東亜侵略史』と、その前著『亜細亜・欧羅巴・日本』において、大川は、国際政治においては排除されるべき“狂妄な概念”を醸し出し、読者を洗脳しようとする。“戦争など起こり得ない友好国間を戦争に誘導する”トリック詭弁の駆使である。すなわち、カルト宗教的な“運命論”。

 大川周明は、天性の“カルト宗教の教祖”を本性とする、人間殺戮狂のテロリスト。運命論で不必要な戦争を日本国にさせようとするのは、麻原彰晃が信者にサリンを製造撒布させ大量殺人をしようとの企図と全く同種。
 





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 「アジアにおける唯一の強国は日本であり、ヨーロッパを代表する最強国は米国である。この両国は故意か偶然か、一は太陽をもって、他は衆星をもって、それぞれその国の象徴としているが故に、その対立は恰も白昼と暗夜との対立を意味するがごとく見える。この両国は、ギリシャとペルシャ、ローマとカルタゴが戦わなければならなかったごとく、あい戦わねばならぬ運命にある」

「来るべき日米戦争における日本の勝利によって、暗黒の夜は去り、天つ日輝く世界が明け始めねばならぬ」(注7)。
 
 

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 数十年にわたる大川の作品はすべてに共通しているが、そのどれ一つとして祖国・日本の悠久な存続のための外交合理性・軍事合理性からの考察がない。そもそも国家は侵略の脅威がない限り戦争を決してしてはならない。強力な軍事力を保有すべきは、あくまでも侵略抑止が目的であり、国家の平和的存続と世界の法的秩序維持の手段に徹すべきである。いわんや、勝利の確率ゼロの対米戦争で「日本が勝利した暁には…」とは、日本人騙しの詐言の極みではないか。

 国土とは何か。祖先から預かり子孫に伝えていくものである。よって、固有の領土を完全に守り続けることが、その国家の現役世代が背負っている祖国と子孫への責務である。戦争を「運命で決断する」とは、大道易者に従って、神懸り詐欺教祖の嘘「神の声」に従って、活火山の火口に飛び込むようなもの。国家でなくとも個人ですら、断固排除しなくてはならない。

 大川の日米戦争運命論は、国旗が太陽(日の丸)と衆星(星条旗)で対立しているからというが、駄洒落にもなるまい。天文学において星と太陽は対立していない。夜と昼も対立していない。二つの強国があるからといって、対立することなく、協調や同盟が選択されうる。国益と世界を裨益するするなら、二つの強国は連携の道を進む。
 


 キリスト教国の英仏が四百年間の対立の矛を収め、イスラム教国のトルコを守るべく、ロシアと戦争したことは(クリミア戦争、一八五四~六年)、その後の中東や東欧の安全と安定に大きく貢献した。イギリスと米国は、独立戦争から続く一四〇年間の宿怨に蓋をして、ヨーロッパの平和回復のためドイツに対し共同して戦争をした(第一次世界大戦)。

 翻って日米という二つの国には、米国の建国以来、対立する禍根がいっさい存在しない。友好と協調しか選択の余地がない日米のような二国など、世界史においても、稀有である。日米対立は、大川の上記の嘘煽動のごとく、人為的に創られたもの。

 しかも、日本にとって、米国との同盟が必ず百%裨益するのは、これこそ地理が定めた日本の地政学的運命である。日本の国土が、南太平洋のタヒチ島の近辺ではなく、あるいはアフリカ北端の砂漠の地でもなく、ユーラシ大陸の東端に浮かぶ小諸島からなることは、神仏が定めた運命である。運命とは地理のような選択の余地のないことに用いる。が、外交や国防のような無限の選択肢がある分野に用いてはならない。小学生でもわかるだろう。
 


 そして、日露戦争の勝利を考察する時、それは日本列島の「南」に英国と米国が進出したことによって、日本が英米を背後にして「北」のロシアと戦うことのできた地勢に決定的に負うていることが判明する。 

 米国が西へと開拓したその延長上に一八九八年フィリピンを領有し、米国がバシー海峡を挟んで日本国とは指呼の隣国となったこと、ならびに英国が永年のアジア植民地政策で十九世紀半ばにはシナ大陸に君臨しロシアの支那への南下を防いでいたこと、の英米の東アジア進出が、日本を支援したのである。これは英米系地政学において完全に証明される。拙著『地政学の論理』は(注8)、これを詳述したものである。

 日露戦争での勝利を機に日本国の隆盛が、英米の東アジア(西太平洋)進出と不可分の関係にあることは誰でも知っている。だが、英米がこの東アジアに進出したそれ自体を“神の見えない手”と考える日本人は少ない。

 地理は運命。が、国際政治や歴史は運命ではない。自国の汗と血の努力が第一だが、これに加えて自国の努力を超えた“神の見えない手(the hand of God、the Divine Providence)”の助力なしには、戦争の成功や勝利は覚束ない。運命と“神の見えない手”の峻別こそ知性。だが、腐敗した頭の大川周明にはこの知性はなかった。
 


 私は、地政学をマッキンダーとスパイクマンに学び、史学をブルクハルトとエドマンド・バークに学んだ。バークの『イギリス史略』(一七五七~六〇年、注9)は、マグナ・カルタまでの英国史で、その後は中断。この『バーク英国史』序章は、歴史学とはかく省察するものかと感動して読んだ、私にとって巨大なダイヤモンドのような“歴史学の指針”である。

 日本は、自国の存続と繁栄を願うならば、日米同盟の堅持と維持しかない。これは地理が定めた日本の運命。米国民の中に、全世界の人類の中で圧倒的に親日人士が多いのは“神の見えない手”の導き。

 大川周明は、この日本の運命に唾を吐き、米国が東アジアに軍事的プレゼンスする“神の見えない手”を罵倒する。『米英東亜侵略史』でテロリスト大川が讃歌した対英米戦争で、日本が惨たる敗北と亡国となったは必然だった。
 








 (以下 注省略)







中川八洋 










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