令和元年10月19日、20日に開催された川越まつり。
10月20日午前中に町内曳きを終えた連雀町は、1時間の休憩後、午後の部の山車曳行へと入っていきます。
一時間の間も町衆はある程度自由時間がありながら、当番制で山車の周囲の警護についたりしてあっという間に時間が過ぎるのが常。
途中、一足先に午後の部の山車曳行を始めた新富町一丁目の家光の山車が連雀町の太田道灌の山車の横を通り過ぎて行きました。連雀町より30分早く午後の部をスタートさせていたのだ。新富町一丁目は中央通りを北進して一番街に進み、時の鐘の鐘つき通りを進むルートとしていました。
新富町一丁目も連雀町も、ルートは違っても目指すは川越市役所というのは一緒。
家光の山車を見送りながら、まさかやがてどんぴしゃのタイミングで合流することになるとは。。。この時は誰も想像していなかったに違いない。
そして、気付いたら時計の針は午後1時。
連雀町としても午後の部の山車曳行を始める時間になっていた。
「そろそろ午後のスタートだぞ!!」
山車の周りに町衆達が集まり出していった。
10月20日川越まつり午後の部。
午後の部は会所を出発して町内を進みながら川越市役所を目指し、札の辻から一番街、中央通りを経てまた会所に戻って来るというルートになっていました。
町内曳きから広範囲に曳行になっていくのが午後の部。
他町内との会所、山車、居囃子と合う頻度も多くなっていきます。
・午後の部 山車曳行スケジュール
午後1時 山車曳行
会所発(13:00)→連雀町交差点左折→松江町交差点左折→大手町→市役所前(14:00)山車巡行→札の辻交差点左折(14:30)→仲町交差点→連雀町交差点右折(15:20)→六軒町交差点右折→六軒町会所(15:45)折り返し→六軒町交差点左折→連雀町交差点・会所着(16:30)
午後1時に山車から綱を伸ばし、町衆達がまた綱を握りしめて待機。
鳶職達の厳かな木遣りが始まるのは午前の部と同じ。
山車曳行の出発の際は毎回行う儀式になっています。
木遣りが終わると雀会の囃子が始まり、町衆達が「ソーレイ!!」と綱を曳いて山車がゆっくりと動き始める。
13時ともなると沿道には多くの人がひしめいて、山車出発の場面を見守っていました。
連雀町会所から県道川越日高線を東へ進み、町内所縁の場所一つ一つで山車を停めて正面を向けて挨拶していくのもこれまでと変わらず。
広々とした県道だと悠々という表現がぴったりな山車曳行。曳き手も安定して曳け、観客も余裕を持って観られるのがこうした道路。
松江町交差点を左折して川越街道へ。
交差点を曲がるというのは山車曳行にとって非常に緊張感が高まる場面で、町衆達に綱の扱い方に独特な技術が必要になる。
二本の綱を道の片側に寄せながら曳き、山車の向きが変わると今度は綱を道幅一杯に広げて曳いていく。力とタイミングを要し、町衆一体となった綱の曳きの運動なのだ。
川越街道に入ると先ほどより道幅が狭くなり、山車曳行も神経を使う道。
だが、川越街道は昔のまま道幅が変わっておらず、往時の川越まつりの山車曳行を想像しやすい道である面もある。
川越街道と山車の組み合わせが何とも絶妙なのは、街道の道幅、街道沿いの建物の高さから考慮して山車を建造したのでは?と思わせるほど。ここを進む山車曳行は一見の価値あり。
街道沿いにある松江町一丁目の会所、松江町二丁目の会所で停まり正面を向けて挨拶。
午前の部でも触れたが、松江町一丁目に山車を進入させる前に「先触れ」役の二人が事前に走って相手町内の会所で山車通行許可を得る口上を述べているのはここでも変わらない。
受ける町内の方では、会所で待ち構え山車が正面を向けて挨拶するのに応えるのだ。
山車曳行は絢爛豪華を称されるが、現場では通行する方も通行させる方も礼儀を大事にする川越まつり。礼儀に満ちていると言ってもいい。
川越街道のクランクを抜け、大手町の会所で挨拶。
そして、山車を進めて行くと、前方に山車が数台既に集まっているのが見えてきた。
脇田町の徳川家康の山車と仲町の羅陵王の山車だった。
(「市民会館入口」交差点 脇田町の徳川家康の山車と仲町の羅陵王の山車が待機)
さらに、二台の先に南通町の納曾利の山車も停まっていた。
先触れや宰領、鳶頭達が様子を見に駆けていく。
例年だと川越市役所前では、「山車揃い」といって、各町内の山車が揃う光景を魅せる計らいがあるのですが、一ヵ所集中の混雑を避けるために今年は山車揃いはなく、「山車巡行」という形で行われました。
町内ごとに順番を決めて川越市役所前を巡行していくもので、市役所を通って行くための順番待ちがこの時出来ていたのでした。
川越街道で待機していると、そして時の鐘方面から新富町一丁目の家光の山車が、さらにはやまぶき会館側から新富町二丁目の鏡獅子の山車がやって来て、連雀町の太田道灌の山車と合わせ「市民会館入口」交差点に五台の山車が集結して市役所前巡行を待つ形になったのだった。
午後の部は各町内それぞれ曳行ルートが違いますが、川越市役所を目指すのは同じ。
川越街道から来るか、一番街から時の鐘の鐘つき通りから来るかなどの違いです。
スムーズに順番通りというのは難しく、こうした状況も発生します。
この場所で山車がこんなに密集するのはこれまでに見られない光景です。
一つの交差点にこれだけの山車が集まると、華やかな曳っかわせが行われる?と期待するかもしれませんが、ここは川越市役所前巡行の時間でたまたま交差点に集まってしまったということ。各町内の宰領などが現場で話し合って、道を進む順番を確認し、それぞれの町内に帰って指示を飛ばしました。
仲町、脇田町、新富町二丁目の順番に進ん行く。
(交差点を曲がる新富町二丁目の鏡獅子の山車。前方に先行した仲町、脇田町の山車が見える)
その後に連雀町が停まっている南通町の納曾利の山車の先に川越市役所前へ。
ここで太田道灌の人形を最上部までせり上げ、山車として完成形を作り備える。
(川越まつりの山車の人形は、場所によって仕舞ったりせり上げたりする。特に電線のない一番街はどこの町内も人形を最上部まであげる)
市役所駐車場には特別観覧席が設けられ、川合川越市長などに挨拶を済ませました。
「市役所前」交差点で待ち構えていた川越市猩猩の山車にも正面を向ける。
川越市役所から西へ。本町通りを進み、元町一丁目の会所に挨拶。
人形を最上部に上げたままの曳行、山車のこの形を観てこそ川越まつりです。
(川越まつりの山車の一つの完成形。人形を最上部までせり上げ、舞は天狐。この状態を観るのは意外にレア。ただ、この形を観てこそ川越まつり)
札の辻から一番街を南下。
やはりここに来ると観客が目に見えて増えていきます。
一番街の蔵造りの街並みと川越まつりの山車の組み合わせも息を呑む美しさ。
これぞ川越という光景。
一番街では、幸町の会所と幸町の翁の山車に正面を向けて挨拶していく。
さらに南進していくと鍛冶町広場横では特別舞台による居囃子が。
居囃子は石田囃子連が演奏していました。
石田囃子連は、三久保町の賴光(らいこう)の山車に乗っている囃子連。
三久保町は今年は山車は山車ていないので、囃子連はこうして居囃子での参加となっている。
居囃子にも山車の正面を向けて挨拶していくのが川越まつりの礼儀なので、山車は出さなくとも多くの町内と曳っかわせを行うことになるのだ。
仲町交差点を過ぎ、引き続き中央通りを南下しながら、通り沿いにある仲町の会所に挨拶。
町内各所でも挨拶をしながら、熊野神社横の会所まで戻ってきた連雀町。
川越市役所を経由してぐるりと旧市街地を巡ってきた太田道灌の山車。
例年だとここで午後の部は終わりですが、今年はここからさらに山車曳行が続いていく。
山車曳行ルートは毎年少しずつ変更がありますが、細かく言うと、午前の町内曳きと夜の部はほぼ毎年変わらず、午後の部のルートが少しずつ変わるという言い方になります。
今年はどこの町内の会所に挨拶に行くかという議論があり、ある年には札の辻から北へ進み喜多町会所まで行き、ある年には札の辻から西進して元町二丁目会所まで行ったこともある。
今年は午後の部の最終盤に六軒町の会所に挨拶に行くことに。
六軒町は連雀町と隣接している町内。
連雀町交差点から県道川越日高線を西へ。午前の部の最後の行程とは逆方向へ進んで行きます。
セブンイレブンがある六軒町交差点を右折。
直進して六軒町会所まで山車を進めました。電線を考慮して人形は仕舞っています。
そしてまた、来た道を戻ってきて連雀町の会所へ。
本川越駅前交差点では、隣接する中原町の重頼の山車と遭遇。曳っかわせを魅せました。
午後の部になると他町内の山車と合うことが多くなっていき、川越まつりの華である曳っかわせが見られるようになっていきます。
13時に出発して16時に帰って来るという三時間の山車曳行でした。
ここまでで、午前と合わせて既に5時間の山車曳行。
さらにここから、川越まつりの夜の部三時間以上の山車曳行へと入っていきます。
今年はどんな曳っかわせを魅せることができるでしょう。
再び休憩を挟み、山車は提灯などが灯され夜仕様に衣替えしていく。
祭り衆達は鋭気を養い夜の部に備えるのだった。