川越style『第13回「川越唐人揃い」2017年11月12日世界記憶遺産登録』 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

長い努力の道のりの先に、一つの結果に結実する時を迎えました。

 

「国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2017年10月31日(日本時間)、歴史的価値の高い文書などを対象にした「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、江戸時代の朝鮮王朝が派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めたと発表した。
審査を行った国際諮問委員会(IAC)の勧告を受け、ボコバ事務局長が78件の登録を承認した。「世界の記憶」の日本国内登録は計7件となった。
朝鮮通信使は朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。対馬(長崎県)や江戸を経て、徳川家康が祭られる日光東照宮(栃木県)まで、一行が通った地域に外交文書や行列の様子を記した絵などが残っており、日韓の関係自治体や民間団体が共同で計333点の登録を申請していた。」
 

朝鮮通信使の世界記憶遺産登録。

朝鮮通信使が通った日本の市や町を主にして、川越唐人揃いパレード実行委員会を参加している「朝鮮通信使縁地連絡協議会」と韓国釜山で朝鮮通信使行事を積極的に進めている釜山文化財団という日韓両国の団体が共に申請したものでした。

世界遺産の申請は主に当該国が申請しますが、二か国二団体が申請というのは、ほとんどありません。
草の根で活動してきた両国の関係者は、ついに実現した登録に、喜びを分かち合っていたのだった。

そして、世界記憶遺産登録が決まってわずか2週間後というタイムリーなタイミング、お祝いムードに包まれて、今年は例年以上の注目を集めることになった。

2017年11月12日に開催された、第13回「川越唐人揃い」『復活!唐人揃いー朝鮮通信使ー多文化共生・国際交流パレード』。

主催:川越唐人揃いパレード実行委員会

12時 蓮馨寺にて開会式

12時半 パレード出発 蔵造りの町並みにて

14時~ 蓮馨寺にて交流広場

朝鮮通信使から始まった川越唐人揃いですが、現代は多文化共生・国際交流をテーマに、

世界中の民族衣装を着てパレードするものへと進化を遂げています。

午前中からメイン会場である蓮馨寺境内では、世界各国の民族衣装に身を包んだ参加者が今か今かとその時を待っていた。

蓮馨寺がメイン会場となっていることの川越的意味合いの大きさ。

歴史と由緒ある蓮馨寺という場が、川越唐人揃いはじめ、「かわごえ国際交流フェスタ」など国際交流の場ともなっているという事実がある。

川越唐人揃いは、蓮馨寺を出発して街をパレードするイベント。パレードの中心となるのはやはり一番街。現在の一番街は様々な国の人が観光に訪れているのはご存知の通りで、

普段から通りでは外国語が聞こえない日はないほどで、川越は実は国際観光都市。

外国人観光客が着物を着て街を散策する光景も増え、川越の様子は様変わりしました。

 

蓮馨寺境内では、開会式が近づくとより華やかさに包まれていく。

まさにカオス。。。毎年見ていても圧倒される光景。

出発前、広場に一斉に集まっているその時こそ、川越唐人揃いの真骨頂で、各団体の参加者が交流し、お互いに写真を撮り合い自然と国際交流が始まっている。

日本人が着物を着た時に高揚するのと同じように、他のどの国の人も、自分たちのアイデンティティーである民族衣装を着るとテンションが上がるのは同じ。言葉は通じなくても、通じ合う部分はある、境内に笑顔が溢れます。

12時に始まった開会式は、川越唐人揃いパレード実行委員会江藤代表、川越市川合市長はじめ、釜山文化財団代表理事、かつての朝鮮通信使の子孫など来賓の挨拶があり、スピーチの中で世界記憶遺産登録のことが何度も挙がり祝福ムードに包まれていた。

実行委員会代表、江藤さんの挨拶。

「2017年11月12日の今日、第13回川越唐人揃いパレードが歩くこの街並みは、1700年の江戸時代の道幅そのものであり、江戸の中心に店を出すほどの大店が軒を連ね、多くの人々が歩き買物をしていたのです。そして、川越氷川神社の祭礼には、朝鮮通信使の仮装行列『唐人揃い』や、東南アジアの象の模型が練り歩き、なんと巨大なサンゴの山車まで出て人々を驚かせました。まさに異国情緒いっぱいの祭りがこの場所で繰り広げられたのです。それは間違いなく今日の唐人揃いパレードそのままだったに違いありません。秋の日の一日を、平和を実現し隣国と仲良く交流し合った歴史を体感しましょう!」

川越唐人揃いのキーパーソンと言えるのが、上の写真、かつての川越の豪商、榎本弥左衛門。

今考えると、榎本弥左衛門の存在が今の川越の国際都市に影響を与えたとも言え、書き記した書物がやがて後世にこんなに大きな役割を果たすことになるなんて、当時の弥左衛門さんは想像もしていなかったでしょう。

現代の榎本弥左衛門を毎年のように演じているのが、元町一丁目にある「幸すし」の長島威さんで、元全国すし商生活衛生同業組合連合会理事、そして2017年11月3日に発令された「秋の叙勲」では、旭日双光章を受章したことは新聞等でも取り上げられて記憶に新しい。

榎本弥左衛門も元町一丁目に店を構えていたことから、現代の元町一丁目に店を構えている長島さんが演じ続けている。

 

12時半になるといよいよ境内の参加者はパレードに繰り出していく。周辺の道は交通規制がかけられ、蓮馨寺から昭和の街を真っ直ぐ北進し、一番街の札の辻まで進んで折り返してきます。

パレードはまず横断幕を先頭に、楽隊、清道旗、正使、副使、傘持ち、従事官、上官、女官、幟旗隊といった、かつての朝鮮通信使を再現した行列から始まる。続いて参加団体が後に続いていく。

賑やかに伝統楽器を演奏しながら、踊りながら、歌いながら、手を振りながら、通りを進んでいく各参加団体。

・けやき学園

「通信使の楽隊を模した子どもたちの衣装と迫力ある演奏をお楽しみください。」

 

・子ども通信使

「将来の国際友好をになう子どもたちが可愛く歩きます。」

 

・榎本弥左衛門

「川越の豪商。1655年の第6回朝鮮通信使を江戸で見学。『覚書』に書き残す。」

 

・朝鮮通信使(三使・上官・女官)

「三使:正使は釜山文化財団代表理事の柳さん、副使は自転車通信使として何度も来日している朴さん、従事官は元埼玉県弁護士会会長の田中さん」

 

・誕古団(テゴタン)

「豊年豊作を祈る韓国の伝統音楽を通して日朝・日韓の友好を願う。在日コリアン・韓国人・日本人のグループ。」

 

・カトリック埼玉西部有志の会

「『世界のみんな兄弟さ、隣人さ、友達さ』と、フィリピン・ベトナム・日本、みんなで踊り、合唱します。」

 

・埼玉朝鮮初中級学校

「さいたま市大宮区にある在日コリアン3世、4世が通う民族学校。民族の心である朝鮮舞踊を披露します。」

 

・平和の翼コーラス

「うたごえを平和の力にと願って歌っています。在日コリアンや韓国の市民合唱団との交流も続けています。」

 

・日朝協会 東京・埼玉・群馬県連

「日本と朝鮮、両民族の友好を深め、相互の平和と繁栄に貢献することを目的に活動しています。」

 

・はなこりあ

「久しぶりの参加。『はな』は『ひとつ』の意味。よさこい鳴子踊りとアリランをミックスした『よさこいアリラン』を披露。」

 

・ベトナムグループ「シンチャオ」

「川越在住のベトナム人と日本人のグループ。民族衣装アオザイの中には、元ベトナム副大統領からの贈り物も。」

 

・現代の朝鮮通信使あいち

「2013年から活動をはじめた、朝鮮通信使を現代に蘇らせたいという愛知県の在日コリアンと日本人のグループ。」

 

・ロクセラーナ

「中近東で発祥した世界一古い踊りとされるベリーダンス、ぜひ蔵造りの街並みでお楽しみ下さい。」

 

・民族衣装

「世界の民族衣装を着て平和と友好をアピール。今年の衣装の中には戦争を逃れて川越に来たものも。」

 

・NPO川越きもの散歩

「毎月28日成田山川越別院の『のみの市』で着物散歩。今年は児童養護施設出身の若者が振袖を着て参加します。」

 

・埼玉エイサー隊

「沖縄大好き埼玉県人が集合、いちゃりぽちょてー(一度会ったら皆兄弟)・命(ヌチ)どう宝がモットー。」

 

・ペウレ・ウタリの会

「『若い仲間』の意。アイヌ民族と多民族の交流・親睦を願い1964年に発足。今年5月、釜山の朝鮮通信使祭りのパレードにも参加。」

 

・越中おわら友の会

「富山県八尾町の越中おわら節を愛し埼玉・東京で活動。300年の歴史を持つ哀調をおびた歌と踊りをどうぞご覧下さい。」

 

一番街の蔵造りの建物の街並みと国際交流パレード、一瞬ギャップを感じつつも、いや、この街並みにこそ実はしっくりくることにも気付く。

着物が似合う街川越。日本の着物も民族衣装なら、世界中の民族衣装も似合う街川越である。

蔵造りの建物の街並みにはそれだけの大きな包容力があるよう。

各国の民族衣装が通りを埋め尽くす光景に沿道の人から感嘆の声が聞こえます。
川越唐人揃いパレードは、昔の唐人揃いを今に復活させただけでなく、多文化共生・国際交流パレードと広く捉えているのが特徴で、だからこそ、これだけたくさんの団体が参加して毎年賑わっている。

そして、規模が大きくなり、広範囲に意味が広がっていく時こそ、原点も忘れてはならない。

川越唐人揃いの基になり、世界記憶遺産にも登録された朝鮮通信使とは、一体どういうものなのか?川越と朝鮮通信使、歴史的に直接的に結びつかない両者が、現代に川越でパレードが催され、「復活!」とタイトルに冠されているのはなぜなのか??

「朝鮮通信使」。

朝鮮通信使は江戸時代、江戸幕府の将軍襲名などの時に江戸に招かれていた朝鮮からの正式な使節団のことで、200年間(1607年~1811年)に実に12回も江戸に来ていました。(単純計算すると17年に一度)
一行は400~500人にもなる大使節団で、学問・文化・芸術の第一人者が半年から一年をかけてソウルから江戸にやって来ていました。
朝鮮通信使行列の様子はとても華やかで目を引くものだったので、宿泊した各地で民間交流が盛んに行われていました。

 

通信使の行程は、ソウルを出発すると対馬に渡りました。
そこからは対馬藩が同行して瀬戸内海渡って、大阪まで船で移動。
大阪からは幕府の用意した川御座船に乗り換えます。
京都からは陸路で江戸へ向かい、江戸城で国書を交換しました。

ソウルー釜山ー対馬ー壱岐ー相島(藍島)ー下関(赤間関)ー上関ー下蒲刈ー
鞆の浦ー牛窓ー室津ー兵庫ー大阪ー京都ー彦根ー大垣ー名古屋ー静岡(駿河)ー
箱根ー小田原ー東京(江戸)
ソウルから江戸へ辿った通信使一行の旅程は、今の時代とは比べ物にならないほどの苦難の旅でもあった。だからこそ、一行が通過する様子を見学する江戸時代の人の目には強く印象に残ったのだろう。

一生に一度かもしれない通信使の到来を、多くの人が熱狂的に迎え入れ、その影響力は、往来した沿道だけでなく、遠い地域にまで及びました。
文献や絵だけでなく、人形や祭りとして残っている地域が数多くあります。

川越唐人揃いの盛り上がりを見ると、川越にはかつて朝鮮通信使の一行がやって来ていたことを思わせますが、実は、上記通信使が辿ったルートを見てもらうと分かる通り、朝鮮通信使は江戸を目指して来たもので、川越には一度も来ていません。ルートからは完全に外れているのです。

朝鮮通信使は1636年、43年、55年の3回、日光東照宮に行くため江戸から日光へ向かいました。

ですから埼玉県東部の草加・越谷・春日部・栗橋など日光道中を通過しましたが、

埼玉県西部の「川越には来ていません」。

川越と朝鮮通信使を繋ぐ糸とは・・・??


その答えは、江戸時代隆盛を誇った川越の豪商の存在にあります。

榎本弥左衛門のことを少し詳しく紹介しましょう。

江戸時代の川越の豪商、榎本家の四代目の人物、「榎本弥左衛門(えのもとやざえもん)」は1655年に、第6回朝鮮通信使を江戸で見物します。
この時の華やかな行列の様子を驚きをもって「榎本弥左衛門覚書」(東洋文庫)という日記に書き残し、川越の町人たちに伝えました。

榎本弥左衛門は、当時の川越を代表する豪商。
新河岸川の舟運を利用して商いを拡大し、代代塩の仲買人だった榎本家をさらに大きくし、江戸日本橋にも店を構えていました。

市立博物館に行くと、弥左衛門の肖像などが展示されています。川越商人の中でも重要な人物でした。

そしてその後、江戸時代の川越氷川祭(今の川越まつり)の練り物として、朝鮮通信使を再現した仮装行列、「唐人揃い」を、榎本弥左衛門の名主町である本町(現在の元町一丁目)が披露したのです。川越氷川祭の華やかな行列は川越の町衆の目を惹き、本町で代々行われるようになり、唐人揃いは祭りの定番になっていきました。

1700年頃の川越氷川祭では、朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」と呼ばれる練り物が出されました。(「唐人」というのは中国人ではなく広く外国人を指しています)

また、川越氷川神社には、唐人揃いが描かれた「氷川祭礼絵巻」や実際の通信使を描いた「朝鮮通信使行列図大絵馬」も奉納されており、川越町人の進取の気性と異国情緒を楽しむ心意気を感じ取ることができます。

江戸時代の川越氷川祭に見られた唐人揃いですが、明治時代以降この行列は姿を消します。
長い歴史の堆積の底に埋まっている状態が続いていた。
それからおよそ100年以上経った現代。

かつての川越氷川祭の唐人揃いを復活させ、多文化共生・国際交流にテーマを拡大したイベントにしようと、有志が集まった実行委員会が「日韓友情年」に第1回川越唐人揃いを開催したのが、2005年のことでした。

実行委員会代表の江藤さんと事務局長の小川さんは元高校の先生で、二人が中心となって復活させた川越唐人揃い。「復活!」というタイトルは、まさにかつての川越の歴史を復活させたから。

(黄色いジャンパーが実行委代表の江藤さんと事務局長の小川さん)

他の地での朝鮮通信使の催しは行政が主導することが多いのと比べ、川越は民間主導で唐人揃いを運営しているのが特徴。民間の草の根の活動とはまさにこのこと。

朝鮮通信使が通った道にある街が盛り上がるのは分かりますが、朝鮮通信使が来ていない川越でこれだけ盛り上がることが凄いことで、実行委員会の想いが全て、13回も続いているのは驚異的です。

 

「蔵造りの建物の街並みを背景に多文化共生・国際交流のパレードしたい」


その想いをエネルギーにこれまで続けてきました。

周りで支えるボランティアの数も大勢いて、このイベントに懸ける想いはみんな熱かった。
年々規模も拡大し参加団体も増えていった川越唐人揃い。

毎年趣向を変えて開催していて、ある年には釜山からのゲスト20人以上を日本に招待して参加してもらったこともあった。

やがて、朝鮮通信使ゆかりの地が団結して立ち上がり、世界記憶遺産申請の話しが具体的になっていく。川越唐人揃いパレード実行委員会ももちろん、その一つに加わっていった。

2014年、川越唐人揃い記念の10回目の年は過去最大の規模で開催。

例年は1日だけの開催ですが、この年は川越唐人揃いパレードと合わせて、二日間に及ぶ内容になっていた。
11月9日のパレード前日、11月8日川越市民会館大ホールで開催されたのが「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会 in 川越」。

200年以上にわたって平和友好の文化交流を継続した朝鮮通信使を、ユネスコの世界記憶遺産登録を目指そうと、朝鮮通信使が実際に辿った16の自治体や40以上の市民団体が一堂に介する全国交流会でした。

毎年開催しているもので、2014年の会場が川越だったのです。

それまでの開催は朝鮮通信使が辿った自治体を会場にして行われていましたが、

朝鮮通信使がやって来ていない街で開催するのはこれが初めてのことでした。

こんなことが実現したのは、毎年大規模に開催して注目を集め続けている川越唐人揃いの発信力の大きさに他ならない。

「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会 in 川越」では、
◎ゆかりのまち観光展
◎釜山(韓国)・対馬の展示即売会
◎朝鮮通信使日韓友情ウォーク、ユースウォーク写真展
◎朝鮮通信使画員展 など

13時45分記念講演「東国武蔵の民際交流」高麗神社第60代宮司 高麗文康氏
15時10分チョン・シンヘ舞踊団、南山ノリマダン
15時40分川越唐人揃いものがたり
趙寿玉氏の舞、幸町囃子会、朝鮮通信使正使、上官、民族衣装、ヒッポファミリークラブ、
川越西高校合唱部ほかの出演という内容でした。


(2014年11月川越市民会館大ホール「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会 in 川越」。

 

朝鮮通信使を日韓友好・国際交流の旗印にしようという日韓の草の根の活動はこれまで数えきれないほど行われてきました。

第一回の朝鮮通信使(1607年)からちょうど400年を記念した2007年には、「21世紀の朝鮮通信使ソウルー東京 日韓友情ウォーク」が行われた。
朝鮮通信使が辿った2000キロの道のりをウォークする試みでした。
日本人、韓国人、在日韓国人ウォーカーが共に歩いて草の根交流し、ゴールである東京に着いた時にはみな昔からの友人のように親しくなっていました。
2009年には第2次ウォーク、2011年に第3次、2013年に第4次と、一年おきに行われています(第4次ウォーク2013年4月1日~5月20日延べ参加人数2193人)。
2015年は日韓国交正常化50年を記念して、第5次日韓友情ウォークが開催。
さらに、この「日韓友情ウォーク」から派生する形で生まれたのが、「ユース朝鮮通信使」です。

2013年11月16日から10日間、現代のユース朝鮮通信使として日本を訪れた韓国の大学生46人は、江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使が大阪から江戸までたどった道を実際に歩いて追体験し、日本の晩秋のウォークを楽しみました。

2014年の「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会 in 川越」では市民会館のロビーにその時の様子が写真展示されていました。


大学生は、朝鮮通信使が訪れたお寺を訪問、書き残したたくさんの詩文に目を奪われ驚いていました。精進料理を食べ、茶道を体験、旅館に泊まって露天風呂も楽しみました。
同じ世代の日本の大学生たちとさまざまなテーマで討議して、
日韓の「違うところ」と「同じ部分」も知ることができた。
和服を着て街歩きを楽しみ、日本の家庭に止まってホームステイも行いながらのウォークでした。

また、この人の存在も見逃せない。
「自転車通信使」として、川越唐人揃いに合わせて、釜山ー大阪ー東京ー川越まで一人自転車でやって来た朴成培(パクソンベ)さん。ゴール地点の蓮馨寺に到着するとそのままパレードに参加するという演出を何度も魅せていました。

川越style

(2013年の時の自転車通信使朴さん)

2000キロもの行程を自転車で走ってきた朴さん。

元ソウル市役所職員で、2011年にも川越唐人揃いパレードに合わせて、釜山から川越まで自転車通信使として来ました。朴さんはその後も自転車通信使としてではなく、朝鮮通信使の役として毎年のように参加しています(2017年も参加)

他にも、朝鮮通信使ゆかりの地を訪ねるツアーなども開催してきて、世界記憶遺産登録に向けた機運を高めてきました。

川越唐人揃いは、2014年の節目の大台10回目も盛大に催し、これを通過点として2015年、2016年と回を重ねてきました。

(2016年11月「川越唐人揃い」)

「川越唐人揃い」というその日だけを見れば、賑やかで華やかなパレードですが、その奥にあるのは実行委員たちの熱い情熱と深い信念で多岐にわたる活動。

そして、これまでの努力が実り、2017年10月に世界記憶遺産登録が正式に決定したのでした。

 

川越唐人揃いを通して川越を見ると、回を重ねるごとに川越は国際観光都市として色濃く変容してきたことに気付く。

外国人観光客の増加、対応を強化、リアルタイムで生活していると感じられないですが、確かに色んなことが起こっていて一年サイクルで見るとガラッと姿を変えている川越の表情もある。

外国人観光客だけでなく、川越在住の外国人の数も多く、

埼玉県在住のタイ人のコミュニティ、タイ人クラブなどの活動も活発になっています。

(「日タイ修好130周年in埼玉」2017年10月8日 名細市民センター 埼玉県在住タイ人クラブ

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12319141894.html

そして2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて。

川越は外国人観光客の受け入れを整えているところで、民間でも、ホームステイ型民泊を始めようとする動きは活発になってきている。

その一つに、「古民家 恵比寿屋」さんです。

(「恵比寿屋」築130年の古民家が川越の新スポットになっていく

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12173192354.html

 

川越唐人揃いは、通りに交通規制をかけて開催している大規模イベントだけあって、街の認識が、行政や大きな組織が主催しているものと受け取られがちですが、いえ、内実は市民有志が集まった民間主体の実行委員会による手作りイベントなのです。
民間主催のイベントで、蓮馨寺の中央通り、一番街、大正浪漫夢通りまでを交通規制かけることが画期的で、しかしこれは簡単なことではなく、多くのハードルをクリアーして形にしているものです。(交通規制したいと言ったって警察署が簡単にOK出さないのを想像すれば分かると思います)

運営を知れば知るほど、川越の民間主催のイベントで最も運営が大変なのがこのイベントなのでは?と思います。
今ではいろんな団体が参加するようになり、川越最大の国際交流イベントになっています。

今年の唐人揃いに向けても、夏には実行委員会が本格的に始動し会議を重ねてきました。

同じイベントであっても、運営の段取りは毎年一から積み上げていくようなもの。昨年からの改善点、新たに直面した問題など、詰めなければならないことが毎年多岐にわたる。

実行委員会の会議は定期的に行われ、より良い川越唐人揃い開催のために活発な議論を重ねていきました。

綿密な準備の上に、第13回目の川越唐人揃いを迎えていた。

(2017年11月川越唐人揃い実行委員会会議)

 

一番街を埋め尽くす民族衣装の参加者、一番街の各地では参加団体によるパフォーマンスが行われ、本部前では友好セレモニーが始まりました。

釜山文化財団代表理事柳さんと榎本弥左衛門役の長島さんが親書を取り交わす。

 

13時半過ぎ、一番街のパフォーマンス・友好セレモニーが終わると、一路蓮馨寺へ。

仲町交差点を左折して大正浪漫夢通りから蓮馨寺へ帰って行きました。

 

そして14時から蓮馨寺境内は交流広場として、参加団体によるパフォーマンスが続く。

パレードをして帰って来て終わりではなく、なにより参加者同士が交流して仲良くなること、こうした発想を持っているのが、実行委員会の江藤さんと小川さんのメッセージを感じさせる。

 

閉会式では、蓮馨寺粂原住職や釜山文化財団の柳さん、協力に関わっていた市立川越高校の生徒のスピーチが続きました。

川越唐人揃いもフィナーレの時を迎える。テゴタンの演奏に合わせて輪になって踊る大団円です。

川越唐人揃いは、パレードが華やかで目を惹くものでありますが、交流という意味では、スタート前・ゴール後の境内の交流がなにより色濃い。

このイベントの本当の姿、価値に触れるなら、やはり蓮馨寺会場の熱を肌に触れること。

参加者同士、言葉を交わさずとも踊りながら打ち解け合う関係は、既にに国・地域の境はとうの昔に超越しているようだった。

2017年11月12日(日)世界記憶遺産登録に沸いた第13回「川越唐人揃い」、無事に幕を閉じたのでした。

 

そして、物語はこれに終わらない。。。

川越唐人揃いの盛り上がりが最高潮に達するのが・・・打ち上げ。
スタッフもパレード参加者も、飛び入り参加者も混ぜこぜになって、交流を深める場。

 


それに、釜山文化財団の代表理事が長島さんにサプライズでネクタイをプレゼントする場面もあり、すぐさまそれを着用する長島さん。台本にないこんなやり取りが真の国際交流にも見えました。

パレードの熱気はここでも引き続き、いつの間にかパフォーマンスタイムが始まりダンスの輪は続いていきました。

川越唐人揃いパレードにおいて、特に運営側の話しにフォーカスしたのは、このイベントがこの先どこまで続くのかという本音を実行委員長が漏らしているから。華やかな表舞台の裏も知ってもらいたい。
続くのかというより、気力・体力面で続けられるのか。。。
来年は開催すると宣言していますが、この先も川越に国際交流の灯りは在り続けて欲しいと思います。

交流ダンスの輪は、いつまでも続いていったのでした。