午後の部「川越まつり2015」10月18日市役所前の山車巡行から一番街 | 「小江戸川越STYLE」

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2015年10月18日川越まつり二日目最終日、

午前の町内曳きが終わった連雀町は、熊野神社前に太田道灌の山車を留め置き昼休憩となった。

川越まつりでは各町内、時間が違っても昼休憩と夕方の休憩が二回あります。

休憩の間、居囃子の周りには観光客が集まり、山車や囃子を写真に収めている。

午後の部になると、いよいよ町内を出て山車を曳き廻していく。

特に13時半~15時までの間、

市役所前に山車が集まる山車巡行は二日目午後の部の目玉の一つ。


13時半、連雀町の副宰領が「山車出ますので道開けてください!」と声を上げ、

人の間をかきわけるようにして綱を張り始める。

午後も出発に先立って鳶による神聖な木遣りが始まる。

頭によって拍子木が二つ打たれると囃子の笛が吹かれ、

「ソーレー!ソーレー!」と山車を曳いて行く、という一連の流れは午後も同じで何度見ても美しい。

小気味良い太鼓がテンポを作り、午前も午後も山車の出だしは天狐が舞っている。





午前の町内曳きを経て、祭りの雰囲気はだんだん人を染め上げ、

午後になるとぴりぴりするような空気感に変わってくる。

川越まつりはこれから時間を追うごとに空気が張り詰めていきます。

熊野神社を出た道灌の山車は、道いっぱいに広く綱を張りながら

川越日高線をゆっくりと東の方へ進んでいった。

「ソーレー!ソーレー!」

そして要所要所で山車を停めては、山車の向きを変えて挨拶していきます。



川越日高線はすぐに松江町一丁目に入っていくので、

大正浪漫夢通りの入口辺りに差し掛かると

連雀町の先触はすぐさま前方へ走り出していった。

山車が町境を越える前に松江町一丁目の会所に赴いて、通行の許可を得てこなければならないのだ。

川越まつりで山車がスムーズに曳行されている陰には、

町内の人たちがこうして現場を走り回っている事実がある。

松江町一丁目から帰ってきた先触が宰領に伝える。

「今、会所の許可得てきました」

そして、通行の許可を得るだけでなく、その後

町境に立って待ち構えているのが、松江町一丁目の案内人二人だった。

こういうところが川越まつりの伝統で素晴らしい部分。


松江町一丁目の案内人は、連雀町の山車が自町内に入る境から案内し、

先頭に立って会所まで露払い役を演じるのです。

その後も山車が自町内を出るまでまた先導するという、

迎えと見送り、というのが川越まつりの粋な伝統。

もちろんこれは、連雀町内に他町内の山車が入ってくる時も、

連雀町の会所で待機している人が案内人として迎えと見送りとしています。


交差点で停止した後、綱を北側に急いで張って、町の人も大移動した後、

ゆっくりと向きを変えた道灌の山車は、川越街道を北へ進んでいく。

松江町一丁目の交差点から市役所までの風情ある川越街道の風景と山車がよく合う。

やはり歴史ある道と山車の相性はぴったりです。










この数百メートルという区間の山車の曳行は、今あまり見返されることはないかもしれませんが、

川越まつりらしい色濃さを残して、魅力が詰まっている通りであります。

通りに遺る古い建物もそうですが、実はこの道幅が山車をより映えさせているように思う。

広過ぎず、ちょうど良い狭さと高さで建物との間を縫うような形になるバランスは、

かつては道幅から計算して山車を設計したはずで、その名残が残っていると妄想したくなるほど。

街道の風景は変わっていても、かつて賑わったであろう川越まつりの喧騒が、

そこに再現されるようで特別な気持ちにさせられます。

この通りには、松江町一、二丁目、大手町の会所があり、その会所自体の建物の風情も見もの。


道灌の山車から響く囃子の音色を聞きつけた松江町一丁目の人たちが

会所から出て迎えていました。

「ソーレー!ソーレー!」

頭が拍子木を打ち山車が停められると、会所正面に向きを変えて挨拶します。


囃子に一層力が入ると、会所から拍手が沸き起こる。

そしてこの間も現場は動いていて、綱の外の警護の人が周りの無事を常に気にし、

先触がすぐ先にある次の会所、松江町二丁目へと駆けていっている。

山車はまた方向を正されて、北へ進んで行きます。

「ソーレー!ソーレー!」

(松江町二丁目に入り、案内人が連雀町を先導する)

松江町二丁目の会所でも、既に表に出て連雀町を迎えようとしていた。

ここでも頭の合図で山車が止められ、会所に山車の正面を向けて挨拶します。





その後は、町境まで松江町二丁目の案内人が見送りし、

続いて町境で大手町の案内人が待機していて、連雀町の山車曳行の案内に立つ。

城下町らしい大手町のクランクを見事な山車さばきで越えると、

大手町の会所と居囃子に山車を向けていきます。



街道を真っ直ぐ進むと川越市役所が見えてくる。

川越まつりでは両日とも、市役所前に山車が揃うというのが恒例行事で、

初日は山車が勢揃いする「山車揃い」ですが、

二日目は13時半から15時頃までに、時間差で山車が次々にやって来るという「山車巡行」。

なぜ時間に幅があるのかは、

ぴったりの時間に山車を一ヶ所になかなか揃えられないというのは、

連雀町のこうした現場の様子を見てもらえば納得してもらえるのではないでしょうか。

思ったより早く運行している、思ったより時間が押している、とそれぞれの町内の当日の事情があり、

だから二日目の山車巡行は、13時半から15時頃までの間でと幅を持たせているのです。

この時時計の針は14時半。

15時頃までなので、市役所にはもう山車が残っていないかもしれない、

先触や宰領、鳶頭が先に走って行って市役所前の状況を確認しに行くと、

やはり、他の山車は早い時間に市役所に到着して既に移動しているようだった。

ただ、一台は居る、と。。。


市庁舎が見えてくるとだんだんと人の数も増え、

山車がやって来るのを楽しみにしている方が詰め掛けていた。

そこにいた山車は、川越市の猩々の山車と・・・

野田五町の八幡太郎の山車も居た。。。!

しかし野田五町は猩々の山車に合わせた後で、もう移動しようとしているところだった。

(野田五町の八幡太郎の山車)

野田五町が遠くから連雀町が向かっているのを確認した。

「向こうから連雀町が来ている。どっちに行くんだろう」とわさわさ騒然となっていた。

連雀町の先触の所に野田五町が駆けてくる。

方向を確認し、せっかくのタイミングなので、

野田五町「うちが真っ直ぐ抜けた後に連雀町に合わせたい」と申し出る。

・・・が、

連雀町「時間がなくてここでは合わせられない、申し訳ない。またどこかで」

野田五町「そうですか、ではうちは札の辻の方に真っ直ぐ行くので、綱を入れないで待っていてください」。

連雀町「分かりました。その後にうちが市役所前に出ます」

先触同士が確認し合い、戻ってくると進路を町内に伝える。


「野田五町が札の辻に移動してからこちらの山車を市役所前に入れます」


市役所前交差点で八幡太郎の山車が進んで行くのを確認した後

連雀町が山車を進めて、市庁舎前に辿り着いた。

まず市役所前では、待ち構えるお客さんの方に山車を向け、お囃子を聞かせた後、

川越市の猩々の山車と向かい合わせになってお囃子競演が始まる。。。

始まろうと・・・していた現場鳶が慌しく準備し始めたところに、

今度は川越城本丸御殿方面から山車の影が小さく見える。

あれは、脇田町の徳川家康の山車だ。

市役所前を埋め尽くした人からは「あっちからも山車が来た!」と歓声が上がる。


このタイミングで向こうから新たに山車がやって来ることは誰にも想像できないことで、

全てはリアルタイムで刻々と変わる現場の状況に合わせて決めていく。

連雀町は家康の山車を背後先に行かせてから、猩々の山車に向き合おうと判断。






さらに背後を通過した後停止していた家康の山車に対して、

逆側に山車を回して合わせる、という山車さばきを見せる。

客席から「おお!」とどよめきと拍手が起こります。


市役所の山車巡行を終えた道灌の山車は、

元町一丁目の案内人の先導で、札の辻方面へと進んでいく。

途中元町一丁目の会所に山車を向け挨拶。



その先、札の辻が見ると、

すでに人だかりができていて、山車が近くにいるような気配。

先ほど市役所から先に出ていった野田五町の八幡太郎の山車がいるのかもしれない。


辻という場所は、川越まつりでは何かを期待させるものがあって、

数台の山車が合わされる瞬間に立ち会える確率が高まる。


ここからの札の辻での3台による曳っかわせは、

これぞ川越まつりという特に素晴らしいものだった。

それは曳っかわせ自体の迫力だけでなく、3台を向かい合わせにした鳶たちの山車さばきが芸術的。

川越まつり午後の部でも白眉だったかもしれない。

一番先に札の辻に入ったのは連雀町だった。

札の辻に到達した連雀町は、別の2つの方向の道に山車があるのを確認、

一台は先ほど出た野田五町、

もう一台は背後から来る脇田町、

ここで3台合わせられるのではにかと画策を始める。

この時は一旦、道灌の山車を交差点の少し奥に留め置いた。

辻から少し奥に置いたのは、

その後北から野田五町の八幡太郎の山車がやって来て辻を通すため。

野田五町は辻を過ぎ、一番街側に停める。

さらに市役所方面からは今合わせた脇田町の家康の山車がやって来て、札の辻に入ってくる。

脇田町の先触が飛んできて、話しを擦り合わせると、

これで札の辻に3台が集まる形になった。

もちろんその間もそれぞれの山車の囃子は止むことなく続き、

3台は札の辻の中央で向かい合わせになったところから・・・さらにじりじりと寄せていった。





なぜ連雀町が、一旦奥に山車を進めたのかというと、

野田五町が一番街方面に進んでいくことを考えてのことだった。

さらに後方から脇田町が来ているので、奥に置かなければ脇田町が札の辻に入ってこれない。

山車のその先の進路のことまで考慮しながら、辻で山車を置く位置を決めている鳶の山車さばき。

さらに素晴らしいのは、山車を通り過ぎさせてから、回転させて合わせるというダイナミックさ。

これも、回転させることを考えてどこに山車を停めればいいか決めている。


連雀町はここから、菓子屋横丁の先にある元町二丁目の会所に向かうのが昨年でしたが、

道灌の山車はここから北へと行路をとった。。。そう、喜多町方面だった。

山車の運行ルートは毎年大体同じものですが、

(もちろん当日の状況で、予定ルートをカットするといった判断もある)

年によってイレギュラーなルートが入ることもあり、今年はまさにその年でした。

「ここの道は初めて通ります」と宰領が語るように、

初めての道に道灌が通る様は不思議な感覚。

なぜここを通っているのかというと、

今年は喜多町の会所に向かうという新たなルートが設定されていたのです。

それは連雀町だけでなく、他の町内も同じで、先には新富町一丁目の家光の山車が見える。

ちょうど喜多町の会所へ行って戻ってきた新富町一丁目の家光の山車と途中合わせていました。

そして喜多町の会所に山車を合わせ挨拶を済ませる。



また来た道を戻り、札の辻から真っ直ぐ南進していく。

ここからはいよいよ蔵造りの町並みの一番街ということで、

蔵造りを背景にして山車が通る様子を観たいと、沿道で見守る人の数もぐっと増える。

山車の曳き手も「この通りに来ると自然とまた力が湧き上がってくる」と話し、

川越まつりの醍醐味が感じられる場所です。

連雀町は太田道灌の人形を山車上に迫り上げ、山車本来の姿を見せる。

電線のない一番街では、高さを気にせず上げることができます。

河越城築城に関わった太田道灌の鷹狩りの様子を模した人形で、

現川越市役所前に設置されている道灌像も、同じく太田道灌の鷹狩りを題材にしています。

人形が設置されると沿道から拍手が起こった。

「ソーレー!ソーレー!」

綱を握る手にさらに力が入り、道灌の山車は一番街をゆっくりと進んでいく。

囃子台では舞い手が次々と変わり、観客を魅了しています。






一番街では川越まつり会館や幸町の会所に山車を向けて挨拶。

幸町の会所から舞い手で登場したのが、天狐。

川越でも特に珍しい女天狐です。






仲町交差点を過ぎ中央通りを南下し、仲町の会所などで山車を向けながら、

ホームタウンの連雀町熊野神社へ到着しました。






午前の町内曳きから、いよいよ他町内へ出て山車を合わせていった午後の部が終了。

日が暮れ始め、辺りが薄暗くなっていく頃、川越まつりは夜の部へ突入していく。

その前に山車には提灯などが付けられ、夜の装いに変わります。

夜の部は18時から。

それまで再び町は休憩に入り、夕飯を食べて英気を養い、祭りの最高潮に備える。

2015年川越まつり最終日夜の部、百花繚乱の曳っかわせは、もうすぐ始まろうとしていた。