「川越style」

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あの日、を境にお店どころか人生が180度変わって、

紆余曲折ありながらも、運命的に川越で再スタートを切ったお店。
「WARMTH」
生かされた意味を噛みしめながら、新たな土地で過ごした二年半。


川越の連雀町にあるアジアン雑貨の「WARMTH(ウォームス)」さんが、

2015年10月をもって閉店することになりました。

店主田代さんとは公私共に親交があり、いろんな場面で助けてもらうことが多かった方でした。

閉店を決めた直後にメールをいただき、文面を見た時は信じられない気持ちでいっぱいでしたが、

これから故郷である岩手県大槌町の

実家を再建するという新たな夢を抱いている話しを聞き、

清々しい気持ちで新たなステージに進むことが出来ると話していて、応援したいと思います。

10月18日まで閉店セールをやるそうなので、雑貨の話し、岩手の話し、東北の話し、震災の話し、

ぜひお店に足を運んでもらえたらと思います。

WARMTHのこれまでを振り返らせてください。。。


蓮馨寺から真っ直ぐ伸びる立門前通り。

昔からのお店が軒を連ねる通りが今、にわかに活気付いています。

その起爆剤となっているのが、

最近立て続けにオープンが続いている新しいお店。

蓮馨寺から横断歩道を渡るとすぐに左手に現れるのが、アジアン雑貨の「WARMTH」。

という紹介の仕方で始まったWARMTHの記事、2013年11月のことでした。

川越style


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(2013年11月WARMTH優しい風合いのアジアン雑貨のお店 

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11712492594.html

お店がオープンしたのが2013年3月、震災から二年が経った時に川越でオープンに漕ぎつけました。


オープン当初は、一階が「WARMTH(ウォームス)」

階段を上がって、二階が「三陸ハンドメイドプラザ」という形態をとっていました。

(三陸ハンドメイドプラザは現在やっていません)

どちらも同じオーナー、田代さんがやられているお店で、

一階のWARMTHは、2013年3月8日にオープン。

「なんとか震災から二年以内に再スタートしたかった」
WARMTHを営業しつつ、二階の準備を進め、一階から遅れること半年と少し、

2013年10月11日に三陸ハンドメイドプラザをオープン、

「11日にこだわりました」

とあの時語っていた。

WARMTHというお店は、もともと岩手県大槌(おおつち)町のショッピングセンター

「シーサイドタウンマスト」で、8年営業していたお店で震災で休業。

川越に移転再オープンしたお店。

大槌時代は、アジア雑貨のお店として今までたくさんのお客さんを抱え、
海外にもちょくちょく買い付けにも行き

アジアの素敵な雑貨を届ける人気のお店だった。

WARMTHを再開する時に、

川越で始めたのが三陸ハンドメイドプラザ。

本来であれば、

二階にもアジアの雑貨を置いてもいいはず。

そうすれば、今までやっていたお店と同じくらいのスペースになったかもしれない。
しかし。。。

田代さんのある想いを秘めた実験的な試みの場でもあった。


お店に入って、一つ一つを見ていくと、

タイやネパール、インド、上海、香港、広州、ソウル、

いろんな国の手作りのものが集まっています。

これだけアジアのいろんな国が集まると、

いかにも、カラフルでゴテゴテした雰囲気になりがちですが、WARMTHは優しい風合いのものが多い。


聞いてみてやっぱり!と思ったのが、

新しいお店なんだけど、昨日今日では作れない雰囲気の統一感があって。

川越では新しいお店になりますが、

既に8年も続いているベテランのお店なんです。

地元岩手の偉人、宮沢賢治が好きであの世界をお店の雰囲気に少しまぶして。


お店のほとんどの物が、自分で直接買い付けてきたもので、

大槌町時代は・・・

お店が終わった後、そのまま高速で8時間掛けて成田まで来て、

飛行機に飛び乗っていたという荒技も。。。


買い付けるのは大体現地の問屋街やマーケットに行って直接交渉。
今までは、1ヶ月~1ヶ月半のスパンで海外に買い付けに行っていたそう。

今年(2013年)は4回行っていて、

この11月にも単身タイに買い付けに行っています。

お店のほとんどの物が、自分で直接買い付けてきたもので、

大槌町時代は・・・

お店が終わった後、そのまま高速で8時間掛けて成田まで来て、

飛行機に飛び乗っていたという荒技も。。。

川越style

田代さんは、雑貨は大学の頃から好きで、

もともとはアジアよりヨーロピアンが好きだった。

転機となったのは・・・

「たまたまタイに旅行に行ったんですよ。

最初のイメージとしては、日本より遅れているだろうなと思って行ったんだけど、

確かに遅れている部分がありましたが、

目上の人を敬う事とか、信仰心、凄く印象に残ったんです」


日本人に対して親切なタイの人たち。

通りには露天商がたくさん出て、毎日が賑やかで、町全体が毎日お祭りのような雰囲気。
日本でいうお地蔵さんのような、もっと大きなもの、

仏陀とかガネーシャが通りのあちこちに祀られ、
現地の方は、歩いて会話しながらもそこお通り過ぎる時には止まって

一つ一つ合掌する。そしてまた歩き話し始める。

その姿が衝撃的だったそう。
「え!?なんだこの国は」
と。

それが老若男女、みんな変わらないタイの光景だった。
人を大切にする姿、自分より弱いものを温かく見守る姿勢。

タイの野良犬は、歩道の真ん中に寝そべっていてまったく吼えない。

人が危害加えないのが分かっている動物たち。

そういう姿が、
「羨ましいと思った」
それが、タイに行った時の最初の記憶。

それから徐々にアジアに興味を持つようになった、と。


「僕が小さい頃の古き良き時代のものが、

今でもタイに残っているような。

それが懐かしさもあるし、いいんですよね」


タイには、プミポン国王がいて、その方を国民が心底敬愛しているんだそう。

敬愛の印が黄色いTシャツなんだそうですが、

旅行で行っていた当時は、町中に着ている人がいて、

黄色いTシャツを売ってるお店もあった。

それでも商売が成り立つ。

ビルの看板にも、プミポン国王の肖像が掲げられていて、アイドル級の人気だったそう。
「自分の国のトップの方をそこまで慕っている、愛している姿が印象的でした」
それがカルチャーショックで、新鮮だった。


この最初の記憶が鮮烈で、タイには何度行っても、この感じが残っているそう。

時間が経っても変わらない。
「いい意味で適当な国民性もいいんですよね。

いい意味で緩いんです」
タイから成田に戻ってくると、

日本がモノトーンに見えてしまう、という話しも印象的でした。。。

人も町も明るくて、軽く色鮮やかなタイの色。
アメリカにもメキシコにも行ったけれど、

タイを始め、アジアの魅力に引き込まれていった田代さん。


お店をやろうと思ったら、

やっぱり自分が好きな雑貨のお店だったし、アジアだった。

岩手県大槌町にあるショッピングセンター、

「シーサイドタウンマスト」のテナントでWARMTHを始める。

駐車場は1500台もあって、

宮古市や釜石市まで含めた広い商圏で、沿岸では一番大きいショッピングセンターだったそう。

大槌町で8年営業していて、

お父さんの代から数えると15年。

商品などは今の川越のWARMTHとまったくそのまま。

洋服とかマルチクロスとか同じ物が並んでいて、今の3倍の広さでやっていた。


そして。。。2011年3月11日。


「震災の時は、大槌役場の近くにあった僕の自宅も倉庫も津波に襲われました。

海岸から一キロくらいは離れていたけれど全滅。

家を見に行ったら、一階の基礎しか残ってなかった。

大槌町は、南三陸や女川、陸前高田と同じです、町自体が全滅。
ショッピングセンターも、一階は瓦礫とかが中に入ってきてグシャグシャになった。

WARMTHは二階にあったけれど、そこもグシャグシャです。

二階まで波が入ってきました」


大槌を襲ったのは、15メートルの波だった。


「その時も営業していたのですが、

ちょうど僕は春物の服のオーダーでタイに出張していて、

タイのホテルに戻ってテレビをつけたら、

『JAPAN』『TSUNAMI』の文字の震災報道を見て」


ぼんやりと最初は関東かなと思ったが、

映像の最後に釜石の映像が出た。。。


「これは三陸だと思った」


慌てて日本に電話してもまったく繋がらない、

普段から出張は一人で行ったので、

周りに日本人がいなくて全然情報が入らない。
タイでの仕事はあと二日残っていたが、

何も手につかず、もう仕事する気持ちにはならなかった。すぐ日本に帰ろう。
「3月14日には成田に着いたんですけど、

当然岩手には帰れず。

姉が嫁いで川越にいるので、川越に来て、

毎日毎日避難者名簿をパソコンで片っ端から確認していました」
お父さんとお店のスタッフたちの安否確認をする日々。


すると・・・


「3月の25日か26日くらいに、

避難者名簿に親父たちの名前を見つけた」
その次の日くらいには、WARMTHのスタッフから電話が届いた。

「自分は大丈夫です」と。

ただ、そのスタッフのお母さんは亡くなってしまった。。。
「すぐ高速バスのチケットを取って、

親父が避難している大槌の城山体育館に行って、

親父達と再会しました。

ダンボールで区分けしたスペースに、

人がギュウギュウ詰めになっていた」
町を見渡したら一面グシャグシャで全滅だった。。。


大学時代の友達が所沢で仕事していて、

『みなし仮設という制度があるし、

またお店を再開する時のために、お金貯めるならこっちの方がいいよ』

と、誘ってくれて埼玉へ引っ越して来たんです」
そして、お姉さんが川越に嫁いでいる縁から、

川越で物件を探した。

震災から二年未満でなんとかお店を再開したかったので、

昼も夜も働いてお金を貯め、
「3月11日より3日前、ギリギリ二年未満で」
2013年3月8日に、

川越の連雀町、蓮馨寺の目の前にWARMTHをオープン。

この場所を見つけたのは本当の偶然。

川越には2回くらいしか来ていなくて、自分で歩いて見つけた場所。

もともとお寺が好きだったし、蓮馨寺の目の前のこの場所、ここでいいかな、と。


川越で始めた三陸ハンドメイドプラザは、

それは今まであるような、

お店の一画で復興商品を少し扱うのではなく、

単発で復興イベントを行うのではなく、

岩手にしろ宮城にしろ、東北の「垣根を越えて」、
「地元の零細企業、小さな商店、仮設住宅で暮らす方の手作り品」を、
「常設で」置く場として田代さんが始めた。

川越style


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(2013年11月三陸ハンドメイドプラザ http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11711543354.html


大槌(おおつち)、女川(おながわ)、石巻、釜石、

岩泉(いわいずみ)、気仙沼の唐桑(からくわ)町などからやってきたものたち。
扱っている商品は、わざわざ東北まで会いに行き、

顔を合わせた関係で取引をしている。

「ここで扱おうとする時の基準ってあるんですか??」


「基本、零細企業や団体、仮説住宅に住まれている方ですね」

これからも、縁がある地域、商店を増やしていきたい、と。

店内を見回して、本人の繋がり、縁だけで集まったものがこれだけある。


「縁を辿って集めただけで、よくこれだけたくさん集まりましたよね」


「それは僕も不思議なんです」

それまでは全く縁のなかった人たちから、
あの方、あの方、あの方、紹介するね、とどんどん人と繋がっていったそう。

そして・・・田代さんは、噛み締めるようにつぶやきました。


「不思議な事に、気仙沼とか女川で繋がった方が僕の親父を知っていたとか、

親父の知り合いの方だったとか、え!!と思う事の連続でした」


「不思議ですね。。。」


「そうなんですよ、本当に不思議な事がたくさんあったんです。
不思議なご縁があるなって」

大企業ではなく、東北の小さなお店、普通の人たちが作る物を集めたお店。

それはなにより、

こういう受け皿が絶対に必要だという

現地を知る田代さんの実感から生まれたもの。


小さな商店が一つの物しか出せなくても、
そういう商店が50集まればこういうお店ができる。

今までにない試みを、
「とにかくまずやってしまって、見て頂く。

壮大な事を言っちゃうとあれですけど、

こういうモデルを川越から全国に広めていきたいんです」


大槌に限らず、岩手、宮城の東北は、

事業者の80~90%を占める家族経営の小さな商店で町が成り立っている。
その大部分が今でも再開できていないし、

今でもほとんどの方が仮設住宅で暮らしている状況。

再開したとしても、

マーケットは以前の3分の1以下になっていて、

今までの物を作っても地元では消費されない、と。

再開した所があってもみんな経営が厳しい。
(震災前の大槌町は人口16000人。

現在(2013年)は7000人。今後5000人まで減ると言われています。

女川町は人口10000人だったのが、現在4000人)


「必然的に、外に販路を作らないとやっていけないんです。

そのための橋渡しを、と始めたのがこのお店です。

ここが受け皿になればいいと。。。」


小さなお店には販路がない、なにより販路が必要なんだ、と。

作った物を消費される受け皿が必要、と。力を込めて語ります。

地元の大きい企業なら

銀座、池袋、岩手、宮城の物産プラザがあり、

各地の復興イベントにも呼ばれる。

しかし、そういう機会に家族経営の小さなお店は、

大量に供給できないので出せない、呼ばれない。


「実際には町のほとんどの事業者は

小さな商店、家族経営です。

零細には補助金などもないし、ほぼ捨てられているような状況です」


川越でこのモデルを定着させて、関東、日本に広まればいいと、

田代さんは静かに熱く語ります。
「零細や仮設の人たちが、

仕事を得て普通の生活を送れるようにならないと、

本当の意味での復興はないんです」


それが、このお店の一番の意味。

東北の人たちの期待を背負って、ここが受け皿になれたらいい。


根底にあるのは、自分がここに生かされている意味。

とつとつと、静かに確かに多くの事を語ってくれました。

「ここは僕のお店という感覚ではなく、みなさんのお店という感覚なんです。

僕はただみなさんの商品を運営管理しているだけ。
一階は自分のお店だけど、この二階はみなさんのお店だと思っています」


「自分も辛い思いをたくさんしてきたので、
現地の商店の方の苦悩が分かるんです。
それで受け皿となるための一つのモデルをここに作ろうと思った。
東北の零細企業、小さな商店の商品を取り扱って、
川越に、関東に販路を作り出したい。

小さな商店、企業が仕事を得て普通の生活を送ること
そうならないと町の復興なんてありえないですよ」

川越style
気仙沼の唐桑(からくわ)町の女性四人が立ち上がって、

大漁旗をモチーフにした、バッグなどを作っています。
岩手に限らず、東北には再開したくてもできない商店が今でもたくさんある。
その中で、新たな気持ちで自分の力で立ち上がった人たちがいて、

新しい道を歩んでいる。

ここに集まっているのは、単なる商品というだけでなく、

東北の人たちの想い、期待。


「それに応えるのが、生かされた自分が負う使命なのかなって。
自分の中ではこれはやらなきゃいけない事だと思っているんです」

全国初の壮大な試みを川越から始めようとしています。


「川越でモデルを作って、関東、全国に広めて行きたい。

こういうお店がやりたいという人が増えれば、東北の行政も変わるかもしれない」


その後、2014年3月には、川越で出逢った人たちを結んで

「三陸マルシェ」というイベントを開催していた。

田代さんが考えたのは、

三陸の海の幸を使って川越で新たなものを作ろう、と。
東北から来るものと川越から発信するもの、
お互いの地の交差が大事なんじゃないか、と考えた。

東北で頑張っている方はたくさんいる、
川越にも震災に興味を寄せ続けている方はたくさんいる、
両者の思いが一方通行になっていないか?

一緒になってできることがあるんじゃないか、できるはず、やってみよう。

それが考えを深めていった先の、一つの結論でした。

「二つの土地が一緒になったものにしたかったんです。

東北にあるご縁と川越でできたご縁。二つをくっつけてみようと」

この発想が田代さんならではだと思うんです

二つの土地のものが編み物のように編みこまれて新しい生地になるような。

そんな織り成しのイベントだった。

山田せんべいと一緒に詰められていたのが大きな布。

広げようと両手を伸ばしても、収まらないサイズだった。

生地には大きな文字で「明神丸」。

山田町で実際の漁で使われていた大漁旗です。


「大漁旗は神聖なものなので、普段は外に出さないんです。

人に貸したりなんてまずありえない」

文字をじっと見つめなら田代さんが説明する。

その神聖な旗をこのマルシェのエールのために、

川越まで送って貸してくれた。

山田せんべいと大漁旗が最後に届き、

すぐにお店の内と外に旗を掲げました。


マルシェで販売していたのが、どれもこれもスペシャルなものばかり。

・普段販売している食材を使ったオリジナル本格パスタソース販売(レシピ付)
作るのは志木市 にあるイタリアンレストラン「Vino e Cucina PAZOO」。

二人前で¥600

・岩手県陸前高田市物産販売
・新作大漁旗販売
・岩手県釜石市がモチーフの写真・絵画等アート出店

Art Labo 深川いっぷく 白濱さん


◎土日限定
・山田せんべい・岩手県山田町物産販売

菓子工房川最
・岩手県大槌町 茎わかめの醤油漬け・海の幸販売

小豆嶋漁業株式会社
・「love Aquaponics」の採れたて野菜100円均一


今振り返ると、love Aquaponicsの関谷さんがここに出店していました。

田代さんから繋がったものがたくさんあることをしみじみと思った。

川越Farmer’s Marketに出店していたlove Aquaponicsは、この時にこの場所で知り合ったものでした。


「love Aquaponics画期的な栽培システム http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12044824769.html


love Aquaponicsさんとはどうやって知り合ったんですか田代さんに尋ねると、

「本当にたまたまなんです。最初はお客さんとして来られて、

お話しをしている中で、

川島町で無農薬野菜を作っていると知って、そこからご縁ができました」

そのご縁からマルシェで野菜販売に繋がり、

love Aquaponicsの関谷さんの知り合いで

イタリアンシェフの星野さんという方を紹介されたと言います。


関谷さんと星野さん、二人一緒にお店に来てくれたところから

志木駅近くの星野さんのお店「 Vino e Cucina PAZOO」へ食事に行くこともあり、

何か一緒にできないか、と意気投合した。

「ぜひコラボしましょう、と話しが進んでいったんです」

川越からの発信をどういう形にしようか話し合ううちに、

星野さんが一つのアイディアを口にした。

「そうだ、パスタソースを作りましょうか」

三陸の食材を使ったトマトと和風のオリジナルパスタソース2種類を作ることを提案した。

ふのり、仙台麩、切りするめ、ねっぱり昆布、きり昆布、

海の幸を使った特製ソースです。

『三陸産切りするめとふのりとタコのラグーソース』

『三陸産すき昆布とねっぱり昆布仙台麩と根菜のソース』

見事に三陸の海産物をソースに仕立て上げました。


2014年3月には、クラッセ川越で開催した

「NHK100万人の花は咲くプロジェクトin川越」で、

田代さんからあの大漁旗を貸してもらって掲示し、花は咲くの大合唱を行った。

(2014年3月NHK100万人の花は咲くプロジェクトin川越

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11803709023.html


その後、お店の二階にあった三陸ハンドメイドプラザは閉め、

2014年、2015年と、小江戸蔵里で開催したKOEDOアジアフェスには

WARMTHとして二年続けて出店してもらいました。





(2015年3月第二回KOEDOアジアフェスより http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12005435190.html


2015年3月に蓮馨寺で開催された「ミニかわごえ」では、

お店の営業もありながら、また、自店が出店するわけでないのに

前日の設営準備を率先して手伝っている田代さんの姿がありました。

実行委員長と知り合ったことから手伝うことになったそうですが、

お店の顔だけでなく、こういう活動にも参加していたのも田代さんにはありました。


(2015年3月ミニかわごえより http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12003369951.html


2015年7月の川越Farmer'sMarketでは、

自店が出店するわけでないのに朝早くから蓮馨寺に来て、設営の準備を手伝ってくれました。

人手が足りない中、あんなに早い時間に駆け付けてくれ、感謝の気持ちしかありませんでした。。。


(2015年7月川越Farmer'sMarket http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12050052825.html


こうして振り返ってみると、WARMTHが川越にやって来てから二年半の間に

本当にいろいろなことがあったなあと思います。

また、記事にしていない部分の話しも多々あり、一番街や連雀町方面に行くと

ふらっとWARMTHに寄って雑談するということも多かったです。

2015年8月に大槌の催事にWARMTHが出店するためにしばらく帰っていて、

8月下旬に川越に帰ってきた時に、メールが届きました。

二年後を目処に大槌の実家を再建するために、ここで判断した、と。


以下、WARMTHのFacebookページからです。

「大槌はあと2年で自宅店舗再建の目途が建ちました。
そこで、2年という期限が決まり自宅再建という目標を達成する手段として、

川越での今のやり方では達成することが難しいので、

誠に勝手ながらお店は10月末で閉店し、

WARMTHはオンラインショッピングでの運営に切り替えさせていただきます。

また、今後はかねてから公私ともお世話になっている友人の会社に就職することになりました。
業務内容は、僕みたいにお店や会社を起業する方にテナント物件をご紹介し、

内装や店内レイアウト等のご提案や開店後の経営サポートまで行う仕事になります。

今までの経験を活かして、これからは起業するかたのサポート役に徹して、

引き受けたお客様が全員成功するように導いていきたいと考えております。

つきまして、本当に急ですが本日から閉店セールを開催しております。
家具もかなりのお買い得価格に設定いたしましたので、

川越でご商売をされている方の店舗什器として、

僕の家具を使用していただけると大変うれしく思います。

また、今まで被災地や川越の方や多くの方に応援いただきました。

本当にありがとうございました。

今後は違った形で川越に戻ってくると思いますので、しばらくは所沢で仕事に専念いたします。」


多くの困難を乗り越えて川越でお店を開き、

そして今、これからの進路を故郷大槌の実家再建に定めた。

川越の二年半の時間は、田代さんの今後にきっと生かされていくのではないかと思います。

田代さんは、よく「ご縁があって」と口にする。

ご縁があって川越に来て、ご縁があった方と繋がっていろんな展開が生まれた、

ご縁があって、ご縁があって、

田代さんが川越と大槌を繋いだ功績は計り知れないもの。

この縁を、これからもよろしくお願いします。


田代さん、二年半、お疲れ様でした!そして、ありがとうございました!!


「WARMTH(ウォームス)」

川越市連雀町10-1

10:00~18:00

水休

川越style

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