【妄想】演技と彼女⑤(最終回) | 恋心、お借りします

恋心、お借りします

(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
頑張りますので、イイね下さい。

【妄想】演技と彼女⑤(最終回)

 

 

演技と彼女①

演技と彼女②

演技と彼女③

演技と彼女④

 

演技と彼女⑤(最終回)/甲楽わん

 

水原は「付いてきて」と言った切り、俺の前を歩き続ける。

水原が向かっている場所が分からない。木部やクリとなら、この時間に飯でも食って行くかなんて流れになることもあるんだが、水原から夕飯の誘いなんてあるわけがない。

小百合さんの見舞いかもしれないとも考えたが、俺たちが向かっているのは駅とは逆方向だ。

ならバッセンだろうか。水原は動きやすい服着てるし。

目的地が見えないまま、バッセンの前を通り過ぎる。え?バッセンじゃねーの?

水原いったいどこに向かってるんだよ…。まさか俺を人気のない場所に呼び出して…

 

「突然呼び出しちゃって、ごめん」

「いや、全然」

「ちゃんと伝えなくちゃって思って…」

「え?何を?」

「おばあちゃんが倒れた時の話。…おばあちゃんを悲しませたくない、なんて嘘。私…別れたくなかった。あなたと別れたくなかったのっ」

「水原、それって…?」

「…ずっと好きだった、あなたのこと」

「ははっ。まさか冗談だろ…?水原が俺のこと好きだなんて、あるわけ…」

そう言いかけると、妄想の中の水原が俺の首に腕をかけ、踵を上げる。

「チュッ…これで信じてくれる…?」

「水原…本気で…。俺もずっと好きだったよ」

 

妄想の中の水原と俺はモジモジしてしまっている。顔が真っ赤だ。

んな、超展開あるか!!!

なんつー強引な展開なんだ。水原は小百合ばーちゃんを悲しませたくないから、ああ言っただけじゃねーか。流石に妄想が過ぎる。

水原はどんどん進んで行く。割と練大に近いところまで来ただろうか。

「こっち」水原がそう言ってたどり着いたのは、公園だった。

練大の近くには、大きな公園がある。練馬自然公園、略して『練公』だ。ここは都心から離れているから、都会の中のオアシスという感じではないのだが、緑が美しい自然豊かな公園だ。

敷地内には美術館や陸上運動場が併設され、たまにライブやフリマなどのイベントも催されているらしい。練大祭の集合場所になっていたりするので、俺も多少馴染みがある。

公園には中央を横切る大通りがあり、俺たちはその通りに入った。左右には緑が広がっている。

傾きかけた太陽の光が木々の隙間から差し込み、林の中にはカナカナとヒグラシの声が響いている。

噴水を通り抜けると、中央広場が見えた。たまにイベント会場になっているところだ。

何人か犬の散歩に来ている人、ジャグリングか何かの練習をしている人が目に入る。

練大のダンスサークルだろうか。学生っぽい人たちが、アップテンポのEDMに乗って身体を右に左に動かし、ダンスの練習をしている。

「ここ」水原が口を開く。行き先は練公だってことか?

「練公だな…」

「あなた、あんまり来たことない?」

「特には…」

「そう。私、たまにここで練習してるの。殺陣とか舞台での動きとかセリフとかね。カラオケやスタジオだとお金かかっちゃうし」

「へー」

そっか、俺の知らないところでも、水原めっちゃ努力してたんだな。

水原は長い髪をシュシュでまとめ直し、なんだか真剣な表情をしている。やっぱり、これから練習始めるってことなんだろうか。

「え、えっと水原、俺状況読めてないんだけど。今から練習でもするの?」

「…ごめん。ちょっと待って。軽く身体つくるから」

「お、OK」

俺の事をよそに、ストレッチを始めた。肩関節から股関節まで節々を伸ばしていく。

腕を後ろに回すと、膨らんだ胸が前に突き出されTシャツの下で揺れる。

…っく。エロい。この前の濡れブラジャー思い出しちまったじゃねーか。

スポーティで健全な水原を俺の目が汚してる。いかん、いかん。

水原は目を閉じて「んー、んー」と何度かハミングを繰り返す。「よしっ」と言って目を開くと、

「あいうえお、いうえおあ、うえおあい、えおあいう、おあいうえ」

…!?水原の澄んだ声が夕方の公園に響く。発声練習とかいうやつ?

犬の散歩をしていたおばさんや、さっきのダンスサークルの人たちがこちらに振り向く。

水原、普段こんな感じに練習してるのか。それにしても、人前で声出すとかよくできるな。

めっちゃ集中してるみたいだし。なんか話しかけづれー。とりあえず待つか。

水原はウオームアップを終えたのか、持って来たトートバッグの中から何か取り出した。「はい、コレ」と言って俺の前に差し出す。

―――しろがねの丘の上で

確か前の舞台のタイトルだ。台本か何か…?

「あなた、前の舞台観られなかったでしょ?今から見せるから」

「は?今からっ???」

「そう。衣装も照明もないし、相手役も居なくて、ごめんなさい」

水原からの突然の提案に驚く。まさか、こんなところでできるのかよ。つーか、水原見たくてチケット買った俺からしたら、超VIP席でしかないんだが!?

「いや、でも。わざわざ俺のために、そこまでしてもらうのは、気が引けるって言うか」

「別に特別扱いしてるわけじゃないから。あなた、見たそうにしてたし。お金払ってるんだから見る権利はあるハズでしょ。今日少し練習して行く予定だったから、ついでよ」

「でも、ひとりで舞台なんて出来るのか…?」

「大丈夫よ。それで、見たいの?見たくないの?見たくないなら、帰ってもらっていいけど」

「見たいっ。めっちゃ見たいっ」

「だったら、はい」

そう言って水原は改めて俺に台本を差し出して来た。なんで台本?良く分からず、受け取る。

台本にはところどころ付箋が貼ってある。ページをめくると、フリクションボールペンだろうか、赤い字でびっしり書き込みがされていた。

台本を見ただけでも熱量が伝わってくる。すげーな、水原。こんなに一生懸命に舞台に打ち込んで…。

「モチーフは『ロミオとジュリエット』だけど、舞台は日本の高校よ。私が樹里って女の子の役」

水原は『樹里』、海くんが『正樹』という役らしい。台本をめくって1ページ目にキャストが書かれている。なるほど、日本の高校生版ロミジュリみたいな感じか。

「あなた、正樹役やってくれる?」

「へ!?」

水原の言ったことが瞬時に呑み込めず、固まってしまった。俺が正樹役やるって…どういこと?

「ほどんど正樹のセリフだけど、残りのキャストのセリフもお願いできる?」

事態を飲み込むと、

「ええええ!無理!無理!無理!できるわけねーって!!!」

水原、急に何言いだすんだよ!?水原相手に演技なんてできるわけねー。

役を演じたのなんて保育園のころお遊戯会でキツネになったきりじゃねーか。ってか、セリフなんて無くてただ突っ立ってただけだった気がするし。

「ちょっと、ちょっと。別に何か期待してるわけじゃないから。ただ読んでくれればいいのよ。私も相手のセリフ聞かないと演じづらいし、あなたも会話の内容分からないでしょ?」

「そりゃ、そうだけど…」

くっ。読むだけって言われても、お遊戯会でヒヨってた俺だぞ。大丈夫か…?

でも、水原の演技見てぇ。こんなに近くで見られるチャンス二度とねーかも…。

「で、見るの?見ないの?」

「み、見る!こんなに近くで見られることないと思うしっ」

水原の相手役をやることになってしまった。

台本を持った手が震える。バクバクと心臓が鳴り出した。

すーはーすーはー。俺は深呼吸を繰り返して、走り出した鼓動を必死に落ち着かせる。

俺も初めて見たときは少し驚いたのだが、舞台演劇の台本には本当にセリフしか書かれていない。役名と合わせてセリフが書かれていて、それがずっと並んでいるだけだ。

『正樹』って名前のあるところの下のセリフ読めばいいんだよな…。マジ、水原に迷惑かけねーようにしねーと…。

「じゃ、始めましょ。えっと、まずト書き読んで?」

ト書きというのは、セリフ以外の部分のことだ。水原から聞いたことがある。場所の設定とか役者の動きとかの説明が書かれてるやつ。

《卒業式の晩。高校の屋上。満天の星空を見上げる樹里と正樹》

「え、えっと、3ページ目の『卒業式の晩…』ってところからでいい?」

「そう。よろしく」

「そ、そつぎ、そつぎょうしきの、ばん、こ、こうこうのお、おくじょう…」

噛み噛みながら、ト書きを読み終えた。どうやら季節は卒業式。樹里と正樹は学校の屋上で星を眺めているらしい。

水原は集中に入るのか、一度目を閉じる。周りの空気が張り詰め、時が止まる。

その緊張感に俺は息を飲んだ。これからどんな演技が始まるのか。

再び目を開いたと思うと、急に表情が和らいだ。時間が流れ始めた。演技が始まったみたいだ。

「来てくれたんだね」

その一言で、物語が動き出す。

水原が何かに気づき、視線を移した。たぶん正樹が登場したということだろう。

いかん。次俺のセリフだ。俺は手元に視線を落として正樹のセリフを見る。

《呼び出したの、樹里の方じゃねーか》

自分の番だと思うと、急に身体がふわふわして思考が回らなくなってきた。つーかセリフってどう言ったらいいんだ。とりあえず読めばいいのか!?

「よっ、よび、だ…○×▽◇」

盛大に噛んだ。というか緊張してまともに舌が回ってない。

俺がパニクってると、それを見かねた水原がこちらに話しかける。

「肩の力抜いて。演技のレッスンしてるわけじゃないんだから。うまくやろうとしなくていいわ」

水原はいつもの冷静な顔。そう言われて少し肩の力が抜けた。

演じるとか余分なこと考えるのは止めよう。水原のセリフが終わったところで、次のセリフを読めばいいだけなんだ。

「そ、そうだな。悪りぃ」

こう答えて、一度息を吐く。気持ちを落ち着かせる。俺はまだ硬さの残る口元を精一杯に動かして、正樹のセリフを読んだ。

「呼び出したの、樹里の方じゃねーか」

その言葉に水原は一瞬口元を緩めると、セリフを続ける。

「そーだよ。でも正樹は来てくれた。へへっ」

水原は空を見上げると、右腕を上げ人差し指を突き立てた。

今は黄昏時で空は紫色に染まっている。でも、この舞台の上は星空という設定。水原が指さす先は、満天の星空だ。

「正樹、知ってる?白鳥座のアルビレオって、『二重星(ふたえぼし)』なんだよ。一つに見えても、本当は二つの星が重なってるの。その二つの星は、360光年も離れてる」

一度盛大に失敗したからか、俺もずいぶん落ち着いて来た。水原がセリフ言い終わったタイミングで、正樹のセリフを続ける。

「知ってるけど。一つに見えるだけで、実際には離れてるんだろ?」

「そうだね…。でも…」

「でも…何?」

「正樹にはさっ、二重星は一つに見える?それとも二つに見える?」

文脈のつかめない質問を樹里が口にしたところで、いったん二人のセリフは途切れた。つづくト書きで説明がある。

《スクリーンに『二重星は一つに見える?それとも二つに見える?』の文字が映し出される。暗転》

樹里のセリフが引っ掛かったまま、物語は過去へと時間軸を変える。

《回想。樹里は教室で勉強をしている。正樹登場》

水原は芝に立膝をついたかと思うと、左の手のひらで上から何かを抑える。右手にはペンでも握っているのか小刻みに動かし始めた。

そうか、すげー。樹里は今、教室で勉強してるんだ。

よくよく考えたら、舞台セットなんて何もない。なのに水原、ちゃんと机があるみたいに演じてるんだ。

水原が正樹に気づいて、面を上げた。

「あっ…!へへっ。おっはよ、正樹くん!」

にへらと笑った後、すこし恥ずかし気に答える。

かわいい…。正樹役をやっていた俺は思わず独り言ちそうになる。

たった一言で、樹里にとって正樹がどんな人なのか分かってしまう。あー、きっと、樹里は正樹に特別な思いをもってるんだろうなと。

「最近、数学の極意が分かって気がするのよねっ」

水原は天真爛漫な女の子って言ってたっけ?水原がレンカノやってるときの気遣いができる清楚系とはだいぶ違う。いつもの落ち着いた口調とはずいぶん違って、水原が演じる『樹里』は弾むようにセリフを返していく。

「極意って何だよ?」

「とりあえず公式を当てはめてみる!」

「あのさ。公式ってのは数式で表現された定理のことだろ。ちゃんと使える条件分かってる?」

「正樹くん、また難しいこと言う」

「ほら、1問目。全然違う」

「え?ホント!?自信あったのに!ん゛ー…」

水原は、問題が解けずに不満顔。唇を尖らせて拗ねている。かわいい…。かわいすぎる。水原がこんな子供っぽい顔するなんて…!

実際には『正樹』は舞台の上にはいないのだけれど、水原の目線だったり仕草だったりから、不思議とその姿が想像できる。

水原はその後も、隣に『正樹』がいるみたいに『樹里』を演じて行った。

天真爛漫で少しドジっ子な樹里。その明るさは、瑠夏ちゃんに似ているかもしれない。

正樹はすこし捻くれてると言うか、言葉遣いがそっけない。でも、なんだかんだ樹里のことが心配で彼女の面倒を見ている。

不器用で初々しいふたりの会話が微笑ましい。

普段じゃ絶対に見られない水原の顔に、仕草に、俺のテンションは爆上がり。少し夢見心地だ。

ぽーっと見惚れていた俺は、自分の仕事を思い出し、また手元の台本に視線を落とした。

ページをめくる。

交錯する回想の中で、少しずつ、二人の過去が解き明かされる。

樹里と正樹の出会いは、高校1年の時だった。しかし、3年になるまでほとんど話すことは無かった。垢ぬけて可愛らしくクラスで人気者の樹里と、教室の隅でひとり本に目を落とす正樹。場所を同じにしていても、ふたりの生きている世界は違ったのだ。

それでもふたりは惹かれ合う、星空を通して。

夜の学校の屋上。そこは二人のヒミツの場所だった。

「宇宙ってすごいよねっ!ここから見える光は、ずっとずっと昔の光なんだって。何千年も、何億年も前の世界からの贈り物なんだよ」

遠い遠い夜空に向かって、水原の弾むような声が軽やかに抜けていく。

水原は、またすっと息を吸うと、今度は噛み締めるように、自分に言い聞かせるようにセリフを続けた。

「それに比べたら、私の生きてる時間なんてすごく短くてさ。悩んでることなんてちっぽけに思える。前向きに楽しく生きなきゃ損だなーって。こうやって見てるだけで勇気がもらえる。だから私、星が好きなんだ」

『樹里』には、誰にも言えない秘密があった。重い心臓の病気を抱えていたのだ。

「えっへへ。今度は正樹くんの話聞きたいなっ」

『樹里』が屈託なく笑う。

天真爛漫で、少しドジっ子。でも、本当はずっと死の恐怖を抱えながら一生懸命に『元気で明るい自分』を取り繕っているんじゃないか。そんな想像がめぐる。

その底抜けに明るい『仮面』の下にどれほどの不安と寂しさを抱えているのだろう。

心のうちに隠した弱さを受け止めてくれるのが、『星空』と『正樹』だったのかもしれない。

気づけば俺は、舞台の上で起こる物語に引き込まれていった。

「きっと、正樹は私のこと何とも思ってない。当然だよ。いつ死ぬかも分からない、めんどくさい女の子なんかより、もっと素敵な子がいるはずだもん」

回想の中で、水原が、いや『樹里』がぽつりとつぶやいた。

クラスメイトから不釣り合いだと言われても、親に罵られても、ふたりは一緒に星空を見続けて来た。それなのに二つの思いは重ならない。

俺はまたページをめくった。

「なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ」

「えへへ。突然、こんなことになって驚いたでしょ?」

「当然だろ」

「50%だって」

「え?」

「手術の成功率」

「…」

「ずいぶん勝ち目のある勝負だと思わない?」

卒業後樹里は、病気の治療を受けるため渡米することが決まった。

正樹は、樹里と一緒にいることが知られ、一方的に周りからストーカーだと誤解された。日陰者の彼には反論する権利すら与えられず、さらに教室の中で孤立した。彼はこの日本から逃げるように、イギリスの大学を受験することに決めた。

樹里は正樹に本心を伝えられていない。正樹は樹里の好意を『からかわれている』と誤解したままだ。

俺はすれ違い続ける二人にじれったくなる。

回想が終わり、時間が『今』へと戻って来た。3月31日、卒業式の晩だ。

「正樹にはさっ、二重星は一つに見える?それとも二つに見える?」

舞台が始まったときから、ずっと引っかかっていた樹里のセリフが再び繰り返される。正樹はどう答えるんだろう。

「ふたつだろ。360光年離れてるって言ったのは、樹里じゃん」

正樹の答えは『ふたつ』だった。

「そう、そうだよね」

『樹里』は一度うつむくと、『遠いなー』とおどけて、また空を見上げた。

正樹は樹里に別れを告げ、屋上を後にした。

樹里はひとり屋上から離れられなかった。膝に顔をうずめ、うずくまっている。

あと一歩、お互いに近づく勇気があれば、こんなことにはならないのに…。このまま二人は離れ離れになってしまうのかと、俺の胸に切なさが募って来る。

帰り道、正樹は、何度も樹里と一緒に歩いたその道を振り返る。そのとき、唐突に正樹の脳裏に樹里の言葉が蘇ってきた。

「正樹、二重星って知ってる?」

「ああ。白鳥座のアルビレオとか、オリオン座βとかだろ?二つの星が重なって、一つに見えるやつ。肉眼じゃ分かんないけどな」

「正樹はさ、二重星は一つだと思う?二つだと思う?」

「いや、二つだろ?」

「あー。つまんない」

正樹の記憶の片隅に残っていた樹里の言葉。そこに質問の答えが隠されていた。『樹里』が、少し不満げな顔で駄々をこねるように言う。

「私には一つに見える。バカだって言われるかもしれないけどさ。本当は何光年離れてるんだとか言われても、悲しいだけじゃない?だって、星空はこんなにも奇麗なんだよ?ここで二つの星が巡り合って、重なって、こんなにも輝いてる。それでいいじゃん」

そこで正樹は気づいたんだ。その質問の意味を。樹里がその言葉にどんな祈りを込めたのかを。樹里は、離れ行く自分と正樹の姿を、二つの星に重ねていたんだ!

《正樹は振り返り、樹里のいる屋上へと向かう》

そうだ!行け!正樹!胸の高鳴りとともに、俺のイメージの中の『正樹』が駆けだした。俺は舞台の外から正樹のセリフを読んでいるだけだし、実際海くんが演じた正樹がどうしたかは分からない。でも、たぶん、『正樹』は走り出したって思う、一秒でも早く、星の降り注ぐ屋上へとたどり着くために。

水原は舞台の奥で膝に顔をうずめている。

俺のセリフ。

「樹里…!」

水原に向かって呼びかける。

「え?…正樹?」

水原が顔を上げ、驚いたようにその瞳が揺れる。

俺の口元も震える。

「ひとつだよ!二重星はひとつだよ!遠く離れていても、俺は樹里の傍にいるから!」

そう叫ぶと、水原は立ち上がり『正樹』に駆け寄る。

「ごめんね、正樹。ごめんね。あんな聞き方しかできなくて、ごめんね」

「ううん。俺の方こそ、ごめん。ずっと樹里の気持ち気づけなくて」

樹里と正樹…すれ違い続けた二つの星が、やっと重なった瞬間だった。

樹里と正樹の間の360光年とも思われる距離。親同士のいがみ合いや、学級でのグループ同士の対立に引き裂かれ、巡り合うことができなかった二つの星。

そしてこれから二つの星は別々の場所で輝き続けなければいけない。いつ同じ場所に戻って来られるのかも分からない。もしかしたら、心臓の手術をする樹里はもうこの宇宙には戻って来られないかもしれない。

でも、それでも、きっと心さえ繋がっていたら、そんな物理法則なんて関係なくて、一緒にいるか離れているか決められるのは二人しかいないのだ。

良かった、マジでよかった。俺の胸に熱いものが込み上げてくる。なんだか目元も熱い。

あれだけ海くんと水原がイチャついてたらどうしようって騒ぎ立てていたのに、こんな素敵な思いの前に、邪念なんか湧かなかった。ただただ、水原が演じている樹里が、切なくて、愛おしくて、素敵だなと思った。

すると水原がこちらをチラチラと伺い始めた。

いっけね。物語に浸りすぎて、セリフ言うの忘れてた。

台本に目を落とした俺は、次のセリフを見てドキッとする。

《好きだよ。愛してる》

なっ!?マジ!?

俺は急に現実に引き戻される。

こんな愛の告白を俺は水原にするのか!?鼓動が走り出した。顔に血が上ってきているのが分かる。

でも、水原に迷惑かけるわけにいかねーしっ。どーすりゃいいんだ、コレ!?

いや、落ち着け。俺は『正樹』だ。相手は『樹里』だ。コレは演技、コレは演技。読めばいいだけ。呪文のように言い聞かせ、息を吐いて呼吸を整える。

すっと一息吸うと、口を開いた。

「好きだよ。愛してる」

うぁっ!言っちまった!恥ずかしさに、かぁっと顔が赤くなる。大丈夫か、俺!?まともにセリフ言えてる!?

舞台に視線を戻すと、俺は驚いて「へ!?」と思わず声が漏れた。

水原の顔がみるみる赤く染まって行ったのだ。Tシャツの襟から覗く胸元も、首も、頬も、耳も真っ赤だ。

照れたように俯いては、また正樹の顔を見やる。動揺の色を浮かべ、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。

水原、すげー照れてる。かわいい…。めっちゃ、かわいい…。

水原は、緊張した様子で、その桜色のよく整った唇をゆっくりと開いた。

「好き。私も好き。世界で一番好き。宇宙で一番好き」

す、好きぃぃぃぃ!?『スキ』そう動かした口元から目が離せない。俺の顔は真っ赤だ。たぶん耳の方まで赤く染まってる。水原にも聞こえるんじゃないかと思うほど鼓動が高鳴る。

ずっと好きだった人にこんなに真っ直ぐに告白されたら、きっと嬉しくて恥ずかしくて仕方がないはずだ。それが伝わってくる、つーか、好きって言われてる俺が今めちゃめちゃ恥ずかしい!

思考停止しそうな脳みそに、読めばいいだけだと言い聞かせ、俺は水原にセリフを返す。

「俺も、世界で一番好き。宇宙で一番好き」

「じゃぁ、私はビッグバンが始まる前から、ずっと好き」

水原が顔を赤らめながら、口元を緩めた。へへっとはにかみながら笑顔がこぼれる。

…っ!照れた顔がマジでかわいい…!恥ずかしさで声が上ずっている感じとかヤバイ…!

「じゃぁ俺は、ビッグバンが起きて、この宇宙がなくなるときまで、ずっと好きだ」

なんとか俺がセリフを返すと、水原がまた恥ずかしそうに瞳をぱちぱちと瞬かせる。

そして少し戸惑いながら、『正樹』の身体に腕を回し、抱きしめた。

ぐおおおおおお!なんだコレ!?

もちろん水原は実際に俺を抱きしめているわけではない。でも、水原が愛おしそうに抱きしめる『正樹』に、都合よく俺を重ねてしまう。くっそドキドキしちゃうじゃねーか!?

「正樹…ちょっと苦しい」

「ご、ごめん」

「ううん。やっぱりこのままがイイ」

相変わらず水原は頬を赤く染め、照れたように『正樹』の胸に顔を寄せている。

俺の呼吸が落ち着かない。水原にガチ告白して、実は向こうも俺のことが好きで、ラブラブカップルになってしまったような錯覚に陥ってしまっている。

俺はあまりの恥ずかしさに思わず台本で顔を隠してしまった。ヤバイ、こんな状態じゃまともにセリフなんて言える気が!?

そう思って台本を見ると、

「あ…」

もう、セリフは残っていなかった。『樹里』と『正樹』が抱き合ったまま、舞台は幕を閉じたようだ。

こんな告白シーンがあるなんて、聞いてねーよ!?

 

たった30分ほどの物語に俺の身体は震えていた。あふれ出した熱い感情が、観客としてのものなのか、正樹として樹里を思う気持ちなのか分からない。ごっちゃごちゃのまま、俺の瞳には涙が溢れていた。

水原が集中を解いて、『樹里』から『水原』に戻ったのが分かる。

俺は、はやる気持ちを抑えきれず水原に駆け寄った。

「良かった!マジでよかった!なんかめっちゃ泣けちゃって、最後の方セリフまともに言えてなかったかもしれねーけど、すげー楽しめた。親に二人で会うなって言われたときはさっ、もうどうなるかと思ったけど、最後あーやってうまく行ってマジでよかった」

舞台の醍醐味は自分の肌で物語を感じられることなんじゃないかって思った。目の前で役者がしゃべり、事件が起き、物語が進んで行く。そのドキドキは水原に出会うまで知らなかった。

「俺、水原がこんな元気な女の子演じるなんて思ってなくてさっ。ちょっと驚いちまったっていうか。明るく振舞ってるのに、樹里の辛さとか寂しさとか、めちゃめちゃ伝わってきてマジでヤバかった!それに、ずっと一人で演じてるのに、ここからでも正樹がいるように見えてさ」

舞台は大道具なんてない。音楽も照明もない。正樹役さえいない。なのに、水原の目にはちゃんと『正樹』が見えているようで、本当に彼がそこにいるようで、舞台の上に一つの世界が出来ていた。水原ひとりで、こんなことができるんだってマジで驚いた。

「とにかく、めっちゃ面白かったし、改めて水原ってすげーなって!」

そう伝えると、どうしてか水原が顔を背ける。わずかに覗く頬が、赤く染まっている。

「え?」

夕日のせいか、いや、まだ樹里の演技から抜け出せてないのか?

「水原、顔赤いけど、大丈夫?」

「…えっと、ごめん」

言葉の歯切れが悪い。

手のひらをパタパタ振り、顔を冷やし始めた。

「…軽く熱中症かも」

あーそうか。夕方とはいえまだまだ気温は高い。

「じゃ、水原ココで休んでてよ。俺、何か飲み物買って来るからさっ」

「あ、ありがと…」

俺は水原にポカリかアクエで良いか確認した後、噴水の横に設置された自販機に駆けて行った。

ポカリを買い、振り返る。遠くから水原のシルエットが見える。

マジで今日は良かったなと思う。ロミジュリ問題とか、八重森問題とか、水原に誤解されたとか、まぁいろいろあった訳だけど、なんだかそんなことを考えてたのがバカみたいに思える。

なんだか、こんな飲み物一つじゃ全然足りないくらいのもの見られたな。

コレ早く届けてあげよう。本当に熱中症だったら心配だし。

俺は手元のポカリから顔を上げると、小さなシルエットに向かって駆けだした。

 

水原が体調はもう大丈夫だと言うのを聞いて、俺たちは『練公』を出た。

暮れてしまいそうな陽が俺たちを照らして、2つ長く影が伸びている。

俺は前を行く水原の影を追って、アパートまでの道を歩く。

水原の体調を気に掛けながらも、樹里と正樹に思いをはせてしまう。あの二人だったら、じゃれ合いながら帰っていくのかな、なんて妄想が膨らんで行く。

「最初は水原ひとりでどうやってやるのかなって、思ってたけど。樹里が勉強してるところとか、マジでそう見えてさっ」

「今回は大道具使えなくて、あのやり方したけど、私も楽しかったわ」

「でも、ホントの舞台でやったら、どうなるのかなって、ちょっと思った」

水原一人であれだけ物語に引き込まれてしまうんだ。舞台の上だったらきっともっと凄いんだろう。やっぱりちゃんとした劇場でも、水原の演技が見たかったなと思う。

「そうね。さすがに公園じゃ、力半分、ううん、4分の1くらいだったかも。本当だったらスクリーンに星空が映るし、ちゃんとBGMも流れるから、もっともっと素敵な舞台よ」

やっぱり惜しいことしたなと思う。でも、水原はまた9月から稽古が始まるんだよな。その舞台は絶対見たい。もう今から楽しみすぎる。

「俺、舞台にハマっちゃったかも」

俺の口元が緩み、へへっと笑いがこぼれた。今日は女優一ノ瀬ちづるをまた一つ知れたなって思う。

「でもさぁ。俺、ちゃんとした台本、声にして読むのなんて初めてだったから、パニクっちゃって。演技でも、す、『好き』とか言うのは、さすがに緊張した。あははっ」

なんだか『好き』という言葉を言うのが気恥ずかしくて、笑いながら冗談交じりに言う。

今思い出しただけでも恥ずかしい。女優の水原にとってはただの演技でできる事でも、俺にとってはマジで告白と同じくらい緊張した。水原がマジで俺に告白してるんじゃないかって気分になってしまったし、まさか『好き』だなんて言われるなんて。

「女優さんってスゲーなって思ったよ。特に最後、好きな人に真っ直ぐ告白されて、樹里がドキドキしてるのすげぇ伝わってきて。水原も顔赤らめて、『恋する乙女』って感じだったし」

「…そう見えただけじゃないの?」

なんだか水原の口調がそっけない。え?どうしたんだろう。俺、変なこと言ったかな。

「そうかもしれねーけど。きっと『樹里』、照れてたんだろうなって…」

「まぁ、そう言う解釈で演じてるから」

「やっぱ、『樹里』ってそう言う気持ちだったんだっ」

「…もうっ、ばかっ」

小さくて、なんて言ったのか聞き取れなかった。

「ごめん水原、今なんて言った?」

水原がふぅと一つ息を吐く。

「『もうちょっと別の感想ないの?』って言ったの。テーマのこととか、他にもあるはずでしょ?」

水原の声に棘がある。え?俺なんか、悪いことでも言ったのか!?

「ごめん、俺なんか悪いこと言った!?」

「別に」

「水原、なんか怒ってる?」

「怒ってないわ」

水原ってたまに急にそっけなくなるんだよな。俺、なんか嫌われるようなことでもしちまったか?

マジ女心は分からん。なんて思いながら、怒っていないと言うので、とりあえず納得する。

俺は一通り感想を伝え終わると、また『樹里』を演じた水原を思い出していた。ホントにかわいくて、声も奇麗で、演技も凄くて、マジでカッコよかった。

「でも、ちょっとだけ、俺なんかで良かったのかなって思った」

前を歩く水原の足元を眺めながらそう言うと、水原がちらっとこちらを見やる。

「え?」

「なんか、ごめんな。いや。別にクラファンのこと後悔してるわけでも迷ってるわけでもねぇ。小百合ばーちゃんに映画見せる方法なら、コレがベストだと思うし。でも、やっぱ水原すげー美人だし、演技すげーし、200万かそこらの映画じゃ釣り合わねーっていうか、ホントならもっとちゃんとした映画でデビューしてたのかな。なんて…。」

「何?そんなこと気にしてたの?」

「まぁ、多少は」

「そうね。脚本選びだってあまり時間かけられてないし。うちの映研が優秀だと言っても、きっとプロはもっと上。撮影期間も短いし、機材だってきっと限られてて、いつも撮りたいカットを撮れるわけじゃない」

水原はそう言い切ると、声を低める。噛み締めるように言葉をつづけた。

「でも、私はイヤじゃないから。ちゃんと一歩前に進んでるって思える」

「そっか」

やっぱり水原はカッコいい。あの演技だって、才能だけじゃない。毎日努力して一歩一歩前に進んできた結果だ。

「それに、この間おばあちゃんからもらった台本、覚えてる?」

唐突に話を振られて、俺は少し驚いた。先日、小百合さんから水原に渡された台本のことだ。

「あ、えっと。『せんばづる』だっけ?水原が女優目指すきっかけになったっていう」

「あれから一通り読んでみたの。おばあちゃん、すごく書き込んでて。監督さんからの指示とか、他の役者さんからのアドバイスとか。それで改めて思ったのよね。どんなに素敵な役者さんでも、『演技』はひとりじゃできない。監督や演出家、一緒に演じてくれる役者、衣装、カメラマン、プロデューサーだってそう。ひとりひとりの力がその役者を輝かせるの。まぁ、出来上がったもの見てるだけじゃ分からないと思うけど」

「そんなもんなのかな?」

「そう、実際、そんなもんなのよ。天才なんて言われてたうちのおばーちゃんも、ひとりで演技作ってたわけじゃない」

水原が天を仰ぐ。

「なんで今になって、『せんばづる』の台本を私に渡したのかなって、ずっと考えてた。おばあちゃんきっと、映画を撮れることにちゃんと感謝しなさいって…そう伝えたかったのかな。なんてね」

水原は立ち止まると、こちらに振り返った。シュシュでまとめたポニーテールがふわっと浮き上がる。

「予算はハリウッドの一万分の1かもしれないけど、あなたは精一杯やってると思う。だから、いいじゃないっ。『俺が初めてスクリーンに上げてやったんだ』って胸張って言えば。一緒に映画撮りましょっ、プロデューサー」

水原はいつだってバカな俺の手を引いてくれる。カッコいい正論で、俺の背中を押してくれる。予算は200万かもしれねーけど、水原がこの俺と映画作りたいって言ってくれるなら、精一杯、全力で、頑張るしかねー。

「そうだなっ。ゼッテー映画成功させるから」

「あなたそればっかじゃない。もう何回目?」

『ごめん』と言いかけて、なんだか言い返してやりたくなった。今なら言い返してもいい気がした。

「…水原こそ、その言い方、何回目だよ」

「何回でも言ってあげるわ。映画撮れなかったら恨むから」

「え?マジ?ごめん」

「ふふっ。冗談よ」

お互い顔を合わせると、笑い声がこぼれる。

やっぱり俺は水原のことが好きだ。

もし叶うなら、こんな二人の時間が永遠に続いて欲しい思った。

 

水原との夢のような時間は終わりに近づいていた。

俺はアパートまでたどり着くと、階段を登り切ったところで水原にさよならを言う。

「今日はありがとなっ。また次の舞台楽しみにしてるから」

「どういたしまして」

水原の顔が夕日に染められて赤く染まっている。本当に奇麗だ。

その横顔が『樹里』を彷彿とさせる。

え…?

―――…初めは演技だと思っていた気持ちが、本物に変わり始め、あるとき自分の気持ちが分からなくなるッス。どうして私、あの人のレンカノ続けてるんだろうって…。そのとき、気づくッス。私、ずっと彼のことが好きだったんだって…

脳裏には今朝の八重森さんの言葉。俺は一つの可能性を見出して、思考が停止してしまった。

まさか、水原が『樹里』を演じてるとき、俺と同じように内心ドキドキだったりするのか…?

演技とはいえ俺に告白されて、それで恥ずかしくなって顔が赤くなってしまったとか。

いやいや、さすがにそれは都合がよすぎるか。あくまで、あれは演技だもんな。そうだよ、演技で顔を赤くして…

いや、でも、冷静に考えてみたら、いくら演技だからって顔赤くするとかできるのか?

それとも、熱中症で顔赤くしてただけ?いや、たまたま夕日が射して頬が赤く見えただけ?

まさか、八重森さんの言った通り、レンカノやってるうちに自分の感情とキャラの感情が分からなくなって、俺のこと本気で…。

いやいや!さすがにそれは妄想のしすぎだろ!

でも、もしかしたら、そんなことも…

その小さな可能性に俺の心は一気にかき乱される。

「どうかした?何?また考えごと?」

…っ。その声に俺の心臓は跳ね上がる。まさか、まさかな…

「えっと、水原、1つ質問いいかな」

「何?」

「演技してるとき、自分の感情とキャラの感情がごっちゃになったりすることってあるの?」

「え?何その質問?」

水原が訝しげな顔。そりゃ質問があまりに唐突すぎる。

「えっと。うまく言えねーけど。嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか、(好きとか!好きとか!好きとか!)演じてるとホントにそう思っちゃうこと、あるのかなって」

俺は平静を装い、横目で水原の顔を伺う。

「そう言うことなら、割とあるかな」

「え?あるんだ」

ぐおおおおお!マジか!?ってことは、八重森さんの言った通り、俺の彼女やってるうちに、本気で俺のこと好きになってしまってる可能性だってあるのか!?

あのとき赤くなった水原の顔も、俺の告白を聞いて恥ずかしかったからなのかもしんねーぞ!?

水原の告白に、さらに鼓動が早まる。

「もちろん役としてね」

「役として?」

なにそれ?教えてくれ、水原。

その後水原は、キャラの性格がどうとか、状況がどうとか、なんかいろいろ説明してくれたのだが、俺にはマジで分からない世界で、「へー、へー」と相槌を繰り返すしかなかった。

 

自分の部屋に戻った後も、否が応でも妄想が膨らむ。

 

「水原、どうかした?わざわざ俺を舞台に呼び出すなんて」

「お願い。あなた、もう一度『正樹』演じてくれる?」

「別に良いけど…好きだ。愛してる」

「好き。私も好き。世界で一番好き。宇宙で一番好き…かぁ!」

妄想の中の水原が、真っ赤に頬を染める。あまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆った。

(…やっぱり。私、和也さんのこと本気で好きになっちゃてる!)

 

「ぐおおおおおおお!水原何で顔赤かったんだああああ!?」

布団に突っ伏してのたうち回る。

水原もしかして俺の告白に動揺してたのか!?いやいや、それとも、水原の超人的な演技力をもってすれば、顔色の変化なんて自由自在なのか!?カメレオンか何かなのか!?

「マジ、演技って何なんだ?誰か教えてくれっ」

それから1か月余り、解けることのない疑問が俺の脳内を駆け巡っていた。

 

 

 

******

 

中野海は舞台公演の打ち上げに参加した後、自宅のタワーマンションへと帰宅した。ずいぶんお酒が回っている。気分がいい。

リビングには壁一面に開けた窓があり、その向こうには灯に照らされた都会の夜景が広がっている。

海はふぅと一息つくと、ソファーに腰を掛け、上着のポケットからスマホを取り出した。

スクロールして映し出された画面の一ノ瀬ちづるに、目が吸い寄せられる。

ブルーのワンピースから白く伸びた手脚が細く引き締まり、立ち姿が美しい。それでいて胸元や腰回りは柔らかいカーブを描き、ふくよかさがある。ストレートの長い黒髪がしなやかになびく。

海の脳裏に、彼女が演じた『樹里』が蘇ってくる。その弾むような声が、明るく弾ける笑顔が、抱き合ったときのぬくもりが、愛おしくて切ない。

「素敵だな…ちづるちゃん。もう気持ちが抑えられないよ。やっぱり僕は演技に一生懸命なコが好きみたいだ…」

海は目の前のテーブルに置かれた舞台公演のチケットを手に取ると、にやりと笑みを浮かべた。

「好きだよ。愛してる」

 

(完)

 

 

演技と彼女①

演技と彼女②

演技と彼女③

演技と彼女④

 

【あとがき】

妄想小説「演技と彼女」、いかがだったでしょうか。このお話はここで完結です。

この妄想は、女優一ノ瀬ちづるを書きたくて広がったお話です。和也と千鶴が一緒にラブシーンを演じることになってしまい、デートでも絶対言わないようなラブラブな言葉を言い合ってパニクっちゃう。そんなシーンをめがけて書き始めました。

ですが、千鶴が「和也と一緒に演技をしたい、しなければならない」と思う状況を作るのに苦労しましたね。

そこで、和也が千鶴の舞台を見に行きたかったけど、行けなかった、なんてエピソードを最初に書くことにしました。それが「演技の彼女①」です。

つづいて、千鶴に「和也に自分の演技見てもらいたい」という気持ちを作るために、彼が千鶴のために頑張るお話を書きました。それが「演技と彼女②」です。

瑠夏ちゃんが暴走して千鶴が誤解するエピソード(演技と彼女③)と、八重森さんの誤解を解いて、ロミジュリ問題が解決するエピソード(演技の彼女④)は、予定していた荒筋になかった内容でした。①②を書きながら、どんどん膨らんで行ったと言う感じですね。

そして和也と千鶴がラブラブなセリフを言っちゃう「演技と彼女⑤」。ここでは女優一ノ瀬ちづるをめちゃめちゃ妄想して書きました。その②で千鶴は、和也と演じることになった戯曲を「奇麗で、切ない」と言っているんですが、どんな物語を演じさせるのか本当に悩んで、最近読んだ恋愛小説なんかを参考にキャラ設定やらストーリーやらを組み立てましたね。あんまりロミジュリ要素なくなっちゃいましたが、そこはこれが僕の限界ということで、ご勘弁ください笑。ちな『二重星』は普通「にじゅうせい」と読みますが、可愛くないので樹里には「ふたえぼし」と言わせてます。樹里は本当は正樹に好きだと伝えたかったのだけれど、それを言ってしまったら心の支えである正樹との関係を失うのではないかと恐れて、さらに心臓の病気でいついなくなるか分からない自分を好きになってもらう自信がなくて、言えなかったという設定になっています。だから樹里は、『二重星はひとつか、ふたつか』なんて遠回しな言い方で彼の気持ちを確かめようとしたわけです。

全体を通して、『彼女、お借りします』という作品から離れすぎたくないなと思って書いていました。キャラクターの性格や反応の仕方、思考回路、口調、キャラクター同士の関係性をできるだけ原作に寄せるようにしました(もちろん自分なりにですが)。このお話はクラファンを開始したばかりの数日間(117話あたり)という設定で書いています。和也が映画製作で一生懸命になっている時期であり、千鶴が和也の事がずっと好きだったんだと気づいた後(86話)、さらに彼に惹かれて行った時期でもあります。そう言う状況を土台に、妄想を膨らませました。

また、とにかく千鶴のデレを分かり易く書かないという決意がありました。あの子は、好きだと言えない超ド級のツンデレなので、分かり易く好意を出せてしまったらもう千鶴ではなくなってしまいます。「好き」という気持ちを一生懸命隠しているんだけど、和也を男の子として意識したり瑠夏の事で不安になったりして、行動やセリフに本心が垣間見えてしまう。そんな千鶴を書くことを目指しました。そしてそのデレが和也には分からず、ふたりはすれ違ってしまうわけですね(にやり)。

今後も、気分が乗ったら、妄想小説を書きたいと思います。