【妄想】演技と彼女③
演技と彼女③/甲楽わん
「るかちゃん。だって俺はもうすぐこの世からいなくなるんだよ」
「ごめんね和也くん。私…何もしてあげられなくて…」
そう言ってナース姿の瑠夏ちゃんが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ちがう。謝るのは俺の方だよ。るかちゃんの気持ち、ずっと見ないふりをしてた」
「え…?」
その顔に動揺の色が浮かぶ。それを見て俺は言葉を続けた。
「ずっと言えなかった。るかちゃんの記憶に残らないように、このまま俺は消えた方がイイんだって」
「…」
「俺、ずっと前から、るかちゃんのこと好きだった」
驚いたように見開いた瞳は大きく揺れる。しかしすぐに目を細めると、口元が綻んだ。
「もうっ。何でもっと早く言ってくれなかったんですか!?和也くんも私と同じ気持ちだったらどんなにイイだろうって、ずっとずっと前から思ってたっ!ガシッ♡」
「…いっ」
瑠夏ちゃんが俺に抱きついて来た。これ以上は無理!俺は彼女を突き放す。
いったい何なんだ、この寸劇は…。
「ヘッブショイッ」
ここで話を戻そう。水原とあんなことがあって、俺は風邪を引いてしまったわけだ。
真夏だから雨に打たれたからって身体が冷えたわけではない。たぶん単に疲れがたまっていただけだと思う。
おかげで水原の舞台には行けなくなり、件のロミジュリ問題が勃発した。
結局、看病に来ていた瑠夏ちゃんに止められたまま、舞台を見に行くことはできなかった。水原が海くんとキスしたりハグしたりしてないのか、演技をきっかけに本当に付き合ったりしないのか、もう俺は気が気じゃない。
さらに、ナースコスをした瑠夏ちゃんに抱き着かれているところを八重森さんに目撃され、『ヤッテル』と勘違いされた。
マジ受難。
夕方には平熱に戻り、風邪の方はだいぶ良いはずなのだが、そのせいで全然気分はすぐれない。
昼間から始まった瑠夏ちゃんの看病は、どエロいナースコスを披露するだけでは収まらなかった。瑠夏ちゃんは完全にナースになりきって、俺を患者扱い。駄々を捏ねられ半ば強制的に『あーん』をさせられた。『和也君、可愛い♡』なんて言ってキャッキャ喜ぶのは別に悪い気はしないのだが、あまり喜ばせて必要以上に関係が深まってしまうのはよろしくない。
しかし、俺は度重なる災難に見舞われ抵抗する気力を失っているのかもしれない。結局、楽しそうにはしゃぐ瑠夏ちゃんの勢いに負け、俺は瑠夏ちゃんの考えた寸劇に付き合わされている。
「るかちゃん。俺、生まれて初めて幸せだって思うよ(棒)」
「和也君…♡」
「瑠夏ちゃんが傍にいてくれるから(棒)」
「うん、私も幸せ♡」
「ずっとずっと、こうしていたい(棒)」
「和也くーん!ギュッ♡」
「…っ。ちょっと!!!離れて!離れて!」
瑠夏ちゃんの考えたシナリオは、ナースと患者の甘々な恋愛もの。
主人公である『俺』は幼いころに両親に見放されたため『愛情』を知らないんだとか、それゆえヒロインである瑠夏の愛情にどう答えて良いか分からずつれなく接してしまうんだとか、瑠夏ちゃんは長々と自分の考えた『設定』を披露してくれた。女の子って普段の考え方は現実的なくせに、こういう妄想だけは好きなんだよなと思う。
歯の浮くような甘々なセリフを言うのは少し抵抗があったが、『和也君も映画撮ってるんだから少しは演技を経験しておいた方がいい』という瑠夏ちゃんの強引な理屈を否定しきれず、単なる演技だからということで、言われた通りセリフを言っている。
瑠夏ちゃんの考えた寸劇は、出会いからすれ違い、恋人同士になるところまでつつがなく進行し、たぶん今がクライマックス。
「ここからが一番ステキなシーンですよ!へへっ。ワクワクです」そう促された俺は、瑠夏ちゃんに言われて床に寝転び仰向けになった。
瑠夏ちゃんは膝を折って正座する。
ぐっ…!目に入った瑠夏ちゃんの短いスカートには大きなスリットが入っていて、開いたところからftmmがはっきり見えるというか、もうパンツまで見えそうな勢いだ。
俺は瑠夏ちゃんから目を逸らす。くっそっ。やっぱり野郎にこの状況はきつすぎる。俺の中の野獣が暴れ出しかねない。不用意に抱き着かれたりしないようにしねーと。
俺は瑠夏ちゃんの書いたメモを見て、セリフを確認する。
「和也くん!しっかりしてっ!」
ナースコスの瑠夏ちゃんがそう叫ぶと、俺の手を握る。
俺はただ風邪を引いているだけなんだが、瑠夏ちゃんの考えた『設定』の中では、不治の病で死ぬ直前ということなんだそうだ。確かに、悩みが多すぎて死にそうではある。
「和也くん、和也くん!!!」
「瑠夏ちゃん、もういいんだ(棒)」
「イヤ!ここでお別れなんて!一緒に見るんでしょ!ウルル!」
「ありがとう、るかちゃん。俺、るかちゃんと出会えたから、(棒)」
「…和也くん?」
「病気で生まれてきて良かった(棒)」
そう言って俺は目を閉じてうなだれる。死んだフリ。
「和也くん!?和也くん!?……さいっ。助けてください…っ!」
瑠夏ちゃんは完全に物語の世界に入り込んでしまっている。セリフが喉に詰まり、絞り出すように声を上げている。
「嫌だよ、こんなの…。ねぇ、冗談だって言ってよ。そう言っていつもみたいに笑わせてよ。ねぇ、和也君…」
俺の手を握った瑠夏ちゃんの手にぐっと力がこもる。
すると俺の頬にぽたぽたと生暖かいものが滴る。
え?思わず俺は目を開いて瑠夏ちゃんの声のする方を見た。
瑠夏ちゃんの瞳には涙が溜まり、ぽろぽろと頬を伝って流れ落ちている。
目を赤くしてマジで泣いてしまっている。
「る、るかちゃん!?」
「良いところなのにっ。ぐすん。今和也君は意識失ってるところですよ。ぐすん、ぐすん」
突然泣き出した瑠夏ちゃんを見て呆気(あっけ)にとられてしまった。
「で、でもマジで泣いてるから…」
「そりゃ和也くんが死んじゃったって思ったら、泣けてきますよ」
「…演技でしょ?」
「演技でも、和也君だもん。泣けちゃうんです。ぐすん」
瑠夏ちゃんはぐすんぐすんとしゃくり上げる。
…俺はなんだか申し訳なくなってしまった。嘘の設定だとはいえ、泣いてしまうほど俺を心配してくれるなんて。
『瑠夏ちゃんは俺のことが好き』瞳を赤くしたお試し彼女に改めてその事実を思い知らされる。今日だって悪気があってナースコスしたわけじゃない。一緒にいたくてやったことだ。
もう少しちゃんと相手してあげた方が良いか…
「ごめん、もう一度やろっか」
「はいっ」
俺らは同じシーンをやり直すことにした。
「俺、るかちゃんと出会えたから…」
「…和也くん?」
「…病気で生まれてきて良かった(と言って、再び死んだフリ)」
「和也くん!?和也くん!?……さいっ。助けてください…っ!」
瑠夏ちゃんの演技にはさらに熱がこもる。
そのとき瑠夏ちゃんの腕で俺の頭が持ち上げられたと思うと、頭の後ろに何か柔らかい感覚がある。コレは…!?
ftmm…!?膝枕されてる!?
気づいた俺は、身体を起こした。
振り返って見ると、柔らかさを感じた場所には、瑠夏ちゃんの白ニーハイ、そこから覗くftmm!
「いっ、今のはちょっと!」
「どうしたんですか?またシーンが台無しですよ。ぐすん」
床に座り込んだ瑠夏ちゃんは、相変わらず目を赤くして瞳に涙を貯めている。
「膝に乗せるのは無しで!」
「えーそうですか?分かりました…。ぐすん」
「う、うんっ」
演技とはいえ出来ることと出来ないことがある。瑠夏ちゃん演技に真剣になりすぎて、自分のやってること理解してねーのか?
俺の意識は否が応でもスカートから覗く太ももに吸い寄せられる。ナース服に覆い隠されても明確にそれと分かるほどにしっかりと主張した胸にも。
今にもパンツが見えてしまいそうなほど短いスカート。そこから伸びるふんわりとした脚には白ニーハイ。身体は華奢だが、結構胸はでかい。にもかかわらず、純粋無垢JK未発達ボディー。もはやAVでも超えられない領域に達している。
セリフを言うくらいならイイが、あんなことやられたら俺の中の『野獣』が目を覚まし本能のまま暴れ出しかねない。瑠夏ちゃんの身体感じねーように、精神統一しねーとっ。
俺は再び床に寝転がると、死んだフリを決め込んだ。全神経活動を静止させるのだ。
「和也くん!?和也くん!?……さいっ。助けてください…っ!」
瑠夏ちゃんの言葉も聞こえない。俺は死体、俺は死体。何も感じない、何も感じない。
するとまた俺の頭が宙に浮いた。え?
そう思った瞬間、俺の顔面が弾力のある何かに包まれた。息が苦しい。
「ん゛っ!?」
柔らかく温かな感覚…!
目を開くと胸!視界いっぱいに胸!
瑠夏ちゃんに抱きかかえられ、おっぱいが俺の顔にもろに当たってしまってる!
ナース服かブラジャーか、埋もれた鼻先に甘い香りが広がる。
俺は思わず身体を一回転。瑠夏ちゃんの腕を振り解くと、ぴょーんと飛び上がった。
「ちょっ、ちょっと!!!」
瑠夏ちゃんは突如立ち上がった俺を見上げ、キョトンとした顔。
「え…?ダメですか?ぐすん」←物語に入りすぎてやってることに気づいてない
「瑠夏ちゃん、自分がやってること分ってる!?」
「和也君とお別れです…ぐすん、ぐすん」
瑠夏ちゃん演技に入り込みすぎて、マジで自分がやってること分かってねー!演技だからって、出来る事と出来ねーことが。
俺の身体は素直だ。まだ顔面に残る、温かく柔らかな感覚。むらむらと俺の身体の中で『野獣』が雄たけびを上げ、バリバリと皮膚を破って飛び出しそうだ。これ以上は耐えられる気がしねー。何とかして止めさせねーと…!
「え、えっと、死にそうなときは、優しく手を握ってくれた方が俺は好きかなー。ははっ。う、うん!」
「一回目の方が良かったですか?」
「うん!良かった!一回目、めっちゃ」
「へへっ、分かりました」
笑顔を溢す瑠夏ちゃん。納得してくれたか…
俺が死んだ後はやさしく手を握るということで話は落ち着き、シーンは再開。
俺は死体、俺は死体、俺は死体…。
「和也君、もう起き上がって大丈夫ですよ」その声を聞いて俺は肩から力が抜け、大きく息をする。死体に徹し、俺は無事死ぬことができたようだ。
ふぅ、これで患者役もお終いか。
「コレで終わりかな?」
「次はふたりが永遠の愛を誓うシーンです♡」
瑠夏ちゃんが一転、けろっとした顔で言う。
「え?俺、今死んだはずじゃ?」
「ここから和也君は潜りの天才医師に助けられ、私と幸せに暮らします!」
「はぁ!?はははっ…はぁ」
そんな無茶苦茶な…。思わず苦笑いをして大きなため息をつく。
「むっ!和也君、嫌なんですか?」
「ごめん、最後までやろうか」
渋々ながらそう答える。
たぶん、エンディングまであと少しだと思う。おとなしく最後まで付き合うしかないか…
すると瑠夏ちゃんが白ニーハイの正座を崩して立ち上がった。
「じゃ、私着替えますね!結婚式ですからっ!」
え?ナースコス以外に何か持って来てるの?
瑠夏ちゃんは持って来たディパックの中から衣装を取り出した。白のワンピースに着替えるようだ。流石にウェディングドレスを用意することはできなかったみたいだが、確かに結婚式っぽい感じの衣装ではある。
「和也君、私のお着替え見ますか?遠慮しなくていいんですよ」
「…っ」
瑠夏ちゃんが白ワンピを両手に抱えて、いたずらっぽく笑みを浮かべる。
んなもん、見られるか!?「俺部屋出るからっ」そう言って、俺は部屋を飛び出し玄関に身を隠した。
瑠夏ちゃん、マジ今日暴走してる。ぶんっぶんっ!俺は首を左右に振って、脳裏に焼き付いた瑠夏ちゃんのどエロいナースコスと、膨らんでしまいそうなお着替え妄想を振り払う。
「こんなことになるんなら、昨日ちゃんとヌいておくんだった…」
そう独り言ちて、昨日欲求を満たさなかったことに後悔してると、瑠夏ちゃんに呼ばれた。
「へへっ。次は和也君の番ですよ」
俺は瑠夏ちゃんに言われ、襟袖付きのシャツとジャケットに着替えさせられた。確かに多少正装っぽくはある。
場所は教会という設定らしい。
「和也君!えっへへっ。どうですか?」
瑠夏ちゃんがくるっと一回転すると、白ワンピのスカートがふわっと浮き上がる。
…くっ。かわいい…美少女×白ワンピースは夏空のエンジェル。
しかし、ずいぶん心の負担は小さくなった。どエロいナースコスのAVシチュエーションよりかなりマシだ。これなら多少は俺の中の『野獣』も静かにしていてくれるだろう。何事もなく、この寸劇を終えられると願いたい。
俺が襟を整えると、瑠夏ちゃんが俺の目の前に立つ。シーン開始。
「かずやくん…♡」
瑠夏ちゃんが俺の顔を覗き込む。上目遣い。なんだか照れた表情が色っぽい。いかん。コレは演技、コレは演技。俺は手元の紙に書かれたセリフを確認する。
「俺、ずっとこの日が来るのを待ってた(棒)」
「私も…♡」
「ふたりの出会いは『運命』だったんだ(棒)」
「かずやくーん♡!!!」
瑠夏ちゃんが、両腕を俺の首にかけ抱き着いてくる。瞼を閉じて、ちょこんと唇を突き出してきた!キス!?
「無理!無理!それは無理!」
咄嗟に瑠夏ちゃんの肩を掴んで突き放す。
「キスは解禁したはずですよ♡ノーコーな口づけをもう一度!」
しかし瑠夏ちゃんの勢いは収まらない。顎を上げ、俺の唇を目掛けて口を尖らせる。
くっそっ。どエロいナースコスじゃなくなったからって油断してた!結婚式のシーンならキスやるとか言い出して当然じゃねーか!?
「俺は解禁してないからっ。だって!俺たち『お試し』でしょ!?」
「む!」
瑠夏ちゃんは途端に眉間にしわを寄せて俺を見てくる。
げ!?マズった。『お試し』なんて言ったら、逆撫でするだけだ。
「ちゃんとキスしてくださいよ!?結婚式なんだからっ」
「うっ、嘘でもできることと、できないことがっ!それに風邪うつっちゃうよっ」
「む゛ーーーー」
瑠夏ちゃんは肩を震わせ猛獣みたいに唸り声をあげる。まずいっ、一気に不機嫌メータが振り切れた。身体からメラメラと負のオーラが出てる。
「る、るかちゃん、いったん落ち着こっ?」
「…そこまで嫌がることないじゃないですか…」
時すでに遅し。いくら何でも突き放しすぎたか。瑠夏ちゃんが頬を膨らませ不満そうにうつむく。
「ごめん、そう言うつもりは全然…」
「私、和也君がキスしてくれるまで、帰りませんから!!!」
「はぁ!?」
キスするまで帰りませんはナシでしょ!?
「キスくらい、いいじゃないですか!?和也君映画のことばっかで、最近かまってくれなかったしっ。いつも『また今度』とか、『映画が終わったら』とかばっか言うしっ。わがままの一つや二つ聞いてもらわなきゃ割に合いませんよ!!!」
もうずいぶん、わがまま聞いてると思うんだが!?んなこと言われても、無理なものは無理だろ!
相変わらず瑠夏ちゃんは頬を膨らませ、俺を睨みつける。くっそっ。確かに最近は映画のことを理由にデートにも付き合ってあげてない。不満が溜まって当然。このまま何もしなかったら、今晩泊まるとか言い出しかねねー。脳裏によぎる、下着にTシャツで抱き着かれあと一歩でヤってしまいそうだったあの晩…。あんなことまたされたら、俺の中の『野獣』が暴れ出す、確実に。抑え込める気がしない。
キスか、お泊りか、二者択一。
「んーーーー♡」
「…っ」
瑠夏ちゃんが再び俺の首に両腕をかける。瞼を閉じ、俺の唇をめがけて唇を突き出してくる。
その勢いに押されて壁際に追い込まれた俺は、なんとか顔を逸らして逃げるのだが、それを見た瑠夏ちゃんは踵を上げてさらにせがむ。近いっ、唇が近いっ!
くっそ!もうコレどーすりゃいいんだ。何もしなかったら最悪このまま泊まるとか言い出しかねねぇしっ。瑠夏ちゃんの唇に何かテキトーに押し当てたらいいのか!?
瑠夏ちゃんに抱き着かれて、いろいろなところ当たっちゃってるし、イイにおいはするしっ。唇は柔らかそうで、プルンプルンで、マジで吸い寄せられそう…。キスするのか、しないのか!?どうする!?俺!?
俺はゆっくりと瑠夏ちゃんの顔に唇を寄せた。
「ちゅっ」
キスをした…瑠夏ちゃんの額に。マジこれで勘弁して…。
瑠夏ちゃんはうつむいて黙ったまま、ブルブルと肩を震わした。
ヤ、ヤバいっ。さすがに怒らしちまったか!?俺は両手にパーでバリアを作り防御態勢。
…恐る恐る指の隙間から瑠夏ちゃんの様子を伺う。
「えっへへ♡和也君にキスしてもらっちゃった」
「え?」
面を上げた瑠夏ちゃんは瞳をキラキラさせていた。「今回はコレで許してあげます」そう言って満足顔だ。あれで良かったのか…。
その様子を見て、一気に緊張がほぐれる。俺は防御を解いて肩を落とし、大きく息を吐き出した。
まぁ、確かに俺の方からキスするのは初めてか…。
「和也君っ、あなたは永遠の愛を誓いますか?」
「え?いや、さすがにそれは…」
「誓いますか!?」
…くっ。瑠夏ちゃんが俺に身体を寄せて顔を突き出してくる。眉を寄せて拗ねた顔。コレ調子合せねぇと終わらせてくれねぇな、
「ち、誓います…」
「私も誓いますっ。へへっ。ハッピーエンドですねー!」
そう言ってガシッと抱き着いて来た。そのまま2人で床に転がる。
…無事瑠夏ちゃんと俺の寸劇は幕を閉じたようだ。
「へへっ。和也くん映画の準備もあるみたいですし、私はコレで失礼します!」
瑠夏ちゃんは満面の笑み。キスに満足したのか今日はすんなり帰ってくれるっぽい。
ルンルンで身支度を整えると玄関へと向かう。
とんだ休日だったな。水原がロミジュリしてるのか気になりすぎて死にそうだし、瑠夏ちゃんのどエロいナースコスに付き合わされるし、八重森さんには誤解されるし。マジでいろいろ悩みが増えた。
でもまぁ、唇にキスしたわけじゃねーし、下着にTシャツ一枚でお泊りされた時よりはマシだったか…。
玄関で見送ろうとすると、瑠夏ちゃんはくるっと身体を返して俺に向き直る。
「今日は、和也君の看病ができて、とっても幸せでした」
「あ、ありがとう…助かったよ」
「誓いのキスもしてもらいましたしねっ」
ニカッと白い歯を見せる。小悪魔のようなしたり顔。
「え!?」
「和也君が『愛してる』って言ってくれて、私、すっごくドキドキしちゃいました」
ちょっ、ちょっと待って!?まさか勘違いしてないよね?あれはそう言う『設定』なだけでしょ!?演技でしょ!?
「誓いの言葉忘れませんっ。ではっ!」
「え、演技だよ!演技だからね!」
セリフ言わされただけなのに、そんな勝手な解釈されたら、たまったもんじゃねー!
扉を開けた瑠夏ちゃんの背中を追いかけて外に出る。
すると、ちょうど今日の公演を終えて帰宅する頃だったか、アパートの階段を登り切ったところに水原が立っていた。
「水原!?」
!?まさかのエンカウント!嫌な予感しかしねー!
「る、るかちゃん、来てたのね。こんばんは」
突然瑠夏ちゃんが現れたことに驚いたのか、一瞬水原が戸惑いの色を見せる。
「ちづるさん、こんばんわー。あれ!?千鶴さん、それ和也君への差し入れですかぁ?」
瑠夏ちゃんの言う通り、その右手には、コンビニのビニル袋か何かがぶら下がっていた。瑠夏ちゃんは、「フーン」と言ってそれを見下ろすと、途端に口角を上げて全力笑顔。
「どーぞ、どーぞ。ご自由にしてください。お先に看病させていただきましたからー」
俺の腕をぐっと胸元に引き寄せて、ラブラブ・アピール。上からマウント。威嚇。
まずいっ。めちゃめちゃまずいっ。マジで爆弾。ナースコスのこととか、キスのこととか言わないでくれ。
「み、水原!はははっ。るかちゃん押しかけちゃって、いろいろ助けてもらったから」
「とーぜんです!私、『彼女』ですからっ」
「普通に助かったっていうか…、昼飯、作ってもらったりとかね!」
瑠夏ちゃん!お願いだから、そう言うことにしてっ。普通に看病したことにしてっ。
「和也君ったら、『愛してるー』とか『ずっと傍にいるよ』とかばっか言うんだもんっ。もう看病どころじゃなくて♡」
「る、るかちゃん!?」
「見つめ合い♡抱き合い♡ついに二人は誓いのキ…っ」
俺は咄嗟に瑠夏ちゃんの口を手のひらで覆った。
「ん、ん、んーーー!?」
「水原、誤解!誤解だから!」
咄嗟に否定はするが、水原は…
「………そう。じゃ、私忙しいから」
「水原聞いてくれ!これにはいろいろ事情が!」
「映画のことだったらLINEで連絡して」
俺の言葉は水原には全然届いていない。完全にシャットアウト。
水原は俺を無視して、目の前を素通り。部屋の鍵を開けると、そのまま中へと入ってしまった。
バタンッと、音を立てて扉が閉じる。
ぐおおおおおお!『愛してる』だなんて一言も言ってねぇのに!完全に誤解された。
俺は全身から力が抜け、壁にもたれかかった。はぁと大きくため息をつく。なんでこうなるんだよ。
「フフフ。ついに千鶴さんも私と和也君が『運命の二人』だって認めましたねっ。それじゃ和也君っ。今日はありがとうございました!」
瑠夏ちゃんはそう言って笑顔を溢すと「チュッ♡」
「…っ」
踵を上げて俺の頬にキス。思わず手のひらで覆った頬には、瑞々しい唇の感触が残っている。
「へへっ。風邪ひいたときは、絶対教えてくださいね」
「…あはは、そーだね」
水原に誤解され顔面蒼白な俺の気持ちを知ってか知らぬか、瑠夏ちゃんは上機嫌。頬を赤く染めて、潤んだ瞳で俺を見上げる。
「映画のこと頑張ってください」そう言って、大きく手を振るとぴょんぴょんと頭のリボンを揺らし、跳ねるようにアパートの階段を下りて行った。
「水原の誤解…解かねーと…」
壁にもたれかかりながら、がくりと肩を落とす。
とぼとぼと歩いて自分の部屋の前にたどり着くと、扉を開けて中に入った。
布団にごろんと転がる。
マジ、コレどうすりゃいいんだ…。
今になって瑠夏ちゃんの寸劇に付き合ってしまった後悔が押し寄せる。突き放してでも断るべきだった。俺は『愛してる』なんて言ってない。セリフを言わされただけだ。
でも、水原に何て話したら分かってもらえるんだ。瑠夏ちゃんが突然ナースコスしてセリフ言わされただけだなんて説明しても、あまりにも唐突すぎる。ホントのこと話したところで信じてもらえる気がしねぇ。それに瑠夏ちゃんがAV見てナースコスし始めたとか話せるはずねぇし。
今日トラブル多すぎるだろう。ロミジュリ問題に八重森問題、んで水原の誤解。マジ三重苦…。ただでさえハードモードなのに、絶賛苦境まっ只中。
「水原…」
俺はまた、ふーっと大きなため息をついた。急に弱気が襲って来る。
水原はきっと海くんとロミジュリしてたんだ。水原くらいの美人だったら、男が本気にならないはずはない。誰から見てもお姫様と王子様で、お似合いで、みんなから祝福されるんだ。
そもそも俺はただの客で、どーでもいい奴の一人なんだ。さっきも水原、俺の事情とか全然興味ない様子だったし。俺、男として見られてねーの確定じゃねーか。
いくら俺が好きでいても、現実知らないバカが高嶺の花を追っかけてるだけだ。水原はイケメンと出会って、恋に落ちて、デートして、キスして、セックスして、結婚して…。
「なんで俺、映画作ってんだろ…」
俺は布団の上で、くたっとヘタレ込んだ。叶わぬ恋だという現実を噛み締める。
明日には、映研の田臥先輩と予算とかスケジュールとかの打ち合わせをする予定になっている。本当は映画のことに集中しないといけないのに、邪念しか湧かない。風邪が治ってないって言って、打ち合わせ延期するか?実際今日まで風邪ひいていたわけだし、映研の人たちも別に俺を責めたりはしないはずだ。
俺はまた寝返りを打つと、枕に顔をうずめた。今は何も手につく気がしない。
静まり返った黄昏時の部屋に、通りを走る車の音が混じる。けらけらと笑い声をあげる人の声が、ただ虚しく俺の胸に響く。
立ち上がれないまま、時計はカチカチと音を立てて時を刻んで行った。
そのとき視線の端に、わら半紙の束が広がってるのが見えた。
『群青の星座』か…
―――お願い…作って…。私の映画…。おばあちゃんに…見せて…っ。
―――映画は初めてだけど、何とかして見せる。不安もあるけど、それより楽しみかな?
そう言って笑った水原が脳裏に蘇る。
俺は歯を食いしばった。
「何やってんだよ、俺は…」
水原の夢叶えたくて始めたことじゃねーか。
きっと水原はスクリーンの上で誰よりも輝いて、みんなの注目浴びて、それを見て小百合さんも喜んでくれる。そんな瞬間が見たかったんだろ?
これまでさんざん世話になって、今度は俺が力になる番だって決めたんじゃねーのかよっ?
きっと小百合さんの命も残りわずかで、水原だって映画を諦めてばーちゃんとの時間を持つことだってできたはずだ。でも、俺と映画作るって言ってくれたんだ。もし映画出来なかったら、俺は水原に、小百合さんに、どんな顔したらいい?
水原にとって俺はどうでもいい人なのかもしれない。それなら、それでいい。そんなこと関係ない。
俺は水原の夢を叶えてあげたい。水原が悲しむ未来なんて認めたくない。
俺の心に再び、弱弱しくも確かな灯が点る。
俺は布団から重い身体を起こすと、群青の星座を手に取った。
ページをめくる。
ホントは苦しい。でも今は前に進むしかない。
田臥先輩からは、撮影場所とか小道具とか確認しておくように言われてたんだ。ちゃんと整理しておかないと話し合いについていける気がしねー。
俺は文字を追いながら、予算がかかりそうなものをリストアップし、Excelファイルにまとめていく。
邪念に押しつぶされそうになるたびに、俺は首を振って振り払った。
とにかく前へ前へ。俺は水原の夢を叶えるって決めたんだ。
一通り作業を終えた頃には、夜の9時を回っていた。
ふう、そういや夕飯まだ食ってねーな。
立ち上がって冷蔵庫を開けてみる。玉子に牛乳、キャベツ、ハム…。あとは瑠夏ちゃんが置いて行ったネギとか…
まぁ、面倒だから今日はコンビニ行くか。
そう思って振り返ると、床に見慣れない紙切れが転がってるのに気づく。
手を伸ばして拾い上げた。
これ…!?
そうだ、そうだった!
俺はそのまま玄関を抜けて部屋を出た!
水原の部屋の前に立つ。チャイムを鳴らす。
「遅くにごめん、俺だけど!」
頼むっ、出てきてくれ、水原。
しばらくしてガチャっとロックが外れる音がした。
ドアチェーンは掛かったままだ。
扉の隙間から水原の声が聞こえる。
「…何?LINEじゃダメなの?」
「ごめん。今日のことだけど…あれ誤解だからっ」
そう言うが、扉の向こうの水原からはなかなか返事が返って来ない。黙ったままだ。
扉のわずかな隙間から部屋の灯りが漏れ、俺の足元を照らしている。ときどきドアチェーンがゆらゆらと揺れた。
「あれは、ぜんぶ瑠夏ちゃんが勝手に言ったことで」改めて声をかけると、しばしの間の後、
「…瑠夏ちゃん、ずいぶんはしゃいでたけど」
水原から返事がある。
「あ、あれにはちゃんと事情があって」
「何?事情って。二人がそう言う関係なら…」
「そっ、そういう話じゃないって!」
俺は水原の言葉を全力で否定すると、例の紙切れをドアの隙間に押し込んだ。
紙が引っ張られ俺の手から離れたのが分かる。水原が掴んだんだ。今、読んでるはず。
頼む。コレで信じてくれ!
「それ、瑠夏ちゃんの『設定』とかいうやつ。瑠夏ちゃんの考えたセリフ通り言わされただけだからっ。マジでっ」
その紙には、瑠夏ちゃんの女の子っぽい丸文字で場所やセリフが書かれている。病院だとか注射だとかのイラストも描かれてる。
「見てくれたら分かるけど、瑠夏ちゃんが全部考えたみたい。看病ついでにお願いされて、そのセリフ言わされたって感じで。全然気持ちは無くてただ読んだだけだしっ、瑠夏ちゃんと正式に付き合う気ないから!」
頼む。信じてくれ…っ!
するとドアチェーンを外す音がして、扉が開き始めた。え?俺は押し出されて一歩下がる。
玄関から水原が不機嫌そうに顔を出した。
「…ごめん、こんな遅くに」
そう謝ると、水原は、ふぅとひとつため息を溢す。
「ホント紛らわしいわね」
そう言って俺を見上げ、瑠夏ちゃんのメモを差し出してきた。
「分かったわ。瑠夏ちゃんに言わされたんでしょ?」
「あ、ああっ!」
水原~~~(涙)。ピンチ脱出。マジでよかった。さっきまでの緊張が一気に解ける。
「あははっ。るかちゃん興が乗っちゃって、本当に泣き出したりするし、いろいろ大変でっ」
ナースコスとキスのことは死んでも言えねぇな…。
「もういいわよ。分かったから」
「そ、そっか。ごめん」
申し訳なさに俺はガシガシと頭を掻く。
「でも…」水原はそう言いかけて、片目を閉じる。俺を諭すように右の手のひらを開き、いつもの落ち着いた顔で話し始めた。
「瑠夏ちゃんのことは私が提案したことだし、あなたの恋愛関係に口を挟む気はないけど。正式に付き合う気が無いなら、もう少し毅然とした態度でいた方が良いと思うわ。中途半端な態度でいると、あの子どんどん調子に乗っちゃうわよ」
ごもっとも。元はと言えば俺がはっきり断らなかったから瑠夏ちゃん止まんなくなった。マジ寸劇なんてやるんじゃなかった。反省しかねー。
水原にここまで気遣わせるなんて、申し訳ない。
「ほんとごめん。気を付ける」
「それと…」
「え?」
「あなた、少しここで待っててくれる?」
「お、おう」
水原は何かを取りに部屋に戻ったようだ。何だろう。
しばらくすると、ガチャっとドアノブを回す音がして、また水原が顔を出す。
「これ…さっき渡せなかったから」
水原の右手には、ビニル袋が握られていた。
「瑠夏ちゃんがいる手前、誤解を招くようなことするわけにはいかないでしょ。もう治ったなら、必要ないかもしれないけど」
袋の中には、スポーツドリンクやエナジーゼリー、プリンなんかが入ってる。水原、俺のこと心配してくれてたのか…。思わず口元が綻ぶ。
「あ、ありがとうっ。わざわざ気遣ってくれて!」
それを聞くと水原は「どーも」と言ってすぐに扉を閉じた。
改めてビニル袋の中を覗く。二人で映画製作しているからだとは思うが、俺の身体を気遣ってくれたことが心の底から嬉しい。
ん?何かメモのような紙切れが入っている。何だろう?レシートではなさそうだけど…。
俺は袋の中からその紙きれを拾い上げ、広げてみた。
〈風邪に負けるな プロデューサー〉
水原の文字だ。魚のイラストが添えられてる。
まさか手書きのメッセージ入りの差し入れなんて…!なんか俺もう泣きそう…
魚のイラストは、うちのハイギョっぽい。俺がアクアリウム好きだからか?めっちゃ可愛い。
俺のテンションは爆上がり。扉の前でメモを掲げ、くるくると回転。小躍りを始める。
水原の気持ちの詰まったものだもんっ。クリアファイルに入れて、水原ボックスに保管しよっ♡←デートでの写真とか集めてる箱
ぐへへへ。そう音を立てて口元が崩壊する。
だが、俺はすぐに口を結び直した。水原と俺の夢は、まだ走り出したばかりだ。よし、明日も頑張らねーとなっ。
その瞬間、俺の風邪は完治したのであった。
(演技と彼女④へつづく)
【あとがき】
瑠夏ちゃん何させたら面白いかなーと考えた結果、結局エロに走る。
案の定、千鶴とエンカウント。和也、マジで運が悪い。←運悪くしてる人
もし仮に千鶴に他に好きな人が出来て、和也の恋が破れてしまっていたとしても、彼なら千鶴のために夢を叶えようとしたんじゃないでしょうか。和也は千鶴を彼女にすることよりも、彼女を幸せにすることを望んできたので。僕はそう言う和也が心からカッコいいと思います。
千鶴は、ラブラブアピールをした瑠夏を見て、何を感じたんでしょうね。いろいろ想像してもらえたら嬉しいです。