令和の世にも光明皇后の御慈悲に救われました | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

先日訪れた奈良県にある法華寺。

奈良時代、聖武天皇が全国に建てた国分寺の

尼寺版、国分尼寺の大和国分尼寺であり、

総国分尼寺でもあります。

皇后の光明皇后の皇后宮跡に建てられました。


本堂には光明皇后を写したといわれる

十一面観世音菩薩立像おねがい

平城京跡公園の近くにある(当時はもちろん平城京の中)

ひっそり静かな尼寺です。

詳しくは昨日のブログを下矢印

本堂の奥にあるのがこちら


からふろと言われる


浴室です。

お寺にお風呂びっくり


【この浴室は古くから「からふろ」と呼ばれ法華寺本願光明皇后が難病者たちの入浴の恵みをたれ給うところであります・・・】

大河ドラマ「光る君へ」の中でも

疫病が流行ったときに「悲田院」という

病人を看病する施設が出てきましたが、

同じく疫病が流行った奈良時代に

光明皇后が興福寺に建てたのが
最初と言われています!

※厳密には「悲田院」は貧困者や孤児を収容する施設で、他に「施薬院」というのもあり、こちらは貧困の病人を看護する施設、どちらも皇后宮職が運営する施設とのこと。うろ覚えの記憶もブログを書くことで改めて勉強できるなー。爆笑キラキラ


日本における社会福祉活動の先駆けを行った

光明皇后はこの法華寺にからふろを建てました。


ホームページより抜粋下矢印

「からふろ」とは今でいうサウナのこと。現在の建物は明和3年(1766)に再建されました。内部には竈(かまど)や風呂屋形(やかた)があり、薬草を用いて蒸し風呂を焚くようになっています。昭和初期まで夏と冬に使われていました。
からふろは、掛け湯や取り湯形式ではなく蒸し風呂形式であること、また尼僧ではなく庶民のための風呂であったことの2点で、他の寺院の風呂とは大きく異なります。
古代寺院の風呂は僧侶が沐浴潔斎する為に使用されていました。しかし、からふろは「我自ら千人の垢を去らん」という光明皇后のご発願に由来し、庶民に開かれた福祉施設の原点ともいえるものでした。



光明皇后の御心お願いキラキラ

そしてなんと、昭和初期まで使われてたって!

お隣には


立派な井戸がみずがめ座キラキラ


からふろサウナで身体を温め、

井戸水で整えてたのかしら爆笑?(笑)


境内には他にこんな建物も。


奈良市の月ヶ瀬から移築された庄屋さんの家。


光月亭

18世紀の建物と推定されています。

今は散策の休憩所としても使われており、

まさかの!!


ご自由にお飲みください
の給茶機が!!!

泣けるっ笑い泣きキラキラキラキラ

しかも


レモン水キラキラ!!!

このタイプの給茶機でレモン水って珍しくない??

この日は、

古墳巡り中に自販機で飲み物を買おう!と思いつつ

古墳巡りに夢中で買いそびれて

喉カラカラで歩いてたので、、ガーンアセアセ

この冷たいレモン水に
めっちゃ救われたー!!

思わず2杯一気飲み爆笑みずがめ座キラキラキラキラ

さすが光明皇后の御心を継いでらっしゃる

法華寺お願いキラキラ

この名もなき庶民を
令和の世にも
救ってくださいました。

光明皇后ラブラブ!!

まじで聖武天皇&光明皇后を大河ドマラ化してー!

続きはこちら下矢印

※疫病が流行ったといえばここ数年のコロナ禍もそうですよね。聖武天皇、光明皇后によって全国67ヶ所に建てられた国分寺、国分尼寺には鎮護国家のためにそれぞれ金光明最勝王経と法華経が写経し納められました。なので、聖武天皇と光明皇后の直筆の写経が残ってたら、コロナ禍収束祈願にそれを臨書してどこかの国分寺に納めに行こうかしら、、って直筆の写経の画像を探したのですが見つけられなかったのよ。
お二人の写経が載ってる本は見つけたのだけど、高価で買えずガーン
お寺にある温泉といえば、日光の奥の方に境内に温泉があるお寺があります。小さな浴槽ですが、こちらは今も参拝客が入れます!めっちゃオススメ!ウインク