新潟市歴史博物館みなとぴあ。その2。中近世。 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

7月に訪れた新潟!

新潟市にある新潟市歴史博物館みなとぴあ。

所変われば古墳も変わる、

考古展示で新潟の特徴ある古墳を学びました。
 
前回のブログ下矢印



続いては古代、中・近世・近代ウインクキラキラ



奈良、平安時代にはすでに鮭漁が行われ


貢物として納められた様子が木簡に残ってます。

いにしえの鮭漁の村の様子。



続いて鎌倉から戦国カブト


信濃川、阿賀野川の河口に蒲原津、沼垂津が栄え、

戦国時代になると新潟津が登場。

この3つの港を総称して三ヶ津と呼んでいたそう。


河川を通じて内陸と、

海を通じて日本各地と繋がっていた新潟。

日本各地だけでなく中国からの品も運ばれたそう。

江戸時代以降も港によって栄えていきました。


“新潟”という地名が現れたのは戦国時代なのねびっくり


江戸時代。


江戸時代になると港の土砂が埋まり

大きな船が入って来れなくなったので

中洲に新たな街を作りました。


これが現在の新潟の町の区画のベースなのねびっくり

古町のあたりの碁盤の目状の町並みにあたるのかな。


そしてそして


やっぱ北前船ですよね船キラキラ


回船によって様々な物が運ばれました。

ただ運ばれるのではなく

様々な地域から運ばれた木材、い草、食料が

新潟湊で加工され、建具や畳となった商品が

また別の土地へ運ばれていったそうです。

この図↓わかりやすいウインクキラキラ


物だけではなく人も。

訪れた客人をオ・モ・テ・ナ・シお弁当キラキラ



さらに、、

中国製品の密貿易までガーンアセアセ


密貿易が発覚したことで

新潟は長岡藩から取り上げられ

幕府直轄領となりましたショボーンタラー



新潟くらいになると

中近世の歴史も濃いねー爆笑キラキラ!!

ブログではざっくり書きましたが

展示ではもっと深く濃く解説されてます。

じっくり読んたら数時間はかかるかも?

ぜひぜひ新潟市の歴史を学びに訪れてみてね!


これまで何度か訪れてる新潟市。

今回訪れて、

ますます好きになりましたよーラブキラキラ
 
次に街を歩くときは

きっといろんなことを思い出して

ワクワクしながら歩くんだろうなぁラブラブ


新潟市歴史博物館みなとぴあネタは

あともう一回あります(笑)

もう少しお付き合いをお願い
下矢印 



   新潟市歴史博物館みなとぴあ


  これまで訪れた全国の博物館・資料館 



 10年前の今日のブログ

ポジティブにじっと手を見る照れ

 13年前の今日のブログ

しょーもない妄想てへぺろ

生まれ変わったら、、