ご縁の旅【我が町枚方と繋がる黄金の里】 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

6月上旬の梅雨を避けての東北の旅。

宮城県松島、東松島にて

ご縁によって導かれるような場所へ。



東松島のあとは

以前から行ってみたかった場所へ。





松島より内陸の北にある涌谷町。

【天平ろまん】

ってね

奈良もそうですが

奈良時代に関する建物や公園などには

よくこのキャッチフレーズがつきますね(笑)

そして

いかにも天平ろまんな朱色の柱!


そう

歴代の天皇のなかでも

気になってしかたがない

奈良時代の聖武天皇ゆかりの地です。


聖武天皇がね

『大仏を作るラブ!』

って決めたものの

大仏に塗る金がないーガーン!!!

ってなって

中国から輸入したらめっちゃお金かかるし

なんと日本で金を見つけてーえーん

ってねお触れを出したのです。


そしたら

当時陸奥守という役職でこの地にいた

百済王氏敬福(くだらのこにきししきょうふく)さんが

涌谷町にて金を発見!そして献上!

めでたく奈良の大仏はキンキラキンになりましたキラキラ


という奈良時代の聖武天皇ゆかりの地なのです。

そして

聖武天皇ゆかりの地というだけでなく

我が町大阪府枚方市ともご縁が。


奈良でもなく

宮城でもない

枚方がなぜキョロキョロ


この地で金を発見した敬福さん、

金を発見したことで大出世を果たし、

陸奥守から河内守へ役職が変わったのです。

そして

河内守ということで

我が町枚方へお引っ越しされてきました。


当時の敬福さんや百済王氏一族の住居や氏寺の跡である百済寺が

国の史跡のなかでも特に特別な

特別史跡に日本ではじめて認定されているのです。



そんな百済寺や敬福さんに関するシンポジウムが今年枚方にて開催されました。

百済王氏とその時代フォーラムin枚方の様子 click

このシンポジウムにて

涌谷町天平ろまん館の学芸員さんも講演されていました。

そんなわけで

枚方とご縁のある涌谷町天平ろまん館にね

行ってみたかったのです!


建物の中も朱色を基調としたつくり。

入り口近くには

奈良の都に届けた金900両!

13.5kg!


なかなかの量ですね!

もちろん大仏に塗られたのはこれが全部ではなく

他の場所からも金が届けられたとのこと。

実際に13.5kg持ってみると

聖武天皇の喜びの重みなんだなぁ

ってね

意識が奈良時代にタイムトリップしますね。


そして

敬福さん!

人の形をしてるの初めて見た(笑)

書物に敬福さんの人柄が残されてるそうで

『酒を好み、いいよいいよ!となんでも自分の物を人にあげちゃう好人物』

だそうで、、

これまた

リアルな体温を感じ

枚方とのご縁ひとしおです。


そもそも

百済王氏というのは

朝鮮半島の百済の王族で

高句麗に攻められて百済滅亡してしまった後

この王族が日本へ亡命してきたのです。

そして日本で百済王(くだらのこにきし)という姓をもらい

有力氏族となっていたのね。

敬福さんはその何代目かの末裔。

『いいよいいよ!ってなんでもあげちゃう』

元王族のゆとりでしょうか?(笑)


そして

百済からともに亡命してきた

金採掘の職人が身近にいて

その人たちが金を見つけたとされています。


なので

ただの有力氏族っていうわけじゃなく

いいよいいよ!と好人物ながら

ちゃんとコネクション持ちつつ

出世の道を狙っていたのかもしれません。

外の公園には

万葉歌人大伴家持が産金をことほいで歌った歌の歌碑が。

そして

割れた岩から観音様が現れる

不思議な岩?

公園奥には

産金の神様をまつる

黄金山神社が。

天平の朱色とは反対色の

静かな緑の森のなかです。

産金が行われた小川。

ここでは金の鉱脈を掘るのではなく

小川に流れる砂金を採ったそうです。

しばらく小川を覗いてみましたが

砂金見つからず。。


天平ろまん館では砂金採り体験ができますのでぜひ!


そんな静かな黄金山神社界隈。

聖武天皇、我が町枚方との

ご縁を感じる神々しい場所でした。


続く。

といいたいところなのですがアセアセ

今年4月に訪れた

同じく奈良時代聖武天皇大仏用産金の場所

栃木県の健武山神社!


こちらとの関係も気になるところです(笑)

まぁ、

日本各地で大仏&産金ブームだったんだろうなぁと爆笑


続く。