ご縁の旅【東松島】 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

いろいろなご縁を感じた

6月上旬の旅。

おもに今年早くも6回目の

東北地方の旅となりました。


日本三景松島にて

杉の木の御朱印帳を手に入れ

政宗公創建の瑞巌寺に圧倒され



続いてはちょっと北上しようとしたら、

入り江の入りくんだ東松島へ

道を間違えて迷いこんでしまいました。


でもね

迷いこんだおかげで

前から行きたかった場所へたどり着きました。




日本三景松島の奥に縄文村!!?


縄文遺跡ってね

あんまり海沿いに無いイメージ?

そうなんです

縄文時代は今よりも温暖で

海水面が数メートルは高かったので

今の海岸線は当時ほぼ海の中、

なので

当時の海岸線は今よりも標高の高い場所、

つまり、やや内陸よりに縄文遺跡がみられるのです。


ここ奥松島も

ひょっとしたら今よりも標高が高い場所だったかもですが


3.11の地震でもそうですが

縄文以降の地震の影響で沈下して

今の海岸線近くになっているのかもしれません。

そんな奥松島の縄文村。


なんと

縄文時代前期の6800年前から弥生時代中期にかけての貝塚などの集落跡

だそうです。

あの、、7,000年間もの集落って

サラッと説明されてますが

すごいことよね。

そんなわけで

縄文村もものすごい広大な敷地でして

遺跡公園や資料館

そして

謎の石の広場!?(笑)

なかなかの炎天下

全部回るのを断念して

とりあえず資料館へ。


3.11以降

過去の津波堆積物の研究が各地で進められています。

この研究が進めば

日本の歴史感も変わるかもしれないし

災害対策にも繋がると思います。


そして

間違えた道を戻り北上しようとすると

こんなところへたどり着きました。

震災前の

JR野蒜駅舎を利用した

震災メモリアルパーク。

駅舎の2階は

震災や復興の資料展示。


津波で傷んだ券売機も。

メモリアルパークに入ったら

ガイドの方がスススススと寄ってこられ

これらの資料について説明してくださいました。


そう

このガイドの方も被災者の方。

津波に巻き込まれ

奇跡的なタイミングでさまざな人に助けられて生き延びたとのこと。

冗談を交えて笑顔で説明を。


冗談も笑顔もね

絞りだしているような、、

そんな笑顔に

胸が痛くなります。

思えば

震災2カ月後

なんのつてもなかったけど

いてもたってもいられず

似顔絵仲間の柳川さんと

二人テントむしを走らせて

似顔絵を描きに来たのが

この東松島地域でした。


津波で流されて

家族揃った写真もなくなってしまった

そして

家族も津波で流されて

もう一緒に写真を撮ることもできない。

せめて似顔絵のなかで家族一緒に。


祈るような気持ちで似顔絵を描きました。


駅舎のうらのホームもそのまま。

ホーム裏には

慰霊碑が。


このメモリアルパークで

実際に被災されたガイドさんは

今回案内してくださった方だけだそうで

しかも

来年には定年でやめられるそうです。


道を間違えてたどり着いた

縄文村とメモリアルパーク。


同じ松島だけど

きらびやかな瑞巌寺松島とは

また違った姿。


ご縁なりけり。

続く。