学びのコンサルタントCAB代表の橋本雄大です。
最近、体罰はダメ!子どもの気持ちを、考えを聞くべき!!という教育論が流行っています。
橋本自身も、これにはほぼ同意見です。理想的だな思います。
ただ、現場を知らない(時にはガラスが震えるほど、怒鳴りつけるときが必要なこと)/これだけではうまくいかない意見だなとも思っています。
はっきり書きます。
「体罰はダメ。でも、怒鳴ることまで全部悪にするのは違う」
・・・って言うと、たぶん反射で「それは暴力だ」「時代遅れだ」と言われるんですが、現場で本当に怖い瞬間を見たことがある人は、簡単に“理想論”に逃げられません。
■説明してる暇がない瞬間がある
例えば、もし教室で生徒が 包丁を出したとします。
これは大げさな例じゃなくて、学校現場では「絶対に起きない」と言い切れない種類の事件(実際に教員時代は、カッターを振り回した生徒がいました)です。
家庭科室、調理実習、持ち込み、バッグの中・・・。経路はいくらでもあるんです。
で、その瞬間に先生がやるべきことは
「落ち着いて話そう」
「君の気持ちは分かるよ」
「どうしてそうしたの?」
・・・じゃないんです。
その段階は、本人含めそこにいる全員の命が守られた後にやる話です。
まず最初に必要なのは、
“止める” です。
その手を止める
距離を取らせる
周りを下げる
物を落とさせる
行動を切る(行動に移させない)
このときに、丁寧な説明をしている暇はありません。
一秒の遅れが事故に直結します。
だからここでは、声を張る必要が出る。
「やめろ!!」
「下がれ!!」
「置け!!」
こういう“短い命令”で止める。
これは教育というようりも、緊急停止です。
■怒鳴るのは“支配”じゃなく“制止”
橋本が肯定しているのは、これです。
相手を屈服させるための怒鳴りじゃなく、危険行動を止めるための怒鳴り。
ここを区別しないと、議論が壊れます。
「怒鳴る=悪」って一括りにされがちですが、
現場には “止めないといけない瞬間” がある。
暴力、器物破損、飛び出し、いじめの着火、集団の暴走。
こういう時に「声の強さ」が必要な場面はあります。
■怒鳴りが必要になる現場の構造
特に、学力帯が低い現場・荒れやすい集団ほど、
普通の注意がノイズになる
“止められる経験”が少ない
押し返せば勝てると思っている
その場の勢いで踏み越える
こういう状態が起きます。
つまり、先生の声量の問題じゃなく、集団が止まらない構造があります。
だから「優しく言えば分かる」は、成立しない場面があるんです。
これが現実です。
■ただし、怒鳴りは“技術”であって“感情”ではない
ここからが本題です。
怒鳴りを肯定すると言っても、何でもOKではありません。
僕が肯定するのは、条件付きです。
橋本が肯定する怒鳴り
短い(1〜2語)
止めるだけ(説教しない)
人格否定をしない
晒し者にしない
止めた後に処理する(席移動・別室・回収)
例:
「やめろ」
「止まれ」
「座れ」
「出るな」
“内容を理解させる”じゃなく、
行動を切るための声です。
■怒鳴り続けるのは、指導じゃなく破壊
逆に、否定するのは・・・
何分も怒鳴り続ける
追いかけ回して怒鳴る
みんなの前で辱める
「お前はダメだ」系の人格否定
自分のストレス発散
これは指導ではありません。
クラスも、生徒も、先生本人も壊れます。
■保護者にも、この技術が必要な時がある
ここまで読むと、「へ〜、橋本先生はこんな指導をしてるんだ〜」で終わりそうですが、違います。
「お母さん(とはいっても、現実的にはお父さん)」がやるべき瞬間があります。
もし、家の中で包丁を振り回したり、ほかの家族が命の危険にさらされたときに
「そんなことしちゃダメだよ!」なんて、呑気なことは言ってられません。
もし、学校に行ってない(不登校気味)。母子(父子)家庭。誰も怒る大人がいない状況なら・・・。
こうなったときに、思いっきり怒鳴りつける大人は「親」だけです。
■結論:怒鳴ることは「必要な瞬間がある」
体罰には反対です。
でも、怒鳴ることまで全部禁止にしたら、現場は守れないと思っています。
包丁の例みたいに、
説明している暇がない瞬間がある。
その時は、止めるのが優先です。
ただし、怒鳴りは教育の中心ではないです。
ブレーキとして最小限に使うものです。
必要な瞬間だけ、ガツンと止める。
その後は、淡々と処理して、落ち着いて戻していく・・・。
これが「怒鳴る」です。








