前回の記事(講演会の内容)↓について、ボイスメモを文字起こし&まとめたものですm(_ _)m
ここまで読んで、「最近の若者は甘えているだけだ」と感じた方もいるかもしれません。
ただ、現場で日々接していると、単純に「根性がない」「打たれ弱い」で片づけてしまうには、あまりにも単純だと感じます。
いくつか、背景になっていそうな要因を整理してみます。
まず大きいのは、人間の心に備わっている「防衛機制」です。
つらい現実や自分の失敗をそのまま直視すると、心が折れてしまいそうなとき、人は無意識に自分を守るための工夫をします。
その一つが「合理化」です。
本当はショックだった出来事に、「自分には関係ないし」「今はタイミングじゃないし」と“もっともらしい理由”をつけて、自分を納得させる働きです。
合理化そのものは悪いものではありませんが、「楽だから」「すぐ心が軽くなるから」という理由で、そればかり選び続けると、「全部誰かのせい」にするクセになっていきます。
二つ目は、話し合い・ディベート教育の“教育ミス”です。
知識も技術も不十分なまま、「戦争について話し合いましょう」「水俣病についてどう思いますか」とだけ投げられ、正解らしい意見を言えた人だけが評価される。
ディベートでも、「相手を言い負かすこと」がゴールになりがちで、「事実を調べる」「自分の考えを修正する」というプロセスが抜け落ちています。
その結果、「言いくるめる力」だけが磨かれ、間違った合理化が得意になってしまう子たちが増えた印象があります。
三つ目は、過剰な自己保護です。
小・中学校時代から、テストや態度でたくさん怒られてきた子ほど、「また怒られるくらいなら、最初から関わらない」「注目されたくない」と感じやすくなります。
最近の高校生は、「授業中にみんなの前で褒められたくない」という子が本当に多いです。
良い意味でも悪い意味でも、「自分にスポットライトが当たること」そのものが怖くなっているのだと思います。
四つ目は、SNSによる「自分の正しさ」の増幅です。
「小テストを事前に知らせない先生っておかしくない?」「テスト範囲はもっと絞るべき」というつぶやきに、いいねが何百件もつくと、その子にとっては「やっぱり自分の感覚が正しいんだ」という強力な証拠になります。
学校や家庭で「それは違うよ」と言われても、ネットの支持の方を信じたくなるのは、ある意味自然なことです。
最後に、貧富や学力、学校ランクの“見える化”も大きいと感じています。
昔よりずっと簡単に、他校の制服、校舎、行事の様子、進学実績がSNSで見られるようになりました。
「自分の家はお金がない」
「通っている学校は“底辺”と呼ばれている」
そうした情報が毎日のように目に入る中で、「頑張ってもどうせ報われない」「だったら最初から社会(家)が悪いことにしておいた方が楽」という諦めの空気が、少しずつ広がっているように見えます。
こうした要因が絡み合う中で、「他責思考」は、若者にとって一番手っ取り早く心を守る手段になっているのかもしれません。
次の章では、他責思考になりやすい人の特徴と、学校現場で見えてきたリアルな姿をお伝えします。












