総選挙の最大の争点は原発?消費税?TPP?外交・安保?_06 (前半) | Hidy der Grosseのブログ

総選挙の最大の争点は原発?消費税?TPP?外交・安保?_06 (前半)

総選挙の最大の争点は原発?消費税?TPP?外交・安保?_06 (前半)

 

Tags : 2012年 総選挙 衆議院議員選挙 衆議院選挙 争点 論点 最大 重要 主要 主な 原発 エネルギー政策 消費税 消費増税 暮らし 生活 格差是正 社会保障 TPP 経済政策 財政政策 外交 安保 安全保障 国防 領土保全 防衛 自由 人権 民主主義

 

01→ http://ameblo.jp/konrad-nachtigall/entry-11424683065.html

 

05→ http://ameblo.jp/konrad-nachtigall/entry-11427743907.html

 

05」の結びで私は、

・ 最も大切な価値は「自由」だ。

・ 公の政治に関連して言うと、追求するべき優先的な課題は、「自由」「人権」の擁護であり、それを保証する仕組みとしての「民主主義」を充実・発展させることである。

・ 政党選択に当たっては、「自由・人権・民主主義を擁護・発展させることに対して、それぞれの党が積極的なのか、消極的なのか」ということが、重要なチェック項目である。

という主旨のことを述べました。

 

けれども、「あんたが既に批判した『利潤第一主義』や『虚栄心におちいってしまった過度の誇り』と同じように、自由だって行き過ぎれば弊害を生むだろうが」という批判があるでしょう。   というわけで、この記事では第1に、「自由」をどう定義するか、という問題を取り上げます。

 

また、「『自由』『人権』ばかりを重視して、他の問題を軽視していいのかよ」という疑問を抱く方もいらっしゃるでしょう。   そこで、第2には、

「 原発、生活と暮らしにかかわる問題(消費税、社会保障や格差是正、経済政策・景気対策…)、安全保障といった諸分野でも、『自由と人権を最優先にする』という根本理念に立ってこそ、合理的な政策立案が可能になるのだ 」

ということを説明します。

 

さらには、「自由と人権の尊重が政治の基礎だということは分かる。 今が仮に『独裁性が樹立されるかもしれない』という危機的な政治状況ならば、どんなに経済音痴であっても民主主義を擁護する政党を応援せにゃならんだろう。 でも、現状はそうでないでしょ。 自由や民主主義の問題をそんなに心配する必要はないんじゃね」と突っ込みたい読者がいらっしゃるかもしれません。   そのような問題意識をお持ちの皆さんに対して、第3の部分で、私の見解を開陳いたします。

 

投票開始時刻も押し迫っていますので、詳細な説明は省かざるをえません。   説得力に欠ける部分が出てきてしまうことは、避けられそうにありません。   質問、あるいは「ここをもっと詳しく」という要望があれば、コメント欄にお寄せ下さい。   アメブロは全角1000字までOKですが、ハンゲブログは400字と、少し制限がきついですね。   スペースが足りない場合には、連投なさってください。   質問下さった方が投票においでになる前に私がお答えできるか、分かりませんが…(ごめんなさい)

 

では、本文に入ります。

 

1 「自由」をどう定義するか

「自由」=「やりたいことを好き勝手にやれる状態」という定義のもとでは、「自由を最上位とする価値体系」は自己破綻を避けることができません。   つまり、やりたいことを好き勝手にやっていれば、そのうちに色々と問題が生じ、しまいには、やりたいことをできない状況に陥ってしまいます。   出発点としては上のような定義で構わないのでしょうが、しかし、「自由」という概念をもう少し突き詰めなければ、「自由を究極の価値とする、持続可能な価値体系」を成り立たせることは不可能です。

 

私は、「人が自由である状態」を「その人が潜在的に持っている可能性を、顕在化できる・発揮できる状態」というふうに理解するのが適切だ、と考えます。   「最高に自由な状態」というのは、「自分のポテンシャルを最大限に具現化できる状態だ」 ―― という捉え方です。   これは、ドイツの哲学者ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel の考えを、カール マルクス Karl Marx が継承・発展させて打ち立てた自由論です。

 

ヘーゲルは、「表層的には矛盾する『自由』と『必然性』、この2者は 実は深く結び付いているのだ」と指摘しました。   

 「04」では「美味いものを食うのが最上の価値」という人について考察しました。   このグルメさんが、自分の身体の状態をしっかりと把握し、摂取カロリーと運動のバランス、あるいは各種栄養素間のバランスに気を使えば、彼は健康を保って、美食の自由を長い間享受できる。   ところが、栄養学的な、あるいは生理学的な法則・必然性を無視して暴飲暴食に走ると、体を壊して入院し、食事を制限されてしまう、つまり、美味しいものを食べる自由を失ってしまう。   一般的に通用するように話を広げると、

・「物事同士の関係を正しく理解すれば、人は、そこで成り立っている法則にのっとって、自分の目指す価値をよりよく得られるようになる」

・「このように、物事の仕組みを知るということによって、人は、より多く自由になる、つまり、活動の余地を広げることができる」

・「反対に、規則性・必然性を度外視すると、しっぺ返しが来て、自由を失ってしまう」

と、ヘーゲルは このような自由論を展開したわけです。 

 

マルクスは、ヘーゲルのアイディアを基本としながら、さらに思想を発展させました。   その発展というのは、1つには

「『法則を知れば、仕組みを自分にとって都合の良い方向で利用できるようになり、より一層自由になる』ってヘーゲルは言うけど、それって、『自然の法則と自然の仕組み』についてだけじゃなく、『社会の法則と社会の仕組み』についても、通用するんじゃね?

「歴史を研究して世の中に成り立っている規則性を把握すれば、世の中で暮らしている人たちにとって役に立つように、社会の仕組みを使えるようになるんじゃね?

と指摘したことです。

 

もう1つは、上で触れたこととも関連しますが、

・ イギリスやフランスにおける革命などを通じて、自由権や平等権が、人類普遍の価値として認識されるようになった。

・ けれども、それだけでは十分とは言えない。   例えば「表現の自由」とはいっても、表現の手段を持てないような貧乏人にとっては、自由が実質的には保障されていない。   あるいは、「思想の自由」が文言としては保障されていても、大学に行けないような貧困家庭の子弟は、自分の思想を発達させるチャンス、本当にものを考える力をつける機会を持っていないわけで、これも紙の上だけの自由ではないか。

・ 自由が内実を持つように、自由が現実のものとなるように、社会的な条件を整えなければならない。

という問題提起をしたことです。

 

このように「自由」をとらえれば、自由を最大限に追求しても、「その行動が、自由の実現のための基盤を かえって破壊してしまう」という事態を避けられます。   そのかわり、と言っては何ですが、私が「04」で書いたように、情報を集めたり論理力を鍛えたりといった努力をして、自由を実現するための条件、自由を現実化するに相応ふさわしい方法を探らなくてはいけないわけですが。

 

ちなみに、上記したマルクスの思想は、何も共産主義の特殊な考えではありません。   「社会法則・歴史法則を理解して、世の中の仕組みを上手く組み替え、人々がその潜在的な能力を全面的に開花することが出来るように、社会の条件を整える」という構想のうち、「社会法則の理解 → 社会変革(革命)」という部分については、異論があります。   けれども、「自由を形式的にだけではなく、実質的にも保障する。 自由を実現するための物質的な手段についても考える」という理念は、産業の発達した資本主義国のうちのほとんど(もしかしたら すべて?)に共有されています。   第2次世界大戦を境にして、資本主義の国々の憲法にも社会権規定が盛り込まれるようになったのです。   実際どの程度に社会権が保障されているのかは、国によって大きく異なりますが。

 

後半へ

http://ameblo.jp/konrad-nachtigall/entry-11428059457.html