令和5年5月4日に家族と佐賀県の続日本100名城の基肄城に行きました。
水城に引き続いて行きました。大野城は以前行きました。↓
663年の白村江の戦いで敗れた日本に唐と新羅の連合軍が攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、中大兄皇子、後の天智天皇は太宰府防衛施設の建造を急ぎました。665年に築かれたのが基肄城です。
百済高官の指導により築かれたこの朝鮮式山城は、大野城とともに我が国最古の山城といわれ、山全体の地形を使い周囲4キロに城壁を廻らす壮大なもので、今もその雄大さを感じることができます。
水門跡
谷を流れる筒川の水を通す水門跡。谷口をふさいだ石垣も一部残り、ここに南門があったといわれます。
水門跡
丸尾礎石群
丸尾礎石群
基肄城内には基肄軍団と呼ばれる軍隊が駐屯していたといわれます。食料や武器の倉庫、住居等の柱を据えたと思われる礎石群が今も多く残っています。
いものがんぎ
いものがんぎ
イモの畝の意。これは人為的に作られたもので、敵が攻めにくいように古代ではなく中世に作られたものと考えられています。
天智天皇欽仰石碑
基山山頂
頂上から太宰府市方面を望む
基肄城全体図
続日本100名城のスタンプは基山町町民会館にありました。
基山山頂には草スキー場があり次男も楽しそうに滑っていました。
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