高木彬光 著「成吉思汗(チンギスカン)の秘密」と瀬下猛 著「ハーン~草と鉄と羊~」 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」を以前父親から借りて読んだことがあり、チンギスハン=源義経なんだというイメージがなんとなく頭の中に残っていました。最近モーニングで連載されている瀬下猛氏の「ハーン~草と鉄と羊~」を読んでみて、あーこれこれ( ゚Д゚)こんなストーリーの漫画があったら面白いのにというのに、というものにやっと出会えました。

 

そこで実家の父に連絡して「成吉思汗の秘密」を送ってもらい、再び読見直すことにしました。

 

この物語は1958年(昭和33年)に書かれた、盲腸で入院中の探偵、神津恭介が暇を持て余していたので、旧知の仲の作家、松下研三そして東大文学部井村研究室の秘書大麻鎮子とともにチンギス=源義経ではないか?という謎を解き明かしていくものです。

 

このストーリーは戦前のベストセラー小谷部全一郎著「成吉思汗ハ源義経也」をモチーフにしている。なので小谷部氏の説を全面的に支持している内容となっている。

 

その主なものとして、

1、成吉思汗(チンギスカン)はニロン族、すなわち日の国よりきた人として蒙古に伝えられている。この「ニロン」とは「二ホン」のことではないか

2、モンゴル族キャト氏とは京都出身のことを表しているのではないか?

3、成吉思汗(チンギスカン)は別名を「クロー」と称した。これは「九郎判官」ではないか。また、軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。蒙古の古城跡では「城主はクロー」と称していたという言い伝えがある。

4、成吉思汗(チンギスカン)は「九つのふさのついた白い旗」を使ったと云われているいるように九をシンボル数として多用した。白旗は源氏の旗。また源氏の笹竜胆の紋も用いた。また日本式の長弓を用いて戦った。

5、成吉思汗(チンギスカン)の父「エスガイ」は「蝦夷海」から来ているのではないか

などがある。

 

またこの説を支持する理由として他に、

1、成吉思汗(チンギスカン)と源義経の成年は1159年あたり。元朝秘史にもチンギスの幼年時代は記載がほとんどない。

2、1178年成吉思汗(チンギスカン)はコンギラト族のデイセチェンの娘ボルテと結婚したと伝わるが、1178~1187年当たりの動きは不明。1189年成吉思汗(チンギスカン)モンゴルを統一し「ハン」に即位

3、源義経は1180年に源頼朝と再会し、そこから1184年まで対平家戦に破竹の活躍をする。しかし、頼朝の怒りを買い、追放され、1189年に奥州衣川にて自害したことになっているが、その死に不審な点が多い。

4、東北、北海道に義経脱出?一行に関する史跡が多い。北海道のアイヌの言い伝えに義経に関するものがある。

5、藤原泰衡が義経を討ったことになっているが、その首を鎌倉に運ぶ日数があまりにかかりすぎており、敢えて首を腐らせて誰か分からないようにしたのではないかという疑いあり。もともと義経を逃がす算段になっており、再三の引き渡し要求をしてくる頼朝に対して、義経を殺害したと見せかけて偽の首を引き渡したのではないか。

6、ロシアのウラジオストックから120Kmほどのところに、蘇城(スーチャン)という古城の遺跡があり、日本の武将が築いたという伝説が残っている。その武将は後に中国本土に攻め入って大王になったという。

7、元、明のあと中国を平定した北方異民族出身の清王朝皇帝乾隆帝は自分の祖先は日本の清和源氏源義経であり、そこから清にしたと発言している。そういう書物がある。

 

そして、この説に反対する中島利一郎氏、金田一京助氏らもいますが、江戸時代あたりから研究されていたようで、支持者は以外に多く

新井白石、林羅山、徳川光圀、シーボルト、間宮林蔵、シラク元仏大統領らにも支持されている。

 

また、高木彬光氏は独自の意見として、

1、東北に金の産出地はなく、奥州藤原氏の繁栄の理由として北海道やシベリアの金鉱を得るルートがあったのではないかという説をあげている。義経は再起のために軍資金を求めて北海道からシベリアに渡ったのではないかと考えている。

2、成吉思汗(チンギスカン)の字に意味があるとして、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、水干(静御前)を思うということではないかと考えている。

 

小谷部氏の「成吉思汗ハ源義経也」が出たころは戦前で満州国建国や移住があった時代であり、そういう背景もあり満州国の国主を清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀が務めていたこともあり流行ったそうです。しかし、戦後にはそのブームも過ぎ去っており、高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」はそこまで話題にならなかったとのこと。モンゴルでも当然この説は全く認めていません。

 

瀬下猛氏の「ハーン~草と鉄と羊~」はこの説を踏んだ上で、源義経がチンギスカンとなり大陸で大暴れするというものになっています。

 

中世に世界最大版図のモンゴル帝国を気付いたチンギスカン、今後また新たな発掘調査で事実が解明するかもしれませんが、ロマンがあり、すごいワクワクしますね。