飯盛城 大阪府大東市 続100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和元年11月4日にふと思いたって、城攻めをしてきました。

息子2人を連れて行きました。京都から高速道路使って1時間ほどのとこにある、大阪府大東市です。
 
大東市役所前の三好長慶公
 
信長の少し前に近畿を制覇した戦国大名です。元々は足利将軍の管領細川晴元の家臣でしたが、十河一存や安宅冬康ら一族や松永弾正など有能な家臣を率いて下克上を果たしました。ここ飯盛城は長慶の後半の拠点であり、臨終を迎えた所でした。また続100名城にも選ばれました。
以前PS3の信長の野望を実際プレイしていくものをブログに載せましたか、その時だいぶ活躍してくれた武将です。

 

虎口 入り口門の跡
 
僕でも分かった土橋と堀切
 
飯盛山頂上には楠木正行公の銅像があります。それにしても枝が邪魔だー
 
楠木正行は南北朝時代の南朝の武将です。あの東京皇居前にもある銅像でも有名な楠木正成さんの息子です。
 

父に負けず劣らず南朝のために戦いました。最後はこの辺りから出撃して、四條畷で北朝足利方の高師直と戦い亡くなりました。そして楠公寺へと葬られたので。

 

飯盛山山頂の碑
 
この山の東側は生駒山に繋がっており、長慶の次の攻略ポイントである大和に近いという利点がありました。
 
頂上からは大阪市内が一望できます。逆光でほとんど見えないですね。北には京都の伏見が見えるとのことですが、これまた木が邪魔して見えませんでした。
 
野面積みの石垣
 
 
舗装された道路を降っていくと馬場跡に楠木正行公の菩提寺楠公寺があります。
 
長慶の前半の拠点、高槻市の芥川山城は以前近くまで行ったんですが、時間なく登山できず諦めたので次はそこに行ってみたいです。
 
子供たちもハイキングを楽しんでくれて良かったです。麓のキャンプ場の受付で城の縄張り図や登山方を丁寧に教えてくれたお姉さんがいて非常に助かりました。ありがとうございました。

御歌頭さんが書いた飯盛山城の墨城印