岡山城 岡山県岡山市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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平成30年10月の連休に友人の結婚式が岡山であったので、式の翌日岡山城にいきました。JR岡山駅から路面電車で行くと早かったです。
築城したのは、宇喜多秀家。織豊系城郭特有の黒漆が塗られた外壁が、太陽光に照らされるとまるで烏(からす)の濡れ羽色によく似ているため「烏城」の別名があります。
戦時中に空襲で焼け落ちましたが、昭和41年に再建されました。
 

天守

 

宇喜多秀家は秀吉のアドバイスに従い、旭川の流れを付け替えて掘削した土砂を盛り上げてて岡山城の土台としました。こうして東側の外堀を作り、西の毛利に対する備えの城となったのです。この工事でできた中洲部分を江戸時代に後楽園が作られました。
 

大手門を抜けると右側に月見櫓があります。江戸時代に入ると使者との謁見の間に使われましたが、元は外敵に備えた防御施設です。

 

内部ですが、読んで字の如くのものがあります。小さな石ころが置いてありますが、アリンコでも攻撃するんですかね〜

 

2階に登るとまた読んで字の如くのものがありました。これ低い位置にあってかがんで入りましたが、階段で段差があり、人が5〜6人入れるスペースがありました。

 

櫓を出た後、早速天守に登ってみました。中にエレベーターありましたが、混んでたので階段で登りました。今日はイベントがあっていたので、とにかく人が多かった😥

城主の間がありました。 
宇喜多秀家が関ヶ原で西軍につき、敗北した後、宇喜多家は断絶、小早川秀秋そして池田氏が入り明治維新まで続きました。姫路城の池田氏と同じ系統ですね。
 
宇喜多秀家家臣の花房正成の鎧
 
宇喜多秀家の父、直家です。以前のブログで宇喜多の捨て嫁という小説を紹介しましたが、その中での主人公です。直家は天神山城を拠点とする浦上宗景の家臣でした。
 
 
正子公也氏が書いた宇喜多直家親子です。正子さんの絵どこかで見たことあるな〜と思ったら、歴史人という雑誌で見たことがあります。小説の中でも直家はこの般若の面を被って戦に出ていたと書かれていました。すごくリアルです。
 
直家は浦上家中にあって婚姻や暗殺、時には力攻めで頭角を現していき、ついには主君を追い出し備前を統一しました。当時拠点としていた沼城から、金光氏を滅ぼして奪った石山城に本拠を移しました。ここを山陽道の要所として城下町を整備しました。そして病で亡くなり、息子秀家へと受け継がれます。
 
秀家は秀吉に大変かわいがられ、養子となりました。そして石山城の近くに岡山城を築城しました。紀州攻め、小田原攻め、九州攻め、朝鮮出兵で活躍し秀吉の信頼を揺るぎないもにしました。父の遺領のほか、備中の一部ももらい、57万4000石の大大名となりました。そして年若くして参議従三位という異例の出世をとげ、備前宰相と呼ばれました。また五大老の一人にもなりました。まさに人生の絶頂期です。
 
しかし、秀吉の死後、関ヶ原の戦いが始まると石田三成方の西軍につき敗軍の将となりました。逃亡の末、捕縛され、八丈島に遠島の刑になりました。長命であり84歳まで生きたと言われています。まさにジェットコースターのような波乱万丈の人生ですね。
 
城巡りしていて初めてですが、城内に喫茶店があったので、岡山といえばこのフルーツということで葡萄とももの🍇🍑パフェを食べました。非常に美味でした。最近始めたインスタにももちろんアップしました。宇喜多秀家も食べたとか食べてないとか。
 
もちろん日本三名園の一つ、後楽園も行きましたよ。池田綱政が作ったと言われています。東京の後楽園とごっちゃになりますよね。非常に広く、園内で米とか茶とかも作ってました。
 
ここでは特に僕の胸を撃つお土産は売ってなかったので、岡山駅で買うことにしました。友人から聞いて、ままかりという魚と調布というお菓子がおいしいということで買いました。後はやはり桃太郎さんで有名な吉備団子そしてマスカット酒を買いました。吉備団子で息子たちをお供につけて鬼嫁をやっつけたいと思います👹


2023年お城EXPO in姫路でいただいた御城印


御城印合戦で購入した岡山戦国武将隊の武将印