福岡城 福岡県福岡市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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明けましておめでとうございます。平成26年12月30日から平成27年1月3日まで福岡に帰省しました。今回は次男を初めて連れての帰省です。とりあえず子供たちが風邪ひかないかだけを1カ月心配してきました。インフルにでもかかったら全てがオジャンですからね。


12月31日は後で合流して水炊きを食べに行くということで、午前中にいそいで福岡城に行ってきました。近いがゆえに行ったことがないところでした。去年、大河ドラマであった軍師官兵衛に関するところで黒田長政が作ったところです。福岡市中央区舞鶴にあります。中心部である天神からは少し離れています。

 

1600年(慶長5年)、黒田長政は関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し、戦功を上げ、筑前国ほぼ一国(50万石余、後に52万石余)を与えられ、豊前国中津(大分県中津)から移り、福岡藩初代藩主になりました。

長政は初め、名島城(福岡市東区)に入りますが、城下の平野が狭く、十分な城下町を展開させられないため、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、全国でも有数の規模の平山型の城を築城しました。城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側から望むと、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれていました。黒田家は何度かあったお家騒動を乗り切り、6代目継高までで官兵衛の血は途絶えますが、一橋家、島津家、藤堂家などから婿養子を迎え、明治まで続きました。



車を福岡市美術館の駐車場に停めて歩きだしました。


まず見えて来たのは多聞櫓の石垣です。


多聞櫓は黒田24騎の一人野口一成が作ったとのこと


本丸址です。何もないですね~


天守台です。工事中で上には登れませんでした。

福岡城には徳川を警戒させないために天守がなかったとも言われてますが、実は最初は上の再現図のような天守があり短期間で壊されたという説もあるようです。徳川の秀忠、家光の時代に外様大名は次々と潰されていったので黒田家もだいぶ気を使ったのでしょう。

福岡城縄張り図(福岡市博物館)

 



城のふもとに護国神社があります。 昔、小学生のころ剣道をやっていて、この神社の境内で試合をやったな~なんてことを思い出しました。

実はこの日、100名城のスタンプが置いてある香櫨館跡史料館は休業でしてスタンプはゲットできませんでした。残念!!調べずに行ったのが悪かった(--;)



後日、博多駅で黒田節で有名な母里太兵衛の像をとって福岡をあとにしました。福島正則から拝領した日本号の槍が折れてたみたいでテープがまいてありました。もこみち君熱演でしたね。

福岡城に関して天守を再建する計画あるようです。福岡人としてはぜひやってほしいですよね。というか、ここになぜ官兵衛や長政の銅像がないのかな~?また黒田家代々の家宝を集めた史料館を作ったらいいのにと思ってしまいました。福岡市はもっと郷土の歴史に興味を持って、力を注いでほしいです。


福岡市博物館に行きました。

日本号

黒田家臣母里太兵衛が福島正則から頂戴した槍


黒田如水が石垣原合戦で功のあった家臣の野村祐直に与えた鞍


2代藩主黒田忠之の家臣、小河家伝来の兜


2代藩主黒田忠之の家臣、小河家伝来の具足


黒田24騎の1人、桐山丹波の兜



福岡城の御城印です。一枚500円。売ってる場所は「福岡城むかし探訪館」及び「まゆの館」(三の丸スクエア内)です。