奈良県吉野に行ってきました2 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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お腹がすいたので参道ぞいの「豆富茶屋さん」にて休憩しました。ここは大豆を使ったご飯を出しているお店で僕は豆腐ハンバーグ定食を頼みました。ボリューム満点でおいしかったです。


次は金峯山寺(きんぷせんじ)に行きました。吉野の参道はこのお寺をメインとしているようでした。役小角(えんのおずぬ)という人が開いたお寺で修験道の大本山だそうです。ちょうど僕らが行った時も多くの修験者が集まってごま焚きをしていました。今回たまたま本尊である金剛蔵王大権現像が開帳してあり見ることができました。とても大きな青い仏像で大迫力でした。


本堂の前には後醍醐天皇の息子、大塔宮の陣地跡がありました。向こうに見える炎がごま焚きです。大塔宮は尊氏に捕らえられて、鎌倉に送られて、尊氏の弟の 直義に預けられますが、結局殺されてしまいます。


この寺の敷地内に南朝妙法殿がありました。後醍醐天皇崩御後も機能していた南朝本拠地です。高師直の攻撃を受けて焼失しましたが再建されています。


最後に吉水神社に行きました。ここは後醍醐天皇が皇居としたとこです。


後醍醐天皇玉座です。ここに座って北朝との闘いの作戦を北畠親房らと練っていたんでしょうね。日本各地の南朝勢力に自分の息子たちを派遣したりしてます。他にも源義経、弁慶占拠の間もありました。兄の頼朝に追われた義経はここで静御前と別れて、山伏姿に変装して落ち延びていきます。義経の鎧、佐藤忠信の兜、弁慶の篭手なども展示してありました。


北厥門(ほっけつもん)。北の京都の方角を向いて建てられた門です。ここから後醍醐天皇はいつかは再び京に返り咲く日を夢見ていたと言われています。その夢かなわずここで崩御されるのですが、その後も南朝遺臣たちにより戦いは数年続きます。南朝は衰退し、室町幕府の足利義満の代に南北一統がなります。


この寺に書いてあった石碑ですが、『明治維新は南朝の確立』最初見たとき、えっ?と思わず驚いてしまいました。何を根拠に史実を覆すようなことを書いてるんだろうと…今上天皇て北朝のはずだよね。ということは明治天皇から南朝の天皇に入れ換えられたてことなのか?まあそうだとしたら、明治政府が全国に多くの南朝遺臣を祭った官幣大社をつくったこともつじつまが合うのだが。大きな謎を残して吉野の旅は終わったのであった。

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東北に派遣された南朝家臣、北畠顕家の話です。

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九州に派遣された後醍醐の息子、征西将軍宮懐良(かねなが)親王と九州の南朝方、菊池武光の話です。

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尊氏の因縁のライバルといえばこの人ですね。