自分の心は自分で決める、などテニスに役に立つこともたくさん書いてありました。


今日は自宅でのんびりと、どてらを着て、湯たんぽを膝の上においてこうしてブログを更新しています。
湯たんぽの横には、カズの底力の日めくりが置いてあります。
今日は「自分のここがダメだった。そう考える人が伸びる」とあります。
家にあるYOGAの雑誌をふと読んでいると、綿本彰さんのページがあり、こんな質問がありました。
「嫌いな人がいるというのは、ヨガ的には悪いことですか?」
生き方のコツとして、誰に対しても、尊重して接するということがあります。
尊重する、この考え方が自分はまだまだ理解できていませんでした。
自分の中では、それでは、不誠実な人間、嘘をついて、その嘘がどんどん上塗りされていく人間、ごまかしてその場をやり過ごし、確信犯的に自分勝手な言動をする人間、他にも・・・・
正直、お前それでも社会人?と信じられない人間がいます。
では、その人間に対しても尊重?
これが疑問でした。
しかし、この綿本彰さんはこんな風に言っていました。
ニューヨークでは人種のるつぼ、人種、文化背景、言語、思想など異なる人が多く暮らしている。当然、嫌いな人間、信じられない人間が、自分のまわりにたくさんいる環境にある。
その中で「相違を超えた人格の尊重」を実生活で学んでいる。
苦手意識を持つことは、相手に理由を見出すが、どんなに理由を並べても影響を受けるのは明らかに自身の責任下にある、自分の感情である。
この表現は、まさに自分の心は自分で決める、ということに近いです。
そして綿本さんはさらに続けます。
「全ての人を好きになる必要はありません。苦手な感情が静かになればよいのです」
相手が近くにいる場合(職場)でも、心理的な距離感を保てばよい。
なるほど、こういうことが尊重、リスペクト? 日本人のリスペクトというと、イコール尊敬になるそうだが、リスペクトというニュアンスは尊敬ではない、と自分は考えていたので、このニュアンスはとてもいい気がします。
さらに綿本さんは続けます。
日本の満員電車とニューヨークの地下鉄を比べ、日本は不快感を持ちながらも、他人との距離には信じられない程近い距離感を許すのに対し、ニューヨークではある程度混雑になると、人は次の電車を待ち、たとえそれによって仕事に遅れたとしても、むやみに人を近づけない。
このたとえもとてもよく理解できます。
そして最後にこう締めています。
「相違」を認めながらもそれを超えるにはエネルギーが必要です。心理的距離感を持つことが自身を守ることにもなります。チャレンジングですが、価値ある人生のレッスンです。
これで自分の中にあった不快感がだいぶ和らぎました。まだまだ自分にはそういう心境になっていくには時間もかかり、チャレンジの連続になると思いますが、精進します。