激動!!の4ヵ月。
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一年振りですが

昌之が結婚したらしい。



私にはもうとっくに関係ないこととはわかっているが、辛い。



しばらくおさまっていた吐き気が出てきた。




しかも私と別れてすぐに付き合った人と結婚したらしい。




私がまだ色々苦しんでる時に・・・。




自分の子が亡くなってすぐにそんなことが出来た昌之が信じられない。




これは幸せになるはずはない。昌之は一生背負ってもらわないといけないことをしたのだから。






情緒不安定

私は昌之に手紙はしない!!、もう関係ないと思うようにした。




でも、やっぱり出来なかった。誰にも相談出来なかったこと、それと丁度同時期に職場の同僚のオメデタが分かった。




その子はみんなから祝福されている。妊娠したため、仕事のシフト変更があり、その同僚のシフトをみんなで割り振らないといけなかった。




もちろん、私にも仕事の割り振りがきた。




おめでたいことなのに祝福出来ない私がいた。





私の子は・・・。本当に辛かった。




それに体調も最悪だった。腹痛や吐き気が襲ってくる。





精神的にも本当にどん底だった。




1人になった時はただ寝て泣いていた。それしか出来なかった。





私はただ昌之に話を聞いて欲しく、手紙した。





「ま長音記号1チャン助けて。私が私でいれなくなってる」





すると昌之から「ごめんけど、無理。友達から遊んでもらって下さい」と返信がきた。





昌之は何を考えてるの!?遊べるような状態なら昌之に手紙しないでしょう。普通の感覚や人格をもっていたら、こんなこと言えないよね!?





一体この人は何!?今までどんな教育をされてきたの!?




私は昌之が今まで関わった人、長崎県大村市に住む父親は自衛官で母親は専業主婦の両親、その近くに住む2才違いの3人の子供の母親でもある姉、そして昌之が卒業した大村高校、日本文理大学、社会人として働いているニコンテック、全てを軽蔑した。





私は昌之に「遊べるようなら手紙しません」とだけ返信した。





昌之から返信はなかった。




もちろん、謝罪の言葉も。









発狂③

その時の私は辛いとかを越えていた。







元々の病気もあり、私は落ち込みとかはヒドイ。







その病気と昌之からの手紙、流産したということが私の心の許容範囲を明らかに越えていた。







もう、自分では解決出来ない。








これを背負って生きていくだけの強い精神力もない。






そうなった時、私は『私は生きていてはいけないんだ』と思ってしまう。







今回もまさにそうだった。






自殺という言葉しか頭にはなかった。








私も死んで亡くなった赤ちゃんの顔をみたい。あの世で赤ちゃんに謝って一緒に生活したい。







それしかないと考えた。








現世には私の居場所はない。赤ちゃんは私を必要としてくれるはずだ。








必要としてくれる人と一緒にいる方が幸せだ。そう思った。








自殺は全く恐怖はなかった。







それより、誰からも必要とされない、愛する人からは無視される現世で生きるということが恐怖だった。







昌之から無視されること、必要とされないことそっちが辛かったし、それにむかっていけるだけの自信もなかった。





これからも昌之が同じ態度をとると思うだけで、怖かった。悲しくて涙が出てきた。







自殺しよう、私の心は決まった。








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