新潟生活が終わった後は、ぼくの実家の秋田を経由し、宮城の友人のカフェに立ち寄り、水戸に寄った後に、少しだけ東京近郊で仕事をした。
雪国に引きこもっていたこともあり、驚くほど首都圏はあたたかく、ぼくは半袖で歩いていたのだけれど、よくよく周りを見てみると半袖で歩いている人は少ない。
もしかしたら、ぼくの体感温度も雪国生活の影響を受け変わってしまったのかもしれない。
いくつかの取引先へのご挨拶と手土産を済ませ、時間を見ると13時前。
どこかでランチでも食べようかと周辺を色々歩き回ってみたのだけれど、驚いたのがランチの値段だ。
オフィスが多い街だということは知っていたけれど、それにしても税込ワンコインで食べられるという500円ランチが多数。
そして弁当も税込300円とか400円のものも。
値段が安いからそれなりの量・クオリティなのかと思いきや、なんてことはない、クオリティもしっかりしたもので、ボリュームもそれなりにあるランチ・弁当。
実際にぼくらが食べた500円ランチも非常にクオリティの高いもので、これで500円だとやりすぎじゃねぇかと思うほどのものだった。(せめてお店のためにと思い、ビール2杯飲んでおいた)
競争が激しいから、生き残るために値段を下げているのだろう。
以前は700円だったものを600円に。
それに合わせ、客数が変わってくると周りの店も同じく600円に。
そうなるとまた客を取るために、ひとつの店が値下げ。
そうなるとまた他のお店も同様。
量やクオリティを変えてしまうと、そこから評価が分かれてしまうため、従来のままでの値下げ。
その繰り返しなのだと思う。
たしかに消費者・客目線としては、おいしいものを安く手軽に食べられるというのは良いことではある。
飲食店に限らず、消耗品でも、衣類だと分かりやすいのが、ユニクロのようにしっかりとしたクオリティのものが安く手に入るというのは、良いことでもある。
しかし、原材料の値段が下がっているわけでもないし、人件費が下がっているわけでもない。
結局どこにその皺寄せが来ているのかと考えると、明らかに作り手への負担が大きくなってしまっている。
競争を続けた挙句のこと。
お客さんを獲得するためのこと。
提供する側の意図・目的・考えももちろんわかる。
しかし、その先には何があるのかと考えると、ぼくには「疲弊」しか残らないような気がしてならないのだ。
商売するものとして、お客さんを得るために動くということはもちろん大切だと思う。
しかし、ぼくはモノの価値をできる限り下げずに続けていきたい。
なぜなら、価値を下げることは簡単だけれど、一度下げてしまった価値を再び上げることは非常に困難だからだ。