6.お好み焼き「Again」
大学正門を出で、東進し十二間道路を南下、阪急電車の高架を潜った辺りにお好み焼き「again」がありました。いつ頃オープンしたお店なのか今となっては定かではありませんが、我が應援團が利用させて頂き始めたのは34代目の治世、つまり昭和63年からであります。
当時、減少した團員も堅調に増加傾向に転じており、以前もご紹介 させて頂いた様に團員間のコミュニケーションの手段として麻雀が盛んに行われておりました。昼に練習を終え、日が暮れるまで麻雀を打つ日々が続いておりました。
オッサン臭さが漂うものの、実年齢は二十歳前後の集団でありますので、猛烈な空腹に襲われ、耐えきれなくなった時がお開きのタイミングであります。
後片付けをしてから團室を後にし、最短距離にあったのが「again」なのでありまして、それが行き始めるきっかけと伝えられております。食事中はひたすら麻雀談義でありまして、結論として8割以上の確率で下宿している團員の家で続きをやろうという事態になりますので、敢えて飲酒を目的とした店には入らず、お好み焼きで腹を満たそうとしていた訳でございます。
学問もそっちのけで應援團と麻雀に明け暮れる不埒極まる学生集団でありますが、外から見れば学生服をキチンと着こなし、行動は常に整然としており、折り目正しい挨拶をし、食べ物は決して残さない、そんな上っ面に幻惑された訳ではないのでしょうが、何故か「again」のママは我々にいつも優しかったのであります。
週に何度か通うに様になりますと、團員一人一人の名前を憶えて下さり、前を通りかかった團員に差し入れを手渡して下さったり、学園祭で模擬店を出展する時は仕込み用に冷蔵庫や厨房を貸して下さったり、と至れり尽くせりだったのであります。
その上、我が團の機関誌「至道」にも広告を掲載して下さり、全く頭の上がらない存在であったのでありますが、どこまでもママは優しかったのでございます。そんな事もあり、誰に言われるでもなく、團員の誰かしらは日常的に「again」で食事をするという伝統が生まれました。そしてこの風習は長く受け継がれた様でございます。
卒業後、大学に行く際、「again」の前を通りかかりますが、あって当たり前の存在でございましたので、時間があれば食事をする程度でしたが、ある時、閉店しておられる事に気付き、衝撃を受けました。もっと時間を見つけ行っておくべきだったと悔やまれてなりません。
【again跡】
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会