本山村怪々奇團【13】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第13話 麻雀放浪記


本番・中国では麻雀の事を「亡国の博戯」と称し、アヘン、売春と共に天下の三大悪として取り締まっていた時代があったそうでございます。誰が考えたゲームなのか知りませんが、まさに空前にして絶後のゲームでありまして、22世紀まで任天堂が発展し続けたとしても、麻雀を越えるゲームを開発する事は至難の業でありましょう。

そんな麻雀でありますから、應援團員は年代を問わず麻雀好きが少なからずおります。物置小屋の様な團室しかなかった創團期は大学の近くにありました雀荘「白梅」がさながら團室の様相を呈しており、常時、團員の誰かは店にいたと伝えられております。その後、應援團も日常の運用が固まり、日中は各々の團務に励み、帰り道に麻雀を嗜む様になって参りました。大阪方面へ帰る團員達の溜まり場、大阪梅田の東通商店街の「千成」では連日、熱戦が繰り広げられておりました。

斯様な状況でありますのでエピソードには事欠きませんが、過日、ご紹介した認められない團長氏 が意外な人気を博しておりますので、 氏の麻雀に関するエピソードをご紹介しましょう。

時は氏が3回生の時分に遡ります。3回生、幹部が一人ずつでありましたが、下級生は順調に入團して参りまして、團員のコミュニケーションの一環として麻雀を行っておりました。3回生氏、生粋の麻雀好きでありまして、練習が終わりますと、日が暮れるまで麻雀を打ち、下校がてら夕食を摂り、團員の下宿で引き続き麻雀という生活を送っておりました。この時代はなかなかユニークな打ち手が多々おりましたので、ご紹介しましょう。

"哭きのケンタロー"

1巡目から「ポン!」「チー!」「カン!」を連発。場を散々、乱した挙句、自滅する雀風を誇る。人呼んで甲南の清水健太郎。

"墓石殺法のケンジ"

3回生氏に無理矢理、麻雀を覚えさせられ参戦。ある時、3回生氏に「お前、七対子やろ」と指摘され「何故、分かったんでありますか?!」と仰天。彼の手元では牌が2つずつ並べられておりました。いつも牌を2・2・3・3・3で並べる(例外あり)雀風を誇る。人呼んで甲南の羽賀研二。

"ダマテンのマサ"

無理矢理、入團させられた事をずっと不満に思う危険分子。滅多にリーチをかけず、恨みがある先輩から和る事を得意とする雀風を誇る。人呼んで甲南の田代まさし。

そして当時の團長氏も麻雀は嫌いではなく、團室に登場した日は卓を囲むのが常でありましたが、下手の横好きの典型的なタイプであります。たまに團室に乱入して参る職員氏 (人呼んで甲南のタイガー・ジェット・シン)も余りお上手とは言えません。こう書いて参りますとお分かりの通り、絵に描いた様なヘボ麻雀でありまして、なかなかの腕前の3回生氏の一人勝ちになる事が多うございました。

ところが應援團の場合、「幹部麻雀」という言葉があり、それが意味するところは、可能な範囲で幹部先輩から和らないという暗黙のルールであります。しかし3回生氏、そんなルールもお構いなし、どころか狙いすました様に團長氏から「ロン!」を連発するのであります。その時の嬉しそうな表情からは「よほどこの人は團長先輩に含むところがあるらしい」という事が読んで取れるのであります。無論、失敗エピソードも多々ありますが、別稿に譲ると致します。

すっかり暗くなった大学で、團室だけは煌々と灯が点り、ジャラジャラと牌が鳴り響く光景が懐かしく感じる今日この頃であります。

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八代目甲南大學應援團OB会広報委員会