去る7月19日(金)ファミリアホール にて神戸モトマチ大学の講義 が開催され、出席させて頂きました。
今回の講師は生田神社 の加藤隆久宮司でございます。加藤宮司は私共、甲南大学の代表的なOBのお一人であります。昭和32年のご卒業であられますので、我が應援團の祖・本田孝雄先輩とは同期の間柄でございます。
その御縁もあって、我が應援團は正月の奉納乱舞、2月の節分祭には出演させて頂いておりましたし、幹部交代式は生田神社の御神前で執り行わせて頂くのが慣例となっておりました。故に我が團員は在学中、生田神社には幾度となく足を運ぶものでございますが、意外と神社の由緒や歴史等については知らなかったり致します。
そんな不埒な元團員でありますので、お叱りも重々、承知の上で、加藤先輩のお話を拝聴させて頂きました。
主たるテーマとしては、神戸の街の歴史でございます。生田神社は神功皇后以来の歴史を有する大変、歴史が長い神社でありまして、神戸の語源になったとも言われております。元々は現在の新幹線新神戸駅の裏手にございます砂子山にございましたが、799年に現在の場所に移転されたと伝えられております。
加藤先輩は江戸時代の古地図や幕末から明治にかけての街の様子を収めた写真をプロジェクターで紹介されながら、現在にまで残る町名に由来や歴史上の人物との関係を軸に語っておられました。聴衆の皆様も興味津々に聞き入っておられました。
【生田神社】
神戸発祥とされるものは神戸市民の想像を越えて非常に多うございます。インターネットで「神戸 発祥」と検索して頂ければ、「へぇ」が幾つも出る事は間違いないでしょう。それだけ文化の発信力があった神戸という街の魅力を今一度、検証し、砥ぎ直した上で再び世に問わねばなりません。
私共、甲南大学の魅力の一つがこの神戸に本拠を置くという点にあろうかと思います。このテーマは即ち甲南大学のテーマでもあり、ひいては我が應援團の課題とも言えるでしょう。
神戸らしい應援團作りが再建のテーマになるのではないかとの思いを強めた講義でございました。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会