剣が、入社して数ヶ月して、ずん、という男が入社した。私よりも2つくらい下の男である。

ちなみに、その頃、あき、という同じくらいの男も入社した。


そんなおり、
会長がいよいよ堪忍袋爆発である。

次第にメル社長の低能さに対し、会長は指摘を入れ始める。

そこにメル社長も反発する。

しかしながらも、結局仲直りする。
という、繰り返しも3回目くらいとなっていた。

次第に両者は、相容れない関係となっていった。

会長は、会社の未来を誰より考えていた。
二足のわらじで、依頼主であるにもかかわらず。

対して、メル社長は一向に成績をあげられない、そして、求心力もない。部下からも慕われていない。







そして、ある日の金曜日夜、社員の通勤事故をめぐりいよいよ。
 大げんかし、別離する事が決定となる?


前回出てきたジェイは、とばっちりである。
営業側の人間だから、メル社長側につくのか?

しかし、ジェイも家族がいるなか決意して、入社を決意した人間である。入社したばかりの会社を辞めてまた新たに作られる会社に行くほど、冒険をするタイプではなかった。

ちなみにメル社長の金魚の糞であるフンは、もちろんメルについて行くこととなる。が、その金曜日夜には、フンは不在のため、意思確認はとれていなかった。


ただし、私は、もうサラリーマンではない。
己の会社を守る。

幸い株主は、会長と私を含め過半数であったので、メルとフンの解任決議をし、即日解任とした。

会社の将来売上のために奔走していた人間がいなくなるのは、私にとってショックではあった。

が、自然と止める気になどならなかった。


ちなみに、実は私とフンは、ものすごく険悪な仲だったので、翌週月曜に出社した瞬間に解任決議→臨時株主総会議事録を見せつけた。要するにクビ勧告である。
出社した一時間後には荷物をもって、帰らせた。相当豆鉄砲くらっていた。笑

少々、強引であったが、まぁ3ヶ月も役員報酬をもらって、売上50,000円くらいしかあげられない、無能だったので良しとした。


実は、こうなることを予測できていたので、事前に司法書士にアドバイスをもらっていて、
株式も私の名義株ということで、全て取り返すことに成功する。


零細企業で、代表取締役社長と取締役 2名を同時に解任するなど、これほどの大事件は非常に珍しいと思います。


私は、もう、会社の意思決定に深く関わることができるようになっていた。

未熟過ぎるが、
操り人形じゃない、
流れに身を任せない、

自分で流れを作る。
未熟であるが、本当の意味で、
始めて経営者になった。

もう、サラリーマンでなくなった日。
考えが変わった日。



それが、たしか2017年8月ごろ。
大掃除したことで、見つかりました。

時間が経ちました!

章で表現するならば、
今は4章くらいでしょうか。

ですが、ブログタイトルも変えて、経営に関しての事を書いていこうかと思っています。

2015年11月、
父の美味しい話にのり、会社経営の道が開かれた。が、まず、サービス技術もなければ、経営なんてしたこともない。

普通のサラリーマンだったから。

その為、始めの3ヶ月ほどは、父の紹介で業者に修行へいった。


そして、2016年2月、
個人事業主として、開業をする。

実際は父からもらう仕事を私と兄でこなしていく、と言った日常が大体3ヶ月ほど年くらい続いた。

しかしながら、実態は父とその金魚の糞(以下メルという)の操り人形という形であった。

どちらも会社に属していた人間なので、私は祭り上げられ表舞台に立っていただけであった。

初期メンバーは、
私、長兄、るさ、の計3人
それに加えて、父とめる の5人となった。
数ヶ月後、次兄が入る。

個人事業とはいえ、人を雇用するには、社会保険加入しないといけないし、労働保険も入らないといけない。

初めてのことばかりで、ものすごく苦労する事となる。

もちろん、経理など、お手上げでしかなかった。

しかし、やらねばならない。

私は、動きながら勉強せざるを得なかった。


2018年現在、
その時の経験が活かされている毎日である。


父が依頼主であり、会社の真の権力者でもあったので、多少の問題がありつつも、良い感じにもみ消してもらったりと、特に問題なく過ごしていけた。

ちなみに、メルは自称凄腕営業マンであった。
父とメル、私 この3人で基本的に意思決定はなされていた。

ただし、私はまだ青臭く、能力も世間も知らない、年相応、普通の人間であったために、発言力はさほどなく、2人の手足といった感じであった。

そして、それに違和感を覚えない、
社長とは名ばかりの情けない男となっていた。


そのうち、メルの右腕として、50代半ばくらいの金魚の糞(以下フン)も仲間入りしたいとのことで顔出しをしていく。


ちなみにこの年2016年8月 法人成りを果たす。

父は、依頼主のため、代表取締役社長とはならず、無報酬の非常勤役員となった。肩書きは会長となった。

代表取締役社長は、メルが就任となった。

私は、専務取締役という肩書きでやることになった。

フンはヒラ取締役となった。

ちなみにこの年11月に、私は結婚しました!
会社のおかげである。。


話は戻り、
私は個人事業主代表(社長)から、いわゆる格下げという形となった。

社員から、すごく気を遣われて、本当は私が社長でやるべきだと言われたのは、本当に嬉しく思ったのを覚えている。

このあたりから、普通のサラリーマンから少しだけ考えが変わり始める。



メルは社長となったにもかかわらず、まだ会社を辞められずにいた。自称凄腕営業マンだから、引き継ぎや慰留で辞めれずにいたようだ。

フンに関しては、あと半年は合流するのが厳しいという始末。どうやら、会社ともめているらしい。

しかし、私や社員からしたら、そんなこたは知ったことではない。

それは会長も同じであった。

メル社長とフンは会長にゴマをすり、凌ぐも、会長はメル社長に対して、物足りなさと憤りを感じ始める。

メル社長が、前職を辞めて、やっと働けるようになったのは確か11月か12月だった。


会長は1番太い売上をもたらしていたが、特質上それがいつまで続くかわからないという脆弱性も秘めていた。
、メル社長は他の売上の柱を作り、会社の未来安定性を築いていく、というのが当時の構図であった。

諸々、あったが、
次第にメル社長は社員からも嫌われていく。

メル社長の腹心であるフンもやっと2017年4月くらいに合流できた。


ちなみにだが、
私は管理部門主に経理、財務、人事、労務、総務、そういう仕事がメインとなっていた。

これまでサラリーマンだった頃、
管理部門のやつは金を生まないくせにでけー顔しやがって、糞やな。とか思っていたが、いざそこに自分が従事するとそれは大変で、そして非常に大切な部門だと痛感する。

しかし、初めてのことで、次々に起こる問題に四苦八苦しながらの慌ただしい毎日であった。

ちなみにこの時期、私の友人(以下剣という)が入社した。


会長派とメル社長派が分かれ始めてくる。
ちなみにメル社長派は、メルとフンだけで、会長派はそれ以外全員である。

要するにメル社長とフンは、孤立し、両派は互いに溝ができ始める。


私はというと、
未来の売上の柱である、メル社長側も会社には必要と考えていたので、中立派というキツイポジションにいた。

同年9月ごろ、営業部員としてジェイという男を雇用した。

その時期、いよいよ
事件が起こったのでした。



だいぶ時間が経ってしまいました。

仕事は結局辞める事を決心する。

やらない後悔よりやって後悔したかった。
このまま同じ仕事を続けるのも吝かではなかったが、きっと何十年後に、あの時にあんなチャンスがあったと思いそうであったのが、何よりの決め手であった。

新たな道が前に開かれていた。

話は戻り、
担当変更の挨拶に伺う日々。

好きなお客様がいれば、また逆も然りである。
最も苦痛なのは苦手なお客様への挨拶。

身構えていく。
怒られる、お小言を言われるかもしれない。

しかし、そういったお客様はほとんど、これまでの御礼や激励をくださる。

非常に心が動いたのを覚えている。

いつの間にか忘れていた感謝の気持ちが自分に芽生えていた。

もっとこの人達の為に出来ることはあったのではないか。自分が勝手な先入観を持っていただけではないか。自分に苦言を与えてくれたから、学んだ事も多い。

ただ、もう遅かった。

だから、次のステージからはこの気持ちを忘れずに努力をする。


そして10月、新しい職場にて新たなステージへ一歩。

ここからは自分の大きな挑戦である。
新たな章が始まる。