時間が経ちました!

章で表現するならば、
今は4章くらいでしょうか。

ですが、ブログタイトルも変えて、経営に関しての事を書いていこうかと思っています。

2015年11月、
父の美味しい話にのり、会社経営の道が開かれた。が、まず、サービス技術もなければ、経営なんてしたこともない。

普通のサラリーマンだったから。

その為、始めの3ヶ月ほどは、父の紹介で業者に修行へいった。


そして、2016年2月、
個人事業主として、開業をする。

実際は父からもらう仕事を私と兄でこなしていく、と言った日常が大体3ヶ月ほど年くらい続いた。

しかしながら、実態は父とその金魚の糞(以下メルという)の操り人形という形であった。

どちらも会社に属していた人間なので、私は祭り上げられ表舞台に立っていただけであった。

初期メンバーは、
私、長兄、るさ、の計3人
それに加えて、父とめる の5人となった。
数ヶ月後、次兄が入る。

個人事業とはいえ、人を雇用するには、社会保険加入しないといけないし、労働保険も入らないといけない。

初めてのことばかりで、ものすごく苦労する事となる。

もちろん、経理など、お手上げでしかなかった。

しかし、やらねばならない。

私は、動きながら勉強せざるを得なかった。


2018年現在、
その時の経験が活かされている毎日である。


父が依頼主であり、会社の真の権力者でもあったので、多少の問題がありつつも、良い感じにもみ消してもらったりと、特に問題なく過ごしていけた。

ちなみに、メルは自称凄腕営業マンであった。
父とメル、私 この3人で基本的に意思決定はなされていた。

ただし、私はまだ青臭く、能力も世間も知らない、年相応、普通の人間であったために、発言力はさほどなく、2人の手足といった感じであった。

そして、それに違和感を覚えない、
社長とは名ばかりの情けない男となっていた。


そのうち、メルの右腕として、50代半ばくらいの金魚の糞(以下フン)も仲間入りしたいとのことで顔出しをしていく。


ちなみにこの年2016年8月 法人成りを果たす。

父は、依頼主のため、代表取締役社長とはならず、無報酬の非常勤役員となった。肩書きは会長となった。

代表取締役社長は、メルが就任となった。

私は、専務取締役という肩書きでやることになった。

フンはヒラ取締役となった。

ちなみにこの年11月に、私は結婚しました!
会社のおかげである。。


話は戻り、
私は個人事業主代表(社長)から、いわゆる格下げという形となった。

社員から、すごく気を遣われて、本当は私が社長でやるべきだと言われたのは、本当に嬉しく思ったのを覚えている。

このあたりから、普通のサラリーマンから少しだけ考えが変わり始める。



メルは社長となったにもかかわらず、まだ会社を辞められずにいた。自称凄腕営業マンだから、引き継ぎや慰留で辞めれずにいたようだ。

フンに関しては、あと半年は合流するのが厳しいという始末。どうやら、会社ともめているらしい。

しかし、私や社員からしたら、そんなこたは知ったことではない。

それは会長も同じであった。

メル社長とフンは会長にゴマをすり、凌ぐも、会長はメル社長に対して、物足りなさと憤りを感じ始める。

メル社長が、前職を辞めて、やっと働けるようになったのは確か11月か12月だった。


会長は1番太い売上をもたらしていたが、特質上それがいつまで続くかわからないという脆弱性も秘めていた。
、メル社長は他の売上の柱を作り、会社の未来安定性を築いていく、というのが当時の構図であった。

諸々、あったが、
次第にメル社長は社員からも嫌われていく。

メル社長の腹心であるフンもやっと2017年4月くらいに合流できた。


ちなみにだが、
私は管理部門主に経理、財務、人事、労務、総務、そういう仕事がメインとなっていた。

これまでサラリーマンだった頃、
管理部門のやつは金を生まないくせにでけー顔しやがって、糞やな。とか思っていたが、いざそこに自分が従事するとそれは大変で、そして非常に大切な部門だと痛感する。

しかし、初めてのことで、次々に起こる問題に四苦八苦しながらの慌ただしい毎日であった。

ちなみにこの時期、私の友人(以下剣という)が入社した。


会長派とメル社長派が分かれ始めてくる。
ちなみにメル社長派は、メルとフンだけで、会長派はそれ以外全員である。

要するにメル社長とフンは、孤立し、両派は互いに溝ができ始める。


私はというと、
未来の売上の柱である、メル社長側も会社には必要と考えていたので、中立派というキツイポジションにいた。

同年9月ごろ、営業部員としてジェイという男を雇用した。

その時期、いよいよ
事件が起こったのでした。