~同じ空の下のできごと~

~同じ空の下のできごと~

この空の下は悲しみで満ちている。
その悲しみに寄り添おうとする言葉。


 自分が死んだらどうなるだろう。
 きっと、世界にほとんど影響を与えない。
 私は人類史に名が残るような天才ではない。私の代わりはいくらでもいる。
 そんな凡夫でも、できるだけ文明の発展に寄与できるようにと、凡夫なりに研鑽を積んできた。
 何かを手に入れるために行ったことは、何かを棄てる選択だった。それが最も効率の良い方法だった。
 自分を殺ぎ落とし、殺ぎ落とし、殺ぎ落とし切れない自分があることを知った。
 どこまで殺いでいっても、凡夫は凡夫のままだった。
 そこに、痩せ細った自分が立っている。
 生きているか、死んでいるか、怪しい。

 焼け野原に突き刺さっている木の棒。
 それは墓標に似ていた。
 もう、殺ぎ落とせるものは、___くらいか。



 日本へのフライトが迫ってきた。
 暑さのピークを越えたArizonaから、暑さのピークを迎える日本に向かう。
 きっと湿度の違いに身体が驚く。
 倒れないか心配だが……、頻繁に休憩を入れながら行動しよう。

 フライト前に仕事に一区切りつけることができた。いくらかまともな精神状態で休暇に入れる。
 といっても休暇中に仕事仲間に会い、研究の話をするのだが、そうなると本当に休みといえるのか怪しいね。

 いつも通りの夏。体調は優れない。室内外の気温差と日焼けによる頭痛。紫外線による眼痛。頭痛薬は毎日手放せない。
 それでもなんとか、日本にたどり着こう。
 色んなことが待っている。

 著者近影は私の名前の英語表記+Researchgateで検索。日本で見かけたら声をかけてね。
 といってもまあ、私の本名を知っている人は世界にほんの一握りだから、それってとっても面白いね。


 身体が熱くて目が覚める、深夜。
 熱と気怠さ、筋肉痛と頭痛、ぐっすり眠れることはない。
 今住む場所の天候は、この時期急変する。
 短時間で激しく雨が降り、雷が光る。道路は冠水する。
 強く吹き付ける風の音と雨音、雷鳴に、自然の脅威を感じるとともに、それに抗う術を構築してきた人類の歩みを、安全なアパートの一室で噛み締める。
 激しい空模様を思うとき、その心は憂いと、ちょっとした優越感に満たされている。
 色や音の変化だけでない、空を取り巻く機微。
 大気が震え、弛緩し、やがて晴れ上がる。
 雨の残した匂い、空気の肌触り。
 いつしかそれを感じることもなくなるのだと思うと、ヒトの生とは、是非もない。

 荒れ果てた荒野の地平線の先まで、古びた線路が伸びている。
 錆びた鉄、ささくれ立った枕木。誰かの生きたあと。
 照りつける陽が、線路に滲む。
 私がこの線路に沿って歩くことは、誰かの生をなぞることになるだろうか。
 その誰かの生きていた頃とは何もかもかわってしまった、この地上で。

 いくつか前の記事で書いた、7月に初めて経験する仕事というのが終わった。
 がんばったつもりだけれど、いつも通り達成感は感じないね。そういう性分なんだ、仕方ない。
 反省点は多い。次の機会に改善する。
 そして、この仕事で出会った人を、メインの仕事に活かせるか(人脈という言葉を使いたくなかったから、単に人とした)。試されているな。

 今週はもともとあったタスクと、上司に増やされてしまった来週のタスクのための準備をする予定だ。
 上司の性質を私が見誤ったせいで生じたタスクだ。やろう。
 もっとやり方があったなと思う一方で、どこまで自分の思いを殺すか、いつもその兼ね合いとの闘いだね。
 協力者がいることが幸いして、精神が死に切る寸前で耐えている。
 いいね。最高に、生きてる、って感じじゃない?

 日曜の今日はトルネードの警報が出た。
 風が強かった。
 窓から外を見ると、風が強いにも関わらず、雨が垂直に降り注いでいて面白かった。
 室内の換気扇から、何やら水が叩く音が聞こえてきた。外に出ている部分が、水が集まる近くにあるのかな?
 日本にいたときは、土日のどちらかを夜まで寝れば、どちらか一方は何か能動的なことができるという週末が時々あったけれど、こちらに来てからは、ほとんどの土日で両方とも夜まで寝ている。
 プライベートで自分に課しているタスクをほぼこなせていない。それはすごくストレスだね。
 さあ、どうしよう? まだ解決策は見つけられていない。
 一つ考えられる手は有給休暇を使うことかな。こちらは日本と比較して、休日になる祝日が少ない。自分で休む、と決めて休まなければならないのだ(ある意味、そういう当然の権利があるともいえる)。
 そんなこんなで、今夜も逃げ場を求めて(一つ前の記事で書いた40万円の環境で)、ヰ世界情緒と坂本真綾の歌声に身を委ねる。
 それだけで、好い週末だったといえるだろう。

 月曜を迎える心の準備なんてできていないけど、まあ、そんなもんじゃない?
 自分の心の状態の良し悪しに関係なく、目の前の壁を壊したり、乗り越えたり、迂回したり、背を向けたりしていく。
 冷酷に冷徹に、できるだけ誠実に、ときに洒落を交えながら。




 最近、音楽を聴く環境が少しだけ変わった。以下、音楽の素人の感想なので鵜呑みにはしないでください。
 これまではDAP(Digital Audio Player)にCOWONのPLENUE L、イヤホンにMOONDROPのS8を使用していた。
 S8は中高音のノビが良く、女声ボーカルをよく聴くのでそれを使用していた。
 ただ、疲れている(精神的にand/or身体的に)と、高音が潰れて聴こえたり、強みのはずの中高音の音域が混雑して聴こえていた。
 聴き分けられるようにと音量を上げてしまい、その結果耳が疲れるという悪循環に陥っていた。
 どうにかならないものかと助けを求めて、finalのA8000を購入した。これが正解だった。
 ダイナミック型のドライバーが得意と言われている低音域はもちろんのこと、中音域から高音域にかけても奥行きが見事に表現され、解像度も高い。
 音の細部まで描き分けてくれ、安心して音楽を聴いていられる。
 音楽を聴く良い環境が手に入ったと思った。
 かといってS8もこれから使わないということはなく、中高音の力強さはとても好きなので、度々使用すると思う。

 雨がアスファルト(じめん)を叩く音。
 軒先から夢を見る。
 がらくたの心が抱いた夢。
 軒下に緑、雨の沁む。

 白から黒、とりどりの空。
 雨の線、重なる家並み。
 雨も木々も電柱も皆、雲の翳。

 あー、今日も渇いた咳が出る。
 身体中に鬱が染み込んでいる。
 身体を起こそうとした腕とは反対に、鬱が動いて、ぼくはベッドに磔になる。
 身体の熱も寒気も、鬱が発生させている。
 鬱はなかみにも侵食してくる。
 脳は鬱の恰好の餌食で、鬱はぼくから、思うことを奪う。
 あたまには、いたみだけが残る。
 鬱はぼくから外にもひろがって、辺りを侵していく。
 寝室のドアの前には鬱が立っている。
 窓から鬱が覗き込んでいる。
 壁中に鬱が這い回っている。
 ごほ、っと最期の咳が出て、最後のぼくがぼくから出ていった。

 そこにはもう、鬱だけが残った。



 アメリカに来て、今日は2度目の雨だった。
 今走らせているプロジェクトは、自分にとって完全に未知で、ここに滞在するであろう2、3年のうちに目に見える成果を上げたいならば、使えるリソースを研ぎ澄ませていかなければならないだろう。
 今日は意識的に、能動的なことは何もしないと決めて(このブログが能動的なことに入らないかは少し疑問だが)、休息を取った。仕事場とプライベートで感じている閉塞感を拭い去りたかったからだ。
 雨と、坂本真綾の音楽のおかげで、フラットな心に戻れた。
 今週も生き延びた。それで上出来だろう。

 日本の雨との匂いの違い。一つは土の匂い。
 今いるところの雨の匂いは、乾燥具合の違いからか土の匂いが若干異なる。日本の土ほど濃くは感じない。
 そこに散った花の匂いが混じる。南国のような華やかな香りではないが、日本の花の匂いほど可憐という感じでもなく、少しだけ主張のある甘さを感じる。

 7月に数日間自分にとって経験のない仕事をした後、8月、1週間ほど日本に帰国する。
 二日連続でライブを観に行く予定だ。それ以外の時間のほとんどは、友人や同僚、人と会う予定が入っている。フリーの時間も設けている。
 二つのライブの間の朝にでも、会場のすぐ近くで日の出でも見にいこうと思っている。
 いつだったかの元日に、大勢の他人とともに一人で初日の出を見た場所
 今住んでいる場所には海がない。懐かしさを感じることだろう。
 元日とは方角が変わっているから、本当に見られるのかは謎だけれど、見られなくてもまあ、朝の散歩にはなる。
 湿気の多い日本の夏に、今の身体が耐えられるか不安だが、無理をせず、休憩を挟みながら過ごそう。