姫路駅🐾



いつもは、だいたい、
このまま姫路で降りることが多く、

(ま、行くとこほぼ神社ですがねー)




この日は、乗り換えて
初めての姫新線  🚋




姫新線、

のホームから見る姫路城🏯






どこに向かったか、



それは、
姫路、青山にある人丸神社。


ネットで調べていて、見つけました。


柿本人麿、
播磨守の時代の邸宅跡。


そこに建てられたという神社🤔







「明石」
「ホツマツタヱ」
「柿本人麿」


私的に勝手な歴史妄想、
を歩くシリーズ🌀🚶





姫路から二駅。
「余部」まで。


ちなみにそのとなり、
「太市」には、

パワースポット巡り、
好きな方々には有名な、
破盤神社が近くに☝️




歴史好きな方にとっては、
神功皇后のゆかりの地、でもあります。


生田神社や廣田神社を祀られる、その前、


忍熊皇子との戦いの中、
戦勝を占い、3本の矢を放ち祈願したとか。

その3本目の矢が落ちた磐座があり、
矢と磐座を祀ったのが、
破盤神社、創建の始まり。



そして、その時の、
2本目の矢が落ちたと云われるのが、
この辺りで、石碑もありました。

ちなみに、この後向かう稲岡神社に、
その矢を祀った神社は、合祀されていました。





さて、余部駅、
すぐ東に流れるのは、


夢前川 (ゆめさきがわ)。


めっちゃ気の晴れるような川で、
しばらく川沿いを心地よく散歩🚶


↓↓なぜか参拝前に水辺に行きたがる男💦

そして、
この辺りの地図を検索して、

歴史妄想男のテンションは、
上々に↗️↗️





石見守であったと云われる柿本人麿。
播磨守であったと云われる柿本人麿。
大和、宮廷歌人、柿本人麿。


それらを繋いでくれる川のような気がして✨


大和国、大和川を下り、
住吉大社のあたりから、
真っ直ぐ西へ。

淡路島北側にある、大和島。
そして明石。




そして、
明石から高砂を通り、姫路の港。



そこから、夢前川へ。






おそらく、昔は、
船が往来できたであろう川幅。




その川に沿って通っていたのは、
因幡街道、
佐用方面から分岐して、
出雲街道、
へと繋がります。

日本海側、
鳥取・出雲方面に向かう、旧街道。

その先に石見国。


そして、
播磨国を東西によこぎる西国街道。



播磨守の時代の柿本人麿の邸宅跡、
姫路青山の人丸神社。

その旧西国街道、すぐ側にありました。






石見国に妻がいる柿本人麿。

邸宅があったとされるには、
出来すぎたロケーションじゃないですか✨




↓↓ 旧西国街道


日本書紀、
681年、小錦下の位になった
柿本臣猨(さる)

おそらく、柿本人麿。

壬申の乱の以降、天武天皇下で、
大きく重用されていったのではないでしょうか。





そんな妄想を引き連れ、
稲岡神社へ。

神功皇后の放った2本目の矢を祀る、
射目崎神社を合祀されていました。

人丸神社はその奥に。




稲岡神社の説明盤。

私では、全ては理解できないものの、
おそらく、神社、社という概念ができる
そのずっと前から、
「十四の丘」に先祖を祀ったであろう記述あり💡


この辺りに点在していた丘、


船丘、波丘、琴丘、匣丘、箕丘、
日女道丘、藤丘、石丘、稲牟礼丘、
胄丘、鹿丘、大丘、甕丘、莒丘。


神社好きな方には、
それぞれの丘の名前、漢字、

妄想ひろがりませんか😌






説明盤には、次の歌が

万葉集、人麿の歌として
記されていました。

――――――――――――――――――――
あい見ては  千年やいぬる  いなをかも
我やしかとふ  君待ちかてに
――――――――――――――――――――





この歌、謎が多くて、
万葉集巻十一(二五三九番)
万葉集巻十四(三四七〇番)


2つも記述あり。
どちらも作者不詳。


原文ではこんな感じ。

万葉集巻十一(二五三九番)
――――――――――――――――――――
相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
――――――――――――――――――――

万葉集巻十四(三四七〇番)
――――――――――――――――――――
安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加<母> 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓
――――――――――――――――――――


巻十四には作者不詳としながら
[柿本朝臣人麻呂歌集出也]
と記されているとか。




「いなをかも」

漢文で見る限り、稲岡(丘)の文字はなく、
訳も逆説的に訳されているようです。

――――――――――――――――――――
あなたとお会いして千年経ったでしょうか。
いや、私がそう思ってるだけでしょうか。
あなたを待ちわびて。
――――――――――――――――――――

そして、
恋歌のように残されています。

漢文で見るかぎりは。

この地で詠われた歌、
ではないのでしょうか🤔






ただ、もしこの地で詠われて

「稲丘も」

であったとすれば、


私がこの地、この神社の雰囲気、

ひしひし感じたのは、全く違うものでした。





乙巳の変、壬申の乱、

皇位継承で、騙し合い、殺し合い、
争いの絶えなかった時代、


先祖を小高い丘に崇め伝え、
千年以上の時を祀ってきたであろう、
この土地で、


もし、
播磨守、柿本人麿が詠うのなら、
こういった歌だったように思いました😌





――――――――――――――――――――
あい見ては  千年やいぬる  稲丘も
我やしかとふ  君待ちかてに
――――――――――――――――――――

千年ここにあるという稲丘に
向かい合い見て、私はしかと思い問う。
(正しく統べる)
君を待ちわびているのではないでしょうか、
きっとこの稲丘も。







もし仮名で詠まれていたら、
という、私の妄想ですけれど😅


次回、この稲岡神社の奥にある
人丸神社へ。








お読み頂きありがとうございます🌳