2021/9/25 参拝ブログ

破磐神社(兵庫 西脇)




先日、妻との会話。


妻 「あの神社は、どういう御利益がある神社?」



私 「……………」



妻 「普通、神社の御利益、気になるやん?」



私 「……………」





私、気づきました。

どうやら、普通じゃなかった
みたいです(笑)


早く人間になりたい
(↑妖怪人間風)




前回は、マニアックな歴史多目の内容
かと思ったら、


今回は、緑と岩のブログ。

偏りのあるブログですが、
あたたかくお見守りいただければ
と思いますm(_ _)m



神社巡りをするようになってから、

めちゃくちゃ悪いこと
て、起きなくなりました。

大変なことはあっても、
きっと何か意味があって、やる方向になって
るんだろうなと思ってたら、

後々、このためだったか、てなることが多く、

「神様、助けて下さい!」
的なことがあまりなくてですね。


いつしか御利益とか考えなくなってました。
(すいません、平和なヤツで(^^;)



何か自分の今の参拝は、

「ご挨拶に行く」という感覚で、

先祖のお墓参りに似ているような。




そんな参拝をしていたら、

時折、
その土地やその場所、木々や社に

御利益とか関係なく、

ただただ、ありがたいな

と思い、手を合わせたくなる

そんな瞬間があります。

こういうのをパワースポットと言う
のでしょうか。




今回の破磐神社のわれ岩も
そんな場所でした。

(↑社務所の方がめっちゃ親切に説明して
くれました、感謝)


破磐神社から車で7、8分の距離です。

お墓横の小道を抜けていきます。



雰囲気のある竹林。


自分達の前に来られていた方がいたので、
邪魔にならないように橫に逸れていたら、

妻が蚊との臨戦態勢に入ってました。


階段の先に、もう見えてますね、磐座。


大きな破れ目のある磐座。


足元の岩の陰からトカゲさん。


岩の破れ目には、緑が芽吹いてます。


破磐神社起源の大磐石(われ岩)

このわれ岩は神功皇后が放たれた第三の矢が当って破れたと
今に伝えられる破磐神社起源の大磐石です。
その昔、神功皇后が三韓征討よりご凱旋の時、
忍熊王の難がありましたので御船を妻鹿の湊に寄せられ、
三野の荘麻生山で朝敵退治を天神地祇に祈られた天に向って矢を放たれました。
第一の矢は印南群的場にあだ矢となって落ち、
第二の矢は飾磨郡安室辻井に落ちてしまいましたが
第三の矢は大市郷西脇山中のこの大磐石にあたって磐が三つに破れました。
皇后はこれは吉兆であると大層お喜びになり
この地に矢の根を祀られ
後に仲哀天皇・応神天皇の第二柱を合せ祀り
破磐三神と崇め奉るようになりました。
この地は非常に狭隘で
祭事に煩いがあるということから
中世当地より東北1.7㎞離れた地に
神社を御造営し大神等をお遷し申し上げ
現在の破磐神社となっております。

破磐神社の起源について

かみのさち  
吹く風弓のかぶら矢と
いかで磐をも
通ささらめや

と詠まれています


また別のトカゲさん。

まるまる太ってますね、
食べ物豊富なんでしょうか。


では、磐座をぐるりとまわっていきます。

まわる前に見た西の空。


磐座、裏手側。


苔がまた綺麗で。




参拝したのが3時前で、
西からの日差しが強かったのもあり


1周まわり終えるあたりで、
本当に気持ちの良い光を頂きました。

感謝。


また来ます
と伝えて磐座を後に。


竹林ごしの磐座。

最後まで見送ってくれるかのように
優しい気が満ちた場所でした。


車を停めた場所から、
磐座の上に目をやると、

神社にいた時より
雲の流れが激しく感じました。


太子町神社巡り。

緊急事態宣言中というのもあり、
人の少ない神社をまわろうと来たのですが、

充分すぎるぐらいに気が満たされました。

ご縁を頂いた神社に、

感謝。





今回もマニアックな偏りな内容で
すいません。

お読み頂きありがとうございます。