石海神社から、さらに車で15分ほど、

兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)

にあります稗田神社へ。



この辺りは、推古天皇の時代、606年、
聖徳太子が法華勝鬘経を納めたので、

そのお布施として推古天皇より頂いた土地で、
それを斑鳩寺、中宮寺、片岡僧寺の三寺に
分けた場所みたいです。



鳥居からの長い参道。

当時、寺地管理のため、奈良大和より
多くの吏員がこの地に移住や派遣された
みたいで、その中の吏員がこの場所に

稗田氏族の祖神を奉祀する媛田神社
を奉祀したのが始まりのようです。


その頃の御祭神は、天鈿女命、猿田彦命


後に阿礼比売命(稗田阿礼)を奉祀することになったようです。

天鈿女命(猿女君)の子孫なんですね。



神門。

現在の御祭神は、
主祭神、稗田阿礼命
配祀神、素盞鳴命

明治以前まではお寺の方が力関係は強かったようですね。


手水舎。

稗田阿礼さん

712年、40代天武天皇の勅により、
太安万侶と古事記を編纂された方。

天鈿女命(猿女君)の末裔で、代々「誦と舞」で歴史を伝えてきた方々の一人。

だから古事記は、
物語っぽく、神話っぽくある。

のかもしれませんね。




ちなみに
古事記は3巻、
日本書紀は30巻、

日本書紀はどちらかというと、国外に我々はこういう歴史を歩んでいると示すものだったようで、全部漢文で書かれています。

そして、どちらも天武天皇の勅で
編纂されています。


天武天皇は、天皇中心の政治に戻したかったのと、国内・国外ともに日本のアイデンティティーというか、「日本人とは」という誇りを取り戻したかったのではないのかな、

と今回あらためて考えさせられました。


歴史に、たらればは無意味と思いつつも、

天武天皇が生きておられる間に、古事記・日本書紀が完成していたら、

大化の改新の時に焼かれたとされる、
それ以前の歴史書が残っていれば、

そんなバージョンの古事記・日本書紀も見てみたかったなと思うわけで。



狛犬さん。


拝殿。

こういう感じのお社ってお寺が強かったお社なんでしょうか。


境内、とても存在感のある木々が多く、
それらのまわりには、御祭神など書かれていない祠が祀られていました。



石海神社の晴れるような境内とは対照的に、

何か秘められた深い緑に包まれるような、
そんな雰囲気の境内。


今回の太子町の神社巡り、
たまたま選んだ古事記・日本書紀に関わる神社。

また歴史との向き合い方も新しく更新させて頂いたように思います。

ホツマツタヱも、神社巡りも、
まだまだ楽しく学んで行きたい
とあらためて思いました。


アメノウズメ様
サルタヒコ様
ヒエダノアレ様

そしてこの神社と繋いでくれた諸々に

あらためて、感謝を。



さてさて、太子町神社巡りの途中、
お昼ごはんに寄ったとこ。

ZUNBURG  SURFさん
ステーキやハンバーグがメインの洋食屋さん。


ハラミステーキ。
めずらしくレア焼きでオーダー。

(我ながら美味しそうに撮れた)


食べ方、いろいろ楽しめるのが嬉しい。

と言いつつ、

ガーリックソース
わさび

ほぼこのローテーションで食べてました。


妻は、ハンバーガーのセット。

1口もらいましたが肉汁にかぶりつく感じ。
美味しかった。

こういうお店のハンバーガー、
美味しいですよね。


そして、
伝票の裏のこういうメッセージ、好き。

お腹も心も満たされました。
ごちそうさまでした。



太子町神社巡り、

続きます。