2021/9/25 参拝ブログ

破磐神社(兵庫 西脇)


太子町神社巡り


石海神社

稗田神社


そして、今回の目的のメイン、

破磐神社へ。



……………と、ここで訂正を。

私、てっきり太子町と思い込んでましたが、


破磐神社さん、太子町をはみ出してしまってました。


太子町を北に抜けて、姫路市西脇。
最寄り駅は太市駅。
竹の子が有名みたいです。

破磐神社さんでも竹の里として、
宮司さん手作りの竹炭の御守りは、
とても御利益があると有名です。


 
破磐神社。

御祭神
息長帯日売命(神功皇后)

配祀神
帯中日子命(仲哀天皇)
品陀和気命(応神天皇)


神功皇后が三韓征討から帰ってきた時のお話。



筑紫の国で、神功皇后が品陀和気命(後の応神天皇)を産んだことで、

帰路で、仲哀天皇の異母兄である
忍熊皇子と麛坂皇子に
待ち構えられていました。

自分たちに皇位継承の権利がある
とした争いへと発展していきます。

そんな戦いの前に、神功皇后が、
この地で3本の矢を放ち、
占いをしたのが破磐神社の由緒の話。


放った3本の矢。
1本目はあだ矢となり落ち、2本目も落ち、
3本目が大磐石に当たり、
その磐が割れました。

これを見た神功皇后が吉兆とお喜びになり、
その矢の根を祀ったのが始まり。



手水舎。


1本目があだ矢。
あだ矢?

そう、この時。

忍熊皇子と麛坂皇子は、
亡くなられた仲哀天皇の御陵を築くと偽り、播磨赤石(明石)に陣をとり神功皇后を待ち構えます。


が、この時にアクシデントが。

麛坂皇子が狩りの途上で、紅いイノシシに襲われる事故で亡くなります。

この狩りは、今回の戦を占う狩りでもありました。

忍熊皇子は、不吉な前兆に、
播磨赤石から住之江(おそらく大阪)まで引き
陣を構え直します。


(親の墓のことで嘘つくからですかね)



そして、その後、
紀伊に先に入っていた武内宿禰と武振熊の
軍が北上。

忍熊皇子は敗走し宇治川付近で亡くなります。


ちなみに、神功皇后が最終決戦を前に
祀られたのが、

廣田神社
生田神社
本住吉神社
長田神社

仲哀天皇が亡くなられた後、一週間、
祈祷を続けてご神託があった神様を
祀った神功皇后側。

仲哀天皇のお墓を作ると嘘をついて、
しかも先祖の古墳(現在の五色塚古墳)の
近くに戦の陣を敷いた忍熊皇子側。

なるほど、と思わされてしまいます。

これは日本書紀の記述。
歴史の側面は
いろいろあるかもしれませんが…



何か午前中と違い、
空に流れるような雲が出てきて、
ずっと空を見てました。

こんなこともあるかと↓




狛犬様。


強さの中に、
どこか可愛らしさのある雰囲気。



拝殿。


本殿は一段高いところに。
たたずまいが本当に綺麗です。


本殿、向かって右側に
天満社。


稲荷社と招魂社。



破磐神社、

写真に龍やオーブが映るとして、
パワースポットとしても有名な神社です。


社務所の裏には、
そういう雰囲気がする池があり。


私は見えませんが、

深く入るのが、なんとなく怖く
手前から手を合わせました。


社務所で御朱印を頂き、
ご由緒にある大磐石(われ岩)に向かいます。



御朱印。

破磐神社の起源として
詠まれた詩が書かれています。


かみのさち  
吹く風弓のかぶら矢と
いかで磐をも
通ささらめや




破磐神社(われ岩編)に

続きます。