休日に書きためていたものが、
昨日、17時頃、
間違ってあがってしまっておりました💦
読みかけていた方、すいませんm(_ _)m
だいぶ間があいてしまいましたが、
↓の続き。
10月30日
西宮神社、参拝した後、
バスへ廣田神社へ🚃💨
廣田神社、
私が、ホツマツタヱを学ぶきっかけになった神社です。
なので、今回は(も?)
少しマニアックなブログに😅
ホツマツタヱ、
この国の祖先、クニトコタチからアマテルカミ、
そして神武天皇から十二代景行天皇までの歴史が記されたとされるヲシテ文字で書かれた文献。
大神神社の系譜により伝わったそうです。
ただ、江戸時代の写本までしか遡ることができず、学会では認められているわけではありません。
でも、私、このホツマツタヱ、
好きなんですよね。
神社に祀られる方々を畏れ敬い、
神として記す「古事記」に対して、
ホツマツタヱは、同じカミでも、
神(カミ)ではなく守(カミ)。
神々と云われる方々が、人の時代、
この国の人々のリーダーとして
統治された時代のことが記されています。
私は、その人間くささというんでしょうか、
時に過ちをおかすこともあったり、
それでも、国のために、
思い悩み、尽くし、和す、
そのヒトとしての姿が、
超人的な存在より、
身近に、自然に、感じるわけで。
時々、神社の御祭神で、
古事記では記されていない神様が、
ホツマツタヱには記されているのも興味深く。
廣田神社、主祭神、
天照大神荒魂
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
長いですね😅
ムカツヒメ、ホノコ様。
戦前までの由緒書は、
瀬織津姫(セオリツヒメ)
が、主祭神とされていたそうです。
ホツマツタヱの6アヤ、
このような一節があります。
※カタカナ五七調がホツマツタヱ
(訳、解釈)
セオリツヒメノ ミヤビニハ
(純真なセオリツ姫の慈しみ深い心には)
キミモキサハシ フミオリテ
(キミも階段を自ら降りて迎えたので)
アマサガルヒニ ムカツヒメ
(姫はアマサガルヒニ ムカツ姫と呼ばれた)
ツイニイレマス ウチミヤニ
(やがてキミはムカツ姫を内宮にされた)
↑は、アマテルカミが、セオリツヒメを
正后にした時のことが記されています。
天照皇大神、古事記では女神ですよね。
ホツマツタヱでは、
アマテルカミは男性として記されています。
そして、その正后がセオリツヒメ。
二人の子がオシホミミ。
そのオシホミミの子が
天孫にあたるニニキネ。
へと続いていきます。
天からというのではなく、
この地で、この日本の先祖として、
国に尽くされた方々。
そのことが記されているホツマツタヱが
自然なように感じています。
古事記では、神への畏怖からか、
剣を噛んで吹きかけたり、目鼻を洗ったおりに
子神を生むシーンがありますが、
私は、人は、男と女から
子が産まれるのが、
当たり前であり、自然であると思うわけで、
そして、人であるから過ちもおかす。
そのために教えや言い伝えを遺したのが
ホツマツタヱのように思うわけで。
それだけに、
心のすれ違いや、未熟さゆえに対立したり、
嫉妬心なども描かれていたりします。
ホホデミ様と、トヨタマヒメ様の、
すれ違いのお話↓↓↓
セオリツヒメと同じく、
古事記ではあまり記されていない、
アマテルカミの姉(後に妹となる)
ワカヒメ、ヒルコ様。
ワカヒメ様も、幼少期、そして晩年と
この西宮で過ごしたとされています。
この廣田神社の奥、
越木岩神社の磐座は、ワカヒメを祀ると云われています。
そして、六甲山頂の六甲比命神社には、
セオリツヒメがお墓と云われる磐座があります。
それでも、
国のために
尽くし、和して、
見守って頂いた方々、
忘れることなく、
感謝される世の中がいいなと思います。