前回、先週に行った芦屋神社のブログを
はさんでしまいました。

またまた11/6に戻って
京都ブログの続きです。

では、時を戻しまして
(なんかベコパみたいですが💦)



2021/11/6 参拝ブログ

石清水八幡宮

(京都府 八幡市八幡高坊)



さて京阪電車で、
伏見桃山駅→石清水八幡宮駅へ。


本当は途中で、つけ麺の美味しいお店にも
寄ろうとしてたんですが、

御香宮神社が居心地良すぎて😅

食<神社

食べることより神社の楽しみが
勝ってしまいました(笑)


駅を降りて
右手にケーブルカーの駅、
左手、今回はこちらから歩いていきます。


前回は、妻と一緒に参拝したので、
ケーブルカーで向かいました。


一ノ鳥居。


一ノ鳥居の扁額。
「八」の字は、神使の双鳩。


一の鳥居を抜けると、頓宮・極楽寺跡が
あります。

頓宮、
9月15日に行われる「勅祭石清水祭」の際、
本殿より御神霊が遷される御旅所
的な役割のお宮だそうです。


今回、この歩きのルートにしたかったのは、
実は、私、とある読んだ本の影響で、
神功皇后に対して疑心感を抱いていた時期がありまして。

古事記で、
仲哀天皇は神のご神託に背いたから
亡くなった的な表現になっているのが、

どうも腑に落ちなくて。



神様が本当にそこまでするかな?
ていうね。

なんか神功皇后の時代に
歴史が変にねじられたのかなと疑心暗鬼に。
ちょうど前回参拝した時は
そんな感じのまま参拝してしまったので
後悔がありまして。

それから少しずつ古事記や日本書紀を
知っていくうちに

古事記が作られたのは、
民に神々の畏怖を伝えるのも目的の一つで
「舞」や「踊」の世界を文字起こししたもの
であるのを知った上で考えると、

古事記の目的として、
わかりやすく伝えるその表現は
あるかもしれないし、
間違っていないように思うわけで。


また、日本書紀での解釈や、
その日本書紀で出てくる神功皇后が
祀ったとされる神社に足を運びながら、
思いを馳せると、

なんとなく、
日本武尊が景行天皇に伝え、
ホツマツタヱで残そうとした何かの
後を追っているような気がするわけで。



そんな自分の心の内の整理を
神功皇后を思いながら歩いてみたくて。

この石清水八幡宮しかり、
先に行った御香宮神社しかり、
後の時代に勧請されているので、

直接、神功皇后に関連するわけではないん
ですけどね。


時代、時代の背景の中に何かの発見や、
現地、その場で感じる何かがあるのかと。

そうして、感じて知っていくことが
今の自分にとって面白くもあり。
(すいません、マニアックなのか何なのか😅)

「神功皇后と私」
的なブログになろうとしてますね💦

進みます。


高良神社。
徒然草の一節に出てくる神社です。
ある僧侶がここを石清水八幡宮と勘違いして
本殿も見ずに帰ってしまうという話に
出てきます。


二ノ鳥居。


二ノ鳥居の狛犬さん。


二ノ鳥居を真っ直ぐ表参道を進むと
ゆるやかなカーブを歩きながら、
南総門の正面の三の鳥居に続きます。


今回は、この二ノ鳥居の手前にある
裏参道から歩いていきます。

石清水社
今回はこちらに必ず寄りたかったので、
その石清水社に近い、この裏参道から。

あと、このところ気になる
宗像三女神についても思いながら
登っていきたいと思います。


続きます。