八幡山赤城寺 御本尊の御朱印(群馬県前橋市鼻毛石町) | まほろば御朱印紀行

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 群馬県前橋市の北東部、旧大胡町にお寺はありました。

 最寄り駅は、上毛電気鉄道「樋越駅」or「大胡駅」ですが、徒歩で行くのは無理です。自動車で行かれたほうが良いかもしれません。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は、20台位は停められそうです。


 こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』)。
「赤城寺は元和八年(1622)に円清上人によって開基されたという。寺の伝承では当初は赤城山宿ノ平(宮城村大字苗ヶ島忠治温泉忠治館付近)の地に建てられ、寺号を石上寺と称したという。忠治館の庭には元亨四年(1324)の銘を持つ赤城塔(石造宝塔)があるが当寺との関係は不詳である。
 寺号は明治十二年(1879)の『上野国寺院明細帳』では石城寺となっている。明治三十一年(1898)火災で本堂、庫裏、本尊などを焼失する。翌三十二年再建し、この時寺号を赤城寺と改めている。山号の八幡山は鼻毛石地区の鎮守の八幡神社に由来する。江戸時代には赤城寺が別当をしている。
 八幡山薬師院赤城寺の名称の通り、当寺の本尊は明治三十一年までは薬師如来であった。火災で本尊を焼失し、現在は前橋市二之宮町無量寿寺から移された大日如来を本尊としている。焼けた薬師仏は本堂の前に手厚く葬られ『薬師如来』の石碑が立っている。当寺は天明二年(1782)にも寺の失火で堂宇、什器、古文書等灰燼に帰し、由緒などの記録を失った。明治三十一年の再度の火災ですべて焼失し由緒などの資料がない。明治三十二年、粕川村深津の廃寺青竜寺の本堂を移築し現在に至っている。
 当寺は江戸音羽の護国寺末であったが、宗制改革で昭和十四年(1938)から豊山派総本山長谷寺の末寺となった。
 本堂の西に北爪将監供養塔が立っている。将監は戦国時代末に活躍した武将である。宮城村鼻毛石の北爪家文書に天正八年(1580)の北条氏邦(武州鉢形城主)文書がある。将監が北条氏の山上城(勢多郡新里村)攻めに参戦し功を立て、これに対する感状である。北爪家は宮城村 三夜沢赤城神社文書の北爪長秀寄進状の北爪出羽守長秀を祖とするという。将監は男4人兄弟の長兄で弟3人は前橋市上増田、新田郡尾島町、埼玉県大里郡三尻村の地に分家しそれぞれの地族として活躍している。鼻毛石の北爪家は将監の後裔。赤城寺は北爪家の菩提寺である。
 鼻毛石八幡神社は土豪北爪氏が武神として尊敬していた。八幡山を寺号とする赤城寺は宿ノ平から八幡社の近くに下りて来たという伝承もある。宿ノ平の石上寺が鼻毛石の地に 下りて来て石城寺となったのは、土豪北爪氏の活躍した戦国時代末ではなかろうか。
 北爪将監供養塔は享保十一年(1726)に子孫によって建てられた。供養塔の地下のかめの中から、仏二体、奥歯一個、経文一巻、仏舎利などが出た。供養塔は村指定史跡。供養塔の隣に村指定重要文化財の六地蔵石がある。角柱型の身のみであるが上段に阿弥陀如来、下段に六地蔵を刻む、凝灰岩で風化が進んでいるが鎌倉時代末期のもの。寺西南の一画には村指定重要文化財の種子十三仏塔もある。客仏に十一面観音がある。
 歴代住職の墓石の中に開山の石殿や中興開山栄秀上人の五輪塔がある。開山は現在地に移して石城寺を建立した人である。栄秀上人の建てた宝暦九年(1759)の地蔵石仏は大きい。宮城村大前田に境外堂の世良田薬師堂がある。ここに『鼻毛石村石城寺陰居栄秀』ののある薬師石仏がある。寛延二年(1749)建立である。栄秀は77歳で没しているが石仏などの建立が多い。栄秀の時期石城寺隆盛であったのだろう。
 世良田薬師堂には鎌倉時代の阿弥陀仏や南北朝期の赤城など中世の石造物が多い。」

 入り口。
 石塔がある。
 2体の仏像が彫られていますが、不動明王の眷属「制多迦童子、矜羯羅童子」である。裏に書かれている由緒は、風雨にさらされ判読できず、詳細は不明だそうです。

 新しい石造薬師如来坐像。
 案内板によると次の通りです。
「血縁お薬師さま
 仏さまとご縁を結ぶことを 血縁(けちえん)といいます
 お薬師さまの手元から伸びた 五色線をにぎって血縁をしましょう
 仏教の伝わった飛鳥時代から お薬師さまと五色の線を通じて病気平癒や疫病退散が 祈られていました
 左手に薬壷(やっこ)をもち 除病安楽を願う 仏さまです」
 コロナ禍なので、薬師如来の神威で悪疫退散をしてほしい。

 左側が地蔵菩薩、右側が宝塔になります。
 左側の石造地蔵菩薩坐像は、宝暦九年(1759)に建立されたと伝わっています。誰が奉納したのだろうか?
 右側の宝塔は、北爪将監の供養塔になります。前橋市指定重要文化財になる。
 案内板によると由緒は次の通り。
「本供養塔は、江戸時代後期の享保十一年(1726)に建てられたものである。北爪将監は、戦国時代末期の小田原北条氏に仕えた鼻毛石出身で、子孫にあたる鼻毛石の北爪家には、小田原北条氏第三代北条氏康の四男、北条氏からの感状など北爪将監宛ての文書が残されている。なお、本供養塔を改修した際には、かめの中から骨の他、冑や経文などが見つかったといわれている。」

 本堂。
 大日如来を本尊とする。明治期に火災に合うまでは薬師如来を本尊としていたそうだ。現在は「赤城寺(せきじょうじ)」だが、「石城寺」と書いて「せきじょうじ」と読んでいた。
 今年は開基400年に当たる年だそうだ。

 前橋市指定重要文化財「赤城寺の種子十三仏塔」になる。
 案内板によると由緒は次の通り。
「十三仏とは、死者のため追善供養の法事を営むとき初七日から三十三年忌まで、十三回の年忌ごとに配される仏、菩薩のことで初七日の不動から釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、阿弥、阿閦、大日、虚空蔵の十三仏をいう。
 十三仏は、一つの石碑に十三の仏種子を配するが個々の石碑に仏を施しているものがある。本仏塔は、全ての仏を表す字1字の下に十三仏を表す梵字13文字。合計14文字の字が刻まれている。」

 庚申塔。
 安政七年二月の銘がある。安政七年は1860年、3月3日には桜田門外の変があった。

 御朱印は、寺務所にて頂いた。般若心経を写経したものを納経をさせて頂いた。
 御朱印を頂きたい方は、LINEで予約をおすすめする。



寺院名:八幡山 薬師院 赤城寺
所在地:群馬県前橋市鼻毛石町330番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:なし
URL:https://sekijoji.org/