一昨日

令和6年1月26日(金)

前日福岡から帰ってきました

この日は

亡き義父の命日です

あれから32年過ぎました

 

午前3時半起床

拝読できなかったご著書を

まとめて拝読

 

 

ラジオ体操

 

新聞を読んで録画をしたり

 

神戸市図書館に予約を入れたり

 

 

前日帰宅してからは

溜まった新聞を読んだり

家計簿を付けたりまでは済ませたのですが

母への葉書の印刷が出来ないままでした

 

まずは福岡の写真を整理してから

印刷

午前11時

 

そして

数日分の記録を書いて

母に送ります

 

それから記録ブログ記事を書きました

 

 

 

 

 

 

溜まっているドラマの録画も観たいし

翌日は朝起会に出席するので

夜更かしは避けて

記事の続きは翌日にすることにしました。

 

 

 

 

昨日

令和6年1月27日(土)

午前4時

チーム長迎の時間

 

午前4時40分

学び開始時間まで

受け取ったばかりの

清流と倫風を拝読しました

 

午前5時

学び開始

今日から新しいご著書です

 

帰りは地下鉄電車です

午前6時15分

 

午前6時50分

 

歩いて帰宅して

汗びっしょりになりました

朝ごはん

洗濯をしながらラジオ体操や

 

倫風の郵送準備をしました

 

 

翌日は

きずなチームの演談日です

(今年からたんぽぽチームとATLチームが合併して

きずなチームとなりました)

 

原稿を書きました

 

午前10時

 

午前11時

 

原稿を書き上げてから

ブログを書きました

 

 

 

 

午後0時50分

主人は飲み会

 

わたしはドラマの録画を楽しみました

 

 

 

今日

令和6年1月28日(日)

午前4時

チーム長迎の時間

 

チーム長の車に乗せて頂いて

もうお一人の方を迎えにあがりました

その方を待っている時に

パジャマ姿で不安げな女性が道路に出てきました

「どうされましたか?」

と声をかけましたら

「泥棒に入られた」

怯えておられます

 

午前4時20分

チーム長は会場に遅れる旨連絡を入れ

わたしは近くの交番に女性をお連れしました

 

 

どなたもおられません

受話器を上げてもつながりません

番号を押してもわたしのスマホからはつながりません

あとから考えれば↑この電話からだったら

つながったのかもしれません

110通報しました

 

女性は住所氏名年齢も

きちんと言われ

会話も元気よく弾みます

 

10分ほどたってからでしょうか

警官が戻って来られ

その後

2名の警官も駆けつけてきました

 

詳しい状況をお伝えして

女性のことをお任せして

会場に向かいました

 

車に乗ろうとしたときに

一人の警官が来られ

「何度かこういうことがあった女性のようです。

事件ではなくて保護と言うことになるかと思います。」

とのこと

 

「・・・はい、母が認知症なのでピンと来ていました。

よろしくお願いします。」

 

母が一人暮らしをしていた頃の

様々なことが思い返されました

 

午前4時41分

 

いつも出発が早いので

遅刻せずに済みました

 

午前5時

学び開始

 

わたくしはもとみつもとこでございます。

昨年12月に骨折の手術を受けた母の、

転院先であるリハビリ病院のカンファレンスに行って参りました。

当日はこの冬一番の寒さで新幹線からの車窓は白く、

施設や病院への移動中もコートが真っ白になる雪でしたが、

歩行をしている母の姿をリハビリ室に見つけた時はうれしくて、

思わず手を振りました。

顔色も良く生気が戻っていました。

父が亡くなった事も妹が亡くなった事も記憶になく、

主人の事もわたくしの事も、分からなくなっている母ですが

「ごちそうがないんだけど」

と気にしながら

「今日は泊まっていきなさいよ」

の言葉に母心を感じ

「お父さんが毎日来てくれるの」

の言葉に両親の夫婦愛を感じました。

認知症が進むにつれて穏やかになって行く母から、

優しい時間をもらっています。

穏やかに過ごしている様子をお聞きし、

感謝とお礼の言葉しか出ませんでした。

母がしあわせに過ごしてくれているのなら、

わたくしもしあわせです。

福岡に帰省しても

お墓参りの時間が取れないことを気にしてくれた主人が、

霊園方向の宿に一泊することを提案してくれました。

強風でお線香に火がつかず苛立つわたくしをなだめ

火をつけてくれたのも主人でした。

きっと父も苦笑いをしているだろうなと思いました。

宿への道中に卒業した短大があり、散策も出来ました。

街の開発で景色が変わる中、

通学路だった川べりや学園の敷地内に、

45年前と変わらない場所も残っており、

古いアルバムに残る10代だった頃のわたくしと、

同じ場所に立って写真も撮りました。

父が倒れてから14年余り、

福岡行きも数百回になります。

心が折れたこともありました。

来月も2回の帰省予定があります。

神戸に戻れば、今なすべきことを実践する生き方を、

学べる朝起会があることが支えです。

今朝は、会場に向かう道中で

不安そうに歩いていた女性と遭遇し、

警察に保護して頂きました。

母も地域に守られてきたことを思い返す、機会を頂きました。

学びに感謝しまして、今日一日も喜んで進んで働きます。

ありがとうございました。

 

 

今日は能登の地震と阪神淡路大震災を重ね合わせたご演談の他

わたしを始め

親の介護のご演談が続きました

原稿を用意している方は別として

演談は生ものです

人様のご演談から心を引き出され

同じような内容になることがよくあります

 

今朝も

良い学びの朝でした

 

帰りは地下鉄電車です

 

午前6時12分

兵庫県庁

 

 

午前4時41分

今朝はバスで帰りました

 

午前7時

帰り着きました

 

 

今週は福岡でたくさん歩いたので

46124歩

 

スタンプも溜まりコカ・コーラチケット5枚目を頂けました

 

 

今日のブログ記事は

当記事を含めて3本です

お付き合いをありがとうございました