ピー さんより
道徳ってあるじゃないですか。
日本では道は教えるけど徳は教えてない
とどこかで聞いたので、
海外移住のある夫と道徳について話をしました。
徳って何?
と聞いたところ、
ボランティアだとか、困っている人を助けるだとか、手を差し伸べる事っぽいことらしいです。
で、海外だとどうなの?と聞いたら
海外では徳をしなさいって教えられるって。
自分のために人に手を差し伸べる。って。
そこで、ぢんさんを知ってる私は、
あぁ、
人のために手を貸すのではなく
自分のために手を貸すんだ。
あぁ、そうかー。
そもそも全然違うなーって思いました。
人のために手を貸すと、
その気持ちを丁寧に扱ってもらえなかったとき、
損したと思うかも。
人のために自分が動くって、
いい人ぶらないと無理かも。
自分の為に手を貸すと、
きっと、お礼を言われなくてもどうでもいいかも。
ゲスいかも。ナチュラルかも。苦でもない。
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心屋(こころや)です。
なんか、清々しい回答でしたね。
そう「ひとのために」って
「あなたのために」ってやって
その相手が自分の思い通りにならないとき
ちって思う、っていうのは
結局は自分のため、だったんだよね。
それに気づいてないから不満が起きる。
でも、
「自己満足」だと
した時点で満足なんだもんね。
さて、昨日は
また新認定講師が生まれました。
心屋は一応、カウンセラー集団でもあるのですが
僕は「あんまり ひとを助けようと思わないで」と言ってます。
特に「わたしが助ける」「助けなければ」
はやめよーね、と。
それをやり過ぎると
「助けたいわたし」と
「助ける必要のあるひと」が生まれるから。
だから
「目の前のひと」は
「いま、困ってる、苦しんでるひと」ではあるけど
それは
「そういうひと」でなく「可哀想なひと」でもなく
「助けるべきひと」でもなく
「いま、困ってるひと」なだけなので、
少しのお手伝いだけで、そのひとは
「自分で解決する」
「自分で幸せになる」
そのチカラがあると信頼する、ということ。
カウンセリングを「する側」が
「そういう目で」目の前のひとを
見て、扱う。
すると、目の前のひとは
「大丈夫なひと」となり
「幸せなひと」に変わっていくからなのです。
ということで
新たに6名の「入門講座」の認定講師が生まれました。(認定証が間に合わなかった人はエアでw
▼今年は真面目に仕事します!?(笑)
6/30 東京⇒詳細 7/13 岩国⇒詳細
7/15 岡山⇒詳細 8/4 兵庫・淡路島⇒詳細
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